ね、「如来(にょらい)」って言葉、聞いたことがあるんだけど、何のことなの? なーんて疑問もってる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『永遠の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。
如来という言葉は、菩薩同様、仏教的な言葉であって、キリスト教的には大天使といいます。また、光の大指導霊という呼び方をすることもあります。
まず、如来とは何かについて定義してみましょう。「如来」という字は、「来るが如し」と書いてあります。どこから「来るが如し」なのかというと、結局、「真如」です。悟りの妙処から、絶対の真理を体現してこの地上に来た人――これを如来といいます。
如来とはどの程度の格を持った霊人であるかを、一律に表現することはなかなかむずかしいのですが、少なくとも人類の歴史において傑出した人であることだけは疑いのないことです。
ところで、如来といわれる人がどのくらいいるか、みなさんはご存じでしょうか。霊界の人口は、一説では五百億人を超えるとも言われています。しかし、その五百億人ほどの霊人口のなかで、如来と言われている人の数は、わずか四百数十名、すなわち五百名たらずです。これだけしかいないのです。
そうすると、一億人に一人ということになります。(中略)もっとも、大きな法が説かれるような時期には、如来と呼ばれる方がたが集中して出てくる傾向があるので、地上でのその数は必ずしも特定できません。
ただ、いつの時代であっても、同時代に生きている如来の数はせいぜい数名であって、数十名、数百名の如来が同時期に肉体を持つということはありません。(中略)ここもあそこも如来だらけというのではなく、その時代のなかで、富士山のようにそそり立つ人物が如来なのです。
大きな文明の興隆期というのは、如来が競って肉体を持つ時代になります。
そうした時期としては、ギリシャでいえば、たとえばソクラテスのころがそうです。ソクラテスは如来ですし、弟子のプラトンも如来、プラトンの弟子のアリストテレスも如来です。同じころにピタゴラスもいました。しばらく時代が下ったころには、アルキメデス(九次元存在)もいました。こうした諸如来がギリシャという地を中心に出ていたわけです。
古代中国では、孔子(九次元存在)、老子、荘子、墨子が如来です。こうした方がたが古代中国の文化をつくってきたのです。
キリスト教系でいえば、イエス・キリストが如来(九次元存在)ですし、イエスの先触れをなしたバプテスマのヨハネも如来です。また、ユダヤ教系の預言者の歴史に出てくるエレミヤやエリヤにしてもそうです。こうした方がたは如来だったのです。(中略)
このように、文化的な高み、時代の高みをつくるために、如来が出てくるのです。そして、法の中心、あるいは文化や芸術の中心として活躍し、時代を押し上げることになります。
やがて、如来がつくった文化や文明が衰えると、次に諸菩薩がポツリポツリと出現して、それを復興します。それがまた衰えると、再び如来が出てきて新たなものを起こしていきます。こうしたくり返しとなっているのです。
(206~210ページ)
如来とは、キリスト教的には大天使といい、光の大指導霊という呼び方もあって、「真如」(悟りの妙処)から、絶対の真理を体現してこの地上に来た人のこと。
少なくとも人類の歴史において傑出した人であって、霊界五百億人のなかでも、わずか四百数十名しかいない。
ただ、大きな文明の興隆期は、如来が競って肉体を持つ時代になる──。
そして、大川隆法先生は、現代はまさにその大きな文明の興隆期にあたるんであって、日本こそがその新文明の発信基地になる国だって、教えてくださってる。
これは、いろんな意味で、とっても凄いことではないかと私は心から思っているのです。
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『永遠の法』
大川隆法著 |
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朝からものすごく勉強になりました!
だいたい普通の時代で一億人に一人の割合で生まれている如来。
大きな教えが説かれる時は集中するようですが、今のエル・カンターレの教えが説かれている時代、これだけのかなりの如来が生まれている。
教えの大きさを物語っていますね
暖かいお言葉、ありがとうございます。
私もこれまで、この教え(仏法真理)の大きさは、それなりに理解していたつもりだったのですが、今年に入って「宇宙人シリーズ」(今日の記事でもご紹介しました)の霊言が公開されはじめたのを見るにつけ、まだまだこの教えの広大さや深さ、そしてエル・カンターレの持っておられる能力の凄味を、本当には分かってなかったんだという気が、ものすごくしており、もっと勉強していきたいものだと思っています。
というわけで、またお気軽に、ときどき遊びにきてくださいね!