母の命日の今日、お参りにあわせて、植え替えた鉢が届けられた。(写真)
左2鉢は、友人にいただいたもので、白と黄色の花のデンドロビウム。
右の鉢は、私が買い求めたピンク系の花を咲かせるデンドロビウム。
いずれの鉢も、根詰まりしていたらしい。
植え替えの効果を発揮して、来年は、美しい花をつけてくれるのだろうか。
近所からもらった南瓜の半分を妹にすそ分けすることにした。
妹が包丁を入れてくれた。その包丁は切れにくい。
私が退職するとき、友達にプレゼントしてもらったものである。
包丁のプレゼントとは、普通には思いつかない。多分、職を退いた後は、老いた父母のために、しっかり料理をしてあげなさい、という友達の思いが込められていたのだろう。菜切り包丁と魚包丁の2本をいただいたのだった。
使い始めて20年になるのだから、切れ味が鈍くなっても不思議はない。そういえば、一度、研ぎ師に研いでもらった。が、それからでも10年が経とうとしている。
ひとり暮らしをし始めた4年前、包丁でも鋏でも何でも研げるという道具を買い求めた。早速切れ味の悪くなった包丁を研いでみた。が、一向に効を奏してくれなかった。研ぐことを諦めて、新しいものに買い換えようと思いながら、切れの悪い包丁を我慢して使っていた。
妹も、南瓜を切ってみて、私の包丁の切れ味の悪さに気づいた様子だった。
研ぐ道具のあることを話すと、妹は試みてくれた。
包丁の刃先がたちまち光り、よく切れるようになった。
今晩、夕食の準備に早速使ってみた。違う包丁かと思えるほどよく切れた。食材を刻むのが楽しくさえなった。
私は体力がなく、要領も悪く、生活の中で、何かと不自由を感じることが多い。妹はそれを慮って、力仕事など、手伝うことはないかと言ってくれた。が、今日、直ちに力を借りたいことは思いつかなかった。
5歳若い妹から見れば、私の生活は、随分心もとなく思えるだろう。
年齢の差は否めない。
老いに向かうことは大変だ。メイ・サートンの『82歳の日記』を読む時にも、私がこれから歩む、困難であろう道程が、絶えず頭をよぎった。
だが、周囲への迷惑をできるだけ減らし、倍増してゆく不自由に対し、のびやかに耐える力も育てなくてはと、今は殊勝なことを考えている。(まだ本物の老いには、幾分距離があるからこそ、言えることかもなかもしれないけれど…。)