畑の奥まったところにあるので、気兼ねしながら近づいて、カメラに収めた。
花は皆うつむいて咲いている。何か憂いのありや否や?
この花に蛍を入れて遊んだ思い出はない。
入れるとすれば、白い花の方がいいだろう。ひそやかでほのかなホタル灯を想像する。
そういえば、そろそろ蛍の季節。川原に乱舞する蛍を思いながら、あのあえかな光にあいたいと思う。
昨日は、朝から気温が高く、<夏は来ぬ>といった感じの一日だった。
先週末あたりから、野に自生の卯の花が目立ち始めた。たちまちその数が増え、今はあちらこちらに咲いている。白い花の一つ一つは実に素朴で、清楚である。小さな、白い玉のような蕾も愛らしい。(写真)
散歩道の線路わきなどにも咲いていて、幾度も足を止めては眺める。
野の花のすがすがしい美しさを愛で、
♪ <卯の花の匂う垣根に……>
と、昔覚えた唱歌を口ずさみながら、そろそろホトトギスの飛来する季節ではと、ここ幾日かは耳を澄まして歩いた。
やっと昨朝、その声を初めて聞いた。
キョッキョ キョキョキョキョ キョッキョ キョキョキョキョ
と、しきりに啼いた。昨日は、外に出るたびごとに、終日耳にした。なんだか待ち人の声を聞いたようで嬉しくなる。
「テッペンカケタカ」とか「トッキョキョカキョク(特許許可局)」という聞きなしで知られている。けれども、私は、ホトトギスの声を聞くと、前記のように、「キョッキョ キョキョキョキョ」と声を返す。
結構けたたましい声ではあるが、遠い山林から届くその声は、とても懐かしいものに思える。
この春は散歩のおかげで、鶯の姿をしばしば見かけた。思いのほか近くの梢で、よく啼いていたものだ。(今もその声はしばしば耳にするが、梢で啼く姿は見せなくなった。)
一方、ホトトギスの姿は、いまだかつて見たことがない。写真のホトトギスしか知らない。ホトトギスは人里を離れた山林で過ごすことが多いのだろうか。今年も目にすることはないだろう。だが、これから先当分は、日夜を問わず、その声を聞くことになるだろう。
托卵の習性を持つホトトギスは、怠け者なのだろうか。私に似たところがあるのかもしれないと思うと、余計親しみも湧く。
ホトトギスは、万葉の時代以来、古歌に多く詠まれてきたようだ。
漢字表記にも、いろいろある。
時鳥・子規・不如帰・杜魂・蜀魂など。(みな「ほととぎす」と読む。)
その他、卯月鳥・妹背鳥・田長鳥(たおさどり)・沓手鳥(くつてどり)・杜宇(とう)など。万葉集時代には、<霍公鳥>と表記されたようだ。
私はホトトギスの声を聞くと、、杉田久女の「谺(こだま)して山ほととぎすほしいまゝ」をすぐ思い出す。好きな句でもある。