ぶらぶら人生

心の呟き

3月の庭 (石の上の椿)

2008-03-19 | 草花舎の四季
 草花舎の庭を一巡して、入り口に向かっていると、石の上に、一輪のピンクの椿が、春の日差しを受け、しんとして存在していた。(写真 17日)
 
 落ちたというより、置かれたのでは、と思わせる佇まいで。
 オーバーに言えば、そこに、密やかな芸術的世界が演出されているかのように。
 前庭に、この種の椿は見当たらないので、落花したものでないことだけは確かである。

 謂れの分らないまま、そこに椿の一輪ある風情を、ひとり楽しんだ。
 草花舎の棚の、吉岡萬理さんの花器には、同種の椿が活けてあったのだが……。
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3月の庭 (黄水仙の蕾)

2008-03-19 | 草花舎の四季
 蕾の季節は、すべてが初々しい。
 草花舎の庭を歩いていて、黄水仙の蕾の前で、足を止めた。(写真)

 人間の一生にも、この初々しさの時期はあるはず。
 とっくの昔に失われたものを、私は、哀惜の思いでふり返っているのであった。
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3月の庭 (蕾をつけた桃の木)

2008-03-19 | 草花舎の四季
 草花舎の花瓶に、よく蕾をつけた桃の小枝が挿してある。
 桃の木が、どこにあるのか、一昨日まで気づかなかった。
 昨年は、花の時期も、実のなる時期も、知らずに過ごしたのだろう。

 一昨日、気をつけて木々を見上げていると、棗や枳殻の木に近く、それらよりさらに背の高い桃の木を見つけた。
 ほとんどが、まだ蕾の状態である。(写真)

 幾日したら、満開になるのだろう?
 草花舎は、24日から31日までお休みになると、案内板が出ていた。
 あるいは、今年も咲き満ちた桃の木には、ご縁がないのかもしれない。
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3月の庭 (イヌビワの裸木)

2008-03-19 | 草花舎の四季
 17日は、快晴の春日和だったので、草花舎の庭をゆっくり散歩した。
 一木一草を心ゆくまで眺めながら。

 枇杷の木は、新芽をのぞかせ始めていた。
 その向かいに、白骨のような小枝を空に差し伸べている木がある。(写真)
 空が青く澄み渡っているので、枝々の白さが際立っていた。
 裸のままの木は、特にその木の名を思い出しにくくする。
 梢の端に、萎びた黒い実が、幾つも残っている。
 <イヌビワ>の木に違いない、と思いながら見上げた。

 目覚めの遅い木なのだろう。
 しかし、人間の目には捉えられない内部で、実にゆっくりと、しかし確実に、芽吹きの準備をしているに違いない。
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3月の庭 (椿 紅妙蓮寺)

2008-03-19 | 草花舎の四季
 草花舎の庭に、小鉢から下ろされたばかりの椿(紅妙蓮寺)が、やっと花開いていた。地面近くに、遠慮がちに。(写真 17日)
 木が成長すれば、花も大輪となるらしい。楽しみだ。
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3月の庭 (ジンチョウゲ咲く)

2008-03-19 | 草花舎の四季
 一昨日(17日)、草花舎の庭に、白のジンチョウゲが花開いていた。(写真)
 まだ幼木らしく、花の数はそう多くない。ただ、春の日差しに、白の花弁が輝いていた。
 草花舎に至る道々の、他家の庭にも、白いジンチョウゲを二箇所で見かけた。その都度、鼻を近づけて、その香をかいだ。
 今は、ジンチョウゲの出番のようだ。

 二日後の今日は、春の嵐。
 午後になって、雲の厚みが、ところどころ薄くなり、回復の兆しも見えてきた。
 しかし、先刻、家のジンチョウゲを見に庭に下りたところ、風に乗って降ってきた雨滴が、身体を濡らした。予報どおり、明朝まで、雨は残るのかもしれない。
 わが家のジンチョウゲは、七分咲きといったところだった。

 時折、風の唸りが部屋の中にも届き、こんな日はやはりもの憂い。
 <さて!>と、自らの心に号令をかけてみるが、何をするにも気乗りがしない。
 ひどく怠惰な人間に思えるが、誰にも、こんな日はあるのだろうな。
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