先日来、歯の噛み合わせがよくなかったので、連休に入る前にと、歯科医院に行ってきた。
今日から、5月。
道々に眺める山の風情が、急に賑わいを見せている。
4月下旬の新緑は、若々しい<さみどり>であったが、今は<もこもこ>とした塊が山容のあちこちに投げつけられている感じだ。生命の塊、といった感じでもある。 あれは花の色ではあるまいか?
地味ではあるけれど、常緑樹の花は、遠目には木の葉の一部のように見える。
色を形容するのも難しく、絵筆で表現するとすれば、幾つかの色を混ぜ合わせなくてはならないだろう。
帰宅後、久しぶりに、<国語大辞典『言泉』>を開いてみた。この辞書は、〔色名ガイド〕を辞典の最初に掲げ、318の色名と色見本を載せている。
それをじっくり眺めても、<もこもこ>の色彩を、その318の中から選ぶのは難しい。ぴったりの色というのは、見つからない。
それほど自然の色は複雑で奥深いのだろう。
あの木々は、なんだろう?
樹木の種類も気になり、植物の図鑑も開いてみた。
が、判断が難しい。
そこで、聞くに如くなしと思い、植物に詳しい知己のTさんに電話した。
運よく在宅のTさんは、海辺に近い山には、常緑樹のシイやカシが多く、少し内部にはタブノキや落葉樹のナラが多い、それらの木の花が山肌を<もこもこ>させているのだ、と。
なるほどと思い、その後で改めて図鑑で確認した。
植物の専門家であれば、あの色は○○樹、こちらの色は××樹と判断できるのだろうけれど、私には、植物の名前を限定することはできない。
季語では<山滴る>(夏)というらしい。
<山笑う>(春)、<山粧う>(秋)、<山眠る>(冬)と、季節の山の味わいを擬人化して表現したのは、中国の山水画の大成者・郭熙(かくき)の画論によるようだ。すなわち、
<真山水の烟嵐、四時同じからず。春山は澹冶にして笑ふが如く、夏山は蒼翠にして滴るが如く、秋山明浄にして粧ふが如く、冬山惨淡として睡るが如し。>
が、季語の由来らしい。
<山滴る>の表現がぴったりなのは、もう少し安定した緑なのかもしれない。
今日は、草花舎で、「こうぼぱん拓(たく)」の食パンをいただくことにしていた。そこで、帰途、一停留所手前で下車し、歩きながら、<もこもこ>の山を眺めることにした。
国道を歩くと、耕作されつつある田圃の彼方に、その山を眺めることができた。(写真①)
草花舎では、明日からはじまる<末國清吉 吹きガラスの器>展の準備中だった。以前、一度お会いし、ブログにも登場していただいた末國さんも来店し、展示の準備をされるところだった。
作品の搬入に当たっては、三晩続けて徹夜に近い仕事をされたらしい。
柔和で実直な印象の末國さんは、それを声高に話されたわけではない。Yさんに小声で話されたことの又聞きである。
聞いただけで眩暈を起こしそうだ。
私は昨夜、取るに足らないこだわりで、今朝二時まで眠れなかった。それでも、四時間は眠っている。徹夜の仕事の経験がないわけではないけれど、それは遠い昔の話である。
展示準備中のため、いつもよりお店の中は雑然としていた。
昼食は街で済ませてきたので、コーヒーだけいただいた。
座席からは、残んの赤い花をつけた花水木や今を盛りのナニワイバラの白い花が見えた。(写真②)
肝心のパンはまだ届いていなかったので、夕方また出なおすことにして帰宅した。
夕方五時、再び草花舎へ。
「こうぼぱん拓」の池田さんが来ておられた。
注文のパンをいただく。
先日、新聞が大きく取り上げたので、問い合わせや注文で、大変らしい。
<22歳 匹見にパン工房><素材にこだわり県内外で好評><過疎の郷里で起業「明るいニュース」>などの見出しで、池田さんの写真も添えてあった。(読売新聞・4月28日)
いただいて帰ったパンに包丁を入れると、こうぼパン特有の香が辺りに漂った。
①
②
今日から、5月。
道々に眺める山の風情が、急に賑わいを見せている。
4月下旬の新緑は、若々しい<さみどり>であったが、今は<もこもこ>とした塊が山容のあちこちに投げつけられている感じだ。生命の塊、といった感じでもある。 あれは花の色ではあるまいか?
