ぶらぶら人生

心の呟き

「ハヤトバラ」と教えられたが…

2007-05-06 | 散歩道
 ヨウちゃんから、「ハヤトバラ」と教えてもらった花。(写真)
 「バラ?」
 と、聞き返した。私の抱くバラのイメージとはかけ離れていたので。
 私は即座に、草花舎の垣根に咲いた花を思い出した。よく似ている。
 草花舎の花については、「ナニワイバラ」だろうと、5月1日のブログに書いたのだが、ちょっと怪しくなってきた。
 ただ、ネットで調べたところでは、「ハヤトバラ」の資料は1点だけしかなく、しかも、そこに出ていた写真の花色はピンクで、形もあまり似ていなかった。
 私の持っている本には、生憎、「ナニワイバラ」も「ハヤトバラ」も出ていない。
 あるいは、この花も、「ナニワイバラ」では?
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ピラカンサの花

2007-05-06 | 散歩道

 「この白い花は?」
 と、ヨウちゃんに尋ねると、
 「ピラカンサ」
 との答えだった。
 小さな白い花が、密に咲いている。蕾も丸っこくて可愛い。(写真)
 友人宅の庭には、2本の木が花をつけていた。
 ピラカンサの木が、こんな花を咲かせるとは知らなかった。花の可愛らしさが、ちょっと不似合いな気がするが、私の勝手な思い込みというものだろう。
 ピラカンサが赤い実をつけていた時期にはよく目立ち、あちこちで見かけた。その木たちの可憐な花も、散歩がてら、眺めに出かけてみよう。

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「紅花オガタマ」の花

2007-05-06 | 散歩道
 藤棚の下で、私と友人が話していると、声を聞きつけてヨウちゃんが登場。
 ヨウちゃんは友人の奥さんである。無類の花好きであり、花作りに人一倍愛情を注ぐ人でもある。広い花畑に沢山の樹木や草花が立派に育てられている。
 花好きな人は、花々を人と共に眺めて楽しむのも好きだし、花について語ることも喜びのようだ。
 広い庭のあちこちにいざなわれ、五月の庭に咲いた花々の説明を聞いたり、両手に持ちきれないほど沢山の、切り花や苗をもらったりした。その上、バラの棘のとり方や花色についての常識や、かなり専門的な育成の仕方についての話なども聞いた。
 花にそれほど関心のない友人の姿は、ヨウちゃんと私を残して、いつの間にか消えていた。

 「これはオガタマの花。いい香りがしするのよ。今は花が少なくなってしまったけれど」
 初めて見る樹木であり、花である。(写真)
 オガタマというのは神社などに多い木だと、聞いたことがある。
 改めて、樹木の本で調べたところ、
 <関東以南に分布する暖地性の常緑高木で、高さ20㍍になる。オガタマというのは招霊(おきたま)の変化したもので、この木の枝を神前に供えて神霊を招くのに使ったところからでたとされる。>
 と、記されていた。さらに花色は白であると。

 友人宅のオガタマの背丈は、1メートルくらい。(まだ成長の段階かもしれないけれど。)花も白色ではなく、花びらの内側は濃い紅色で、裏側は少し薄紅色をしている。
 果たしてオガタマ? と、疑問に思ったので、ネットで調べてみた。すると、「紅花オガタマ」というのがあった。園芸種らしい。やはり芳香を放つ花だという。
 友人宅のは、神社などに自生する「オガタマ」ではなく、こちらの「紅花オガタマ」の可能性が強いだろう。

 紹介した写真の花は、落花寸前の姿である。花の美しい盛りは、むしろ莟んだ状態から、花弁をやや半開きにするだけの、慎ましやかな花である。
 蕾のついた枝をヨウちゃんからもらって帰り、今花瓶に挿してある。
 芳香を漂わせながら、物静かな姿を、明日には見せてくれるだろう。
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椎の巨木

2007-05-06 | 散歩道

 友人と白藤を眺めたあと、目を山側に転じると、宅地の一角にある巨木が見えた。若やいだ緑を頭上にのせた椎の木である。(写真)
 散歩の朝にも、折々見上げる大樹である。
 友人が子供の時には、既に巨木として存在していたというのだから、一体どれほどの年月を生きてきたのだろう?
 堂々として、威厳に満ちた樹木である。それでいて、樹形も美しい。もこもこと、漲る自らの命を、空に向かって伸び上がらせているかのようだ。
 

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友人宅の藤棚

2007-05-06 | 散歩道

 昨日、散歩の帰り、市道を少し上ったところにある友人の宅を訪れた。
 藤棚の白藤がそろそろ見ごろではあるまいか、と思って。
 家の前で、ちょうど友人に会った。朝の早い人なのに、まだパジャマ姿であった。時間的には七時前だから不思議なことではない。最近、私の散歩時間が早くなっているのだ。
 「藤、見に来ました」
 と、挨拶する。
 個人の家なのに、庭先に上手に藤棚が作ってある。(写真)
 友人と一緒に房をたらした白藤の美しさを眺めた。緑の若い葉も混じり始めて、白が映えている。手入れの行き届いた藤棚である。この棚には、程よい余白の空間がある。それは白藤の美しさを一層引き立てることになっている。

 隣接する小学校の玄関先にも藤棚があり、こちらはいわゆる藤色の花が咲いている。が、棚の上で蔓が絡み合い、葉や花で込み合いすぎている。山にある藤だって、もう少し美しく枝を垂れているのもあるのに、と先日来眺めてきたのだ。
 そのことを友人に話すと、
 「剪定がしてないからね」
 とのことだった。やはり美しく育てるためには、手を加える必要があるということらしい。立派な藤棚なのに、もったいないことだ。
 傍の標識には、<平成10年卒業生一同>と記されている。記念樹なのだ。
 その後、植えっぱなしなのだろうか。植えた卒業生には、特別の愛着もないのだろうか。
 すぐ余計なことに思いをめぐらせてしまう。

 藤棚が美しければ、そこに学ぶ後輩たちの心に、小さな豊かさをもたらすことができるのではあるまいか。そんな単純な思考をもめぐらせた。
 学校には、紫色の花房を垂れた藤棚、一歩玄関を出た隣の家の庭には、白藤の棚がある。そういう得がたい環境を上手に生かして、子供たちの心に優しさを育ませることはできないだろうか。理科の勉強に役立つかどうかは分からないが、藤棚の下で絵を描いたり、作文を書いたりは可能だろう。ふと、そんなことも考えた。

 しかし、私の子供の頃を思い出すと、時代のせいもあるかもしれないが、あまり花に目を向けることもなかった。
 花に心を和ませたり、ささやかな喜びを感じたりするのは、時間的ゆとりのある老人の慰みごとにすぎないのかも知れない……。
 

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