菜の花は、幼い日への郷愁を誘う花――
黄に燃える花の風情は、
華やかなのに、
どこか寂しげで。
菜の花を眺めていると、
お花畑に、
頼りなげで、
心細そうな、お河童の少女が佇む。
それは、
遠い、昔のわたし。
今年の菜の花は、美しさが格別だったような気がする。しかし、なかなか気に入ったシャッターチャンスに巡りあえなかった。やっと「菜の花畑」らしい黄の群がりにあえたのが、岩国の吉香公園。
この時も、黄一色のお花畑に、なんだか自信なげに、幼いわたしが佇んでいた。
4月14日 岡井隆編「集成・昭和の短歌」(小学館)
会津八一(1881~1956) <来嶋靖生選>より
この歌人の歌に接する機会は今まであまりなかった。「集成・昭和の短歌」で取り上げられた多くの歌は、すべて平仮名(表音文字)で書かれている。漢字(表意文字)を織り交ぜた文章に慣れてきた者には、大変読みづらい。文語表現も多く、音読しながら、躓いてしまう歌もあった。それでも、読み進めていくうちに、次第に作者の顔が見えてくる。会津八一ならでは精神的世界も理解できる。
気に入った幾首かを書き留めておこう。
ほほゑみてうつつごころにありたたすくだらぼとけにしくものぞなき
たびびとのめにいたきまでみどりなるついぢのひまのなばたけのいろ
おほてらのまろきはしらのつきかげをつちにふみつつものをこそおもへ
あめつちにわれひとりゐてたつごときこのさびしさをきみはほほゑむ
みやじまとひとのゆびさすともしびをひだりにみつつふねはすぎゆく
(以上、「鹿鳴集」より)
まちゆけばばうくうごうのあげつちにをぐさあをめりあめのいとまを
よみさしておきたるきぞのふみさへもつちのぬくみともえさりにけり
やまばとのとよもすやどのしづもりになれはもゆくかねむるごとくに
あひしれるひとなきさとにやみふしていくひききけむやまばとのこゑ
ひとのよにひとなきごとくたかぶれるまづしきわれをまもりこしかも
うゑおきてひとはすぎにしあきはぎのはなぶさしろくさきいでにけり
ちちわかくいませるころもほたのひはいまもみるごともえつぎにけん
あなごもるけもののごとくながきよをほたのほかげにせぐくまりをり
(以上、「寒燈集」より)
別の蔵書『日本名歌集成』によると、<八一は、昭和二○年、東京で戦災に遭い、病中の養女きい子とともに帰郷、西条村の村はずれの荒廃した観音堂に移り住んだ。きい子は、二○歳から一四年間、独身の八一の身辺を支えた。疎開後病勢が進み、観音堂で死去。>とある。
このことを知って読むと、赤字の歌の心情を一層深く味わうことが出来るように思う。