地味ではあるけれど、常緑樹の花は、遠目には木の葉の一部のように見える。
色を形容するのも難しく、絵筆で表現するとすれば、幾つかの色を混ぜ合わせなくてはならないだろう。
帰宅後、久しぶりに、<国語大辞典『言泉』>を開いてみた。この辞書は、〔色名ガイド〕を辞典の最初に掲げ、318の色名と色見本を載せている。
それをじっくり眺めても、<もこもこ>の色彩を、その318の中から選ぶのは難しい。ぴったりの色というのは、見つからない。
それほど自然の色は複雑で奥深いのだろう。
あの木々は、なんだろう?
樹木の種類も気になり、植物の図鑑も開いてみた。
が、判断が難しい。
そこで、聞くに如くなしと思い、植物に詳しい知己のTさんに電話した。
運よく在宅のTさんは、海辺に近い山には、常緑樹のシイやカシが多く、少し内部にはタブノキや落葉樹のナラが多い、それらの木の花が山肌を<もこもこ>させているのだ、と。
なるほどと思い、その後で改めて図鑑で確認した。
植物の専門家であれば、あの色は○○樹、こちらの色は××樹と判断できるのだろうけれど、私には、植物の名前を限定することはできない。
季語では<山滴る>(夏)というらしい。
<山笑う>(春)、<山粧う>(秋)、<山眠る>(冬)と、季節の山の味わいを擬人化して表現したのは、中国の山水画の大成者・郭熙(かくき)の画論によるようだ。すなわち、
<真山水の烟嵐、四時同じからず。春山は澹冶にして笑ふが如く、夏山は蒼翠にして滴るが如く、秋山明浄にして粧ふが如く、冬山惨淡として睡るが如し。>
が、季語の由来らしい。
<山滴る>の表現がぴったりなのは、もう少し安定した緑なのかもしれない。
今日は、草花舎で、「こうぼぱん拓(たく)」の食パンをいただくことにしていた。そこで、帰途、一停留所手前で下車し、歩きながら、<もこもこ>の山を眺めることにした。
国道を歩くと、耕作されつつある田圃の彼方に、その山を眺めることができた。(写真①)
草花舎では、明日からはじまる<末國清吉 吹きガラスの器>展の準備中だった。以前、一度お会いし、ブログにも登場していただいた末國さんも来店し、展示の準備をされるところだった。
作品の搬入に当たっては、三晩続けて徹夜に近い仕事をされたらしい。
柔和で実直な印象の末國さんは、それを声高に話されたわけではない。Yさんに小声で話されたことの又聞きである。
聞いただけで眩暈を起こしそうだ。
私は昨夜、取るに足らないこだわりで、今朝二時まで眠れなかった。それでも、四時間は眠っている。徹夜の仕事の経験がないわけではないけれど、それは遠い昔の話である。
展示準備中のため、いつもよりお店の中は雑然としていた。
昼食は街で済ませてきたので、コーヒーだけいただいた。
座席からは、残んの赤い花をつけた花水木や今を盛りのナニワイバラの白い花が見えた。(写真②)
肝心のパンはまだ届いていなかったので、夕方また出なおすことにして帰宅した。
夕方五時、再び草花舎へ。
「こうぼぱん拓」の池田さんが来ておられた。
注文のパンをいただく。
先日、新聞が大きく取り上げたので、問い合わせや注文で、大変らしい。
<22歳 匹見にパン工房><素材にこだわり県内外で好評><過疎の郷里で起業「明るいニュース」>などの見出しで、池田さんの写真も添えてあった。(読売新聞・4月28日)
いただいて帰ったパンに包丁を入れると、こうぼパン特有の香が辺りに漂った。
①
②