今年の三月は天候が不順で、春の訪れが遅い。早いのは桜の便りばかり。「花冷え」という言葉もあるくらいだから、この時期、寒の戻りのような寒さがあっても不思議ではないのだろう。
今朝も寒かった。
山口行きの特急列車を待っているとき、空が急に暗くなったと思ったら、突然地を攻撃するかのように、大きな霰が激しく降った。冬の終わりを告げる合図だったのだろうか。
M駅を出ると、次の駅辺りから山口線は雪景色に変わった。山も川も人家も、ふんわりと柔らかな新雪で覆われている。
実は前日、私は新しい携帯電話に替えたばかりだった。初めてのカメラ付機種「FOMAらくらくホン」に。私は、いつも持ち歩くデジカメはカバンの底に沈めておいて、携帯電話を手に、そわそわとシャッターチャンスを窺っているのだった。
幾枚かの雪景色を撮影した。
県境の町、津和野も雪景色。城山にカメラを向けてみたが、車窓から撮影したものが、どんな出来になるのか、皆目分からない。
豪雪の年、昭和三十八年をはさんで、私はこの町で四年間を過ごした。
当時は、現在のような暖房器具に恵まれず、寒い冬を電気炬燵に頼って過ごしたものだ。
部屋に置いた牛乳が凍っていた朝もある。
宵の小路を寒行僧が通り過ぎてゆく、いかにも雪の夜らしい風情を、下宿の二階の部屋で感じたこともある。
雪の降る夜には、とりわけシーンとした静謐さがあった。
とにかく、津和野は、冬が、そして雪が、よく似合う町だ。
思い出も冬に結びつくものが多い。
山口県側の徳佐に近づくと、いつものことながら、沿線中で最も雪国らしい風景になる。それでも春の雪は軽やかで、すぐに溶けるに違いない。
三月の下旬にもなって、思わぬ雪景色に出遭えたことが、今日のささやかな喜びであった! (3月29日のこと)
今朝も寒かった。
山口行きの特急列車を待っているとき、空が急に暗くなったと思ったら、突然地を攻撃するかのように、大きな霰が激しく降った。冬の終わりを告げる合図だったのだろうか。
M駅を出ると、次の駅辺りから山口線は雪景色に変わった。山も川も人家も、ふんわりと柔らかな新雪で覆われている。
実は前日、私は新しい携帯電話に替えたばかりだった。初めてのカメラ付機種「FOMAらくらくホン」に。私は、いつも持ち歩くデジカメはカバンの底に沈めておいて、携帯電話を手に、そわそわとシャッターチャンスを窺っているのだった。
幾枚かの雪景色を撮影した。
県境の町、津和野も雪景色。城山にカメラを向けてみたが、車窓から撮影したものが、どんな出来になるのか、皆目分からない。
豪雪の年、昭和三十八年をはさんで、私はこの町で四年間を過ごした。
当時は、現在のような暖房器具に恵まれず、寒い冬を電気炬燵に頼って過ごしたものだ。
部屋に置いた牛乳が凍っていた朝もある。
宵の小路を寒行僧が通り過ぎてゆく、いかにも雪の夜らしい風情を、下宿の二階の部屋で感じたこともある。
雪の降る夜には、とりわけシーンとした静謐さがあった。
とにかく、津和野は、冬が、そして雪が、よく似合う町だ。
思い出も冬に結びつくものが多い。
山口県側の徳佐に近づくと、いつものことながら、沿線中で最も雪国らしい風景になる。それでも春の雪は軽やかで、すぐに溶けるに違いない。
三月の下旬にもなって、思わぬ雪景色に出遭えたことが、今日のささやかな喜びであった! (3月29日のこと)