信仰が大事だっていう話も聞くよ。でも、幸福の科学の本って、ふつうの書店で手に入るわけだし、それを読んでたらいいんじゃないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『死んでから困らない生き方』(幸福の科学出版)で、こう説いておられます。
今、みなさんは肉体に宿って生活をしていますが、肉体が人間のすべてではありません。肉体のなかには、昔から言われているように、「魂」がほんとうに入っているのです。(中略)
しかし、死を境にして、魂は肉体から遊離します。肉体は、火葬場で焼かれて埋葬されますが、魂のほうは、肉体から離れて、あの世に旅立ちます。(中略)そして、あの世での行き場所を決めるものは、この世での生き方そのものです。(中略)
あの世が、すっきりと見えたり分かったりしない理由は、やはり、この世の生活に支障が出るためです。そのため、いつの時代にも、宗教家や霊能者などが出てきて、この世とあの世の仕組み自体をきちんと教えるようになっています。
ただ、「それを信じるか、信じないか」は、各人の自由に任されています。
そして、「目に見えない世界や、目に見えない善悪などの存在を信じることができるかどうか」ということで、「魂的に向上しているか、堕落しているか」が、今世の修行として測られることになるのです。(中略)
あの世には、仏や神、あるいは天使、如来・菩薩といわれるような尊い存在もいれば、普通の人間霊もいます。そして、人間霊には、善良な人と、善良ではなかった人がいます。
さらに、悪魔といわれるような存在もいます。これは、千年以上も地獄から出てこないような人たちです。彼らも、もとは人間として生まれたことのある存在ですが、はっきり言って、生前、悪いことばかりを考え、積極的に人を害そうとしたような人たちなのです。(中略)
この世では、フェアでないこともあります(中略)が、あの世の世界というのは、かなりフェアに判定が出るのです。
神、仏の創った世界は、決して、人間の生き方を裏切るようなことはありません。
この世で苦労したら、「損をした」と思うかもしれませんが、その苦労が、それなりに正しいものであれば、あの世で報われることになります。一方、この世で楽をして、「うまくいった」と思ったとしても、それが正当なものではない場合は、死後、あの世で必ず反省させられるようになるのです。
これが真実の世界観であり、宗派を問わず、宗教を問わず、洋の東西を問わず、全世界で認められている考えなのです。(中略)
この世とあの世の真実について、いろいろと述べてきましたが、すべての人が私と同じような経験をすることはできません。そのため、宗教には、信仰というものが必要になります。
何度でも証明できる科学実験のようなものであれば、信仰は、そもそも必要がありません。(中略)ここに、宗教が、信仰というものを要求する理由があります。
もちろん、死んでからは、何人も同じような経験をするのですが、生きている間は、経験できません。
したがって、宗教指導者たちの教えることを受け入れるしかないわけです。それが、信仰の意味です。
(52~65ページ)
肉体が人間のすべてではなく、肉体のなかには「魂」がほんとうに入っている。死を境にして魂は肉体から離れて、あの世に旅立つが、その行き場所を決めるのは、この世での生き方そのものである。
宗教家や霊能者が、この世とあの世の仕組みを教えても、それを信じるか信じないかは、各人の自由に任されている。
証明可能な科学実験のようなものであれば、信仰はそもそも必要がないが、生きている間は経験できないために、宗教は信仰を要求している──。
目に見えない世界が本当にあって、死んだらその世界に還るんだなんて、いくら知識として、そんな話を知っていても、でもそれだけのことで、それで自分の生き方が変わるなんて、考えられませんよね。
その知識を、今の生き方の指針にまで高めていくことができるには、やはりそれを説いておられる方を深く信じることが必要です。
そこに「信仰」というものの姿が、現われてくるんじゃあないでしょうか。
ということで、今日は、宗教にとっては初歩的な話なんだけれども、でもとても大事な教えを、ご紹介してみました!
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『死んでから困らない生き方』
大川隆法著 |
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