ぶらぶら人生

心の呟き

3月9日 マラソンを見ながら

2008-03-09 | 身辺雑記

 男女を問わず、マラソンという競技には、観戦の楽しみを感じる。
 二時間半近く、人の走りを見て空費する時間は、私にとって何の利もないように思えるし、終了と共に得体の知れない疲れさえ覚えるのだから、ほどほどに観戦しようと思うのに、つい気を入れすぎてしまう。

 今日行われたのは、名古屋国際女子マラソン。
 北京五輪の最終選考会を兼ねた大会でもあったので、その成り行きがいっそう気になった。
 出場者の中には、高橋尚子ほか、過去に栄光を手にした選手たちが多数参加し、経験を生かしてさらに上を目ざして走るなか、マラソン初出場といった未経験の新人も入り混じって出場するのだから、見所は沢山あった。

 見終わってひどく疲れたが、面白いレースであった。
 結果は、1位、2位とも、初マラソンの選手が占めた。
 高橋尚子が9キロあたりから失速した理由は、素人には分らない。が、昨日、美容院で見た週刊誌に、35歳にしては頬のこけ過ぎた高橋尚子の、哀れとも思える顔写真が出ていて、マラソンという長い距離を走り抜くスタミナは大丈夫なのだろうか? と危惧を感じた。中国に行って、高地練習を随分重ね、自信も、期するものも、あったとは思うのだが……。
 いくら練習を重ねても、大会当日、絶好調で臨むのは、予想を超えて難しいことなのだろう。

 計算どおりにはゆかないところに、マラソンの難しさも面白さもあるようだ。マラソンは、まさにドラマだ、と今回も思った。
 また今日のレースでは、新旧交代劇を見ている思いもした。
 それでいいのだろう。いつまでも変わらないのは、おかしいことだ。
 優勝した中村選手には、若さの輝きがあった。
 五輪の代表選手に選ばれるのかどうかは分らないが、今後、活躍を期待したい思いを抱いた。

 今日、Tさんから新聞(読売?)の切り抜きを届けていただいた。
 山口市湯田の高田公園にある、中原中也の「帰郷」詩を刻んだ詩碑について、小川直人という記者の書かれた文章が載っていた。
 詩碑には、「帰郷」詩の2行が削除されており、それについて、私の師は非難の論説をはり、著書にも書かれている。当時は、かなりの話題になった。
 小川氏は、師の中也詩に対する見方の是非を云々するのではなく、回顧的に記された文章だったが、記事を読みながら、日夜、中也詩を論じ合った日を懐かしんだ。
 詩碑が高田公園にできたのは、1965年。
 その建立の中心人物だった小林秀雄も大岡昇平も、今は鬼籍の人であり、<2行削除>に異議を唱えた私の師も、今は亡き人である。
 久々に、過ぎ去った日々を思い起こさせられる記事であった。
 記事の題は、<2行削除 どう思う中也>とある。
 きっと中也自身は、自分のうたいたい詩の魂を抜かれた思いであろうと、師の考え方に賛成なのだが……。
 ただ、詩の捉え方は人によって様々であり、それでいいのではないかとは思う。
 詩という文学は、一つの解釈で括りきれない要素が、非常に強いと思う。詩だけに限らないけれど。

 昨日、髪の手入れに街に出た。
 バスの車窓に、満開のジンチョウゲを見た。
 帰宅後、わが家のジンチョウゲはどうだろう? と、見えにくい位置にある、アオキの後ろをのぞいてみたが、まだ蕾が固かった。(写真)
 昨日も、好天に恵まれたが、まだ風が冷たい。
 晩冬と初春が、まだ仲良く手を取り合っている感じだ。

コメント
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