幸福の科学の霊言って、どうして、特別なことをしないで、大川隆法先生に霊が降りてくるなんてことが起きるの? 何かの儀式をやったり作法があったりして、初めて霊が降りてくるのが普通だと思うけど、大川隆法先生のは、全然違うでしょ。どうして、そんなことができるの? なーんて疑問もってる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『フランクリー・スピーキング』(幸福の科学出版)で、こう解説しておられます。
これは、霊的能力のあり方が、通常のものとは、やはりちょっと違うのだと思っていただきたいのです。
よく霊媒現象と同じように言われることもあるのですが、大きく分けて言うと預言者型と霊媒型というのがあります。本人の意識が全然なくならないかたちで、神の声が聞こえたり、その姿を見たりするのが預言者型です。本人の意識がなくなるようなかたちで、霊が支配していろいろなことを語り、気がついてみたら、本人は何を言ったかわからなかったというのが霊媒型です。大きくはその二つに分かれているのです。
ただ、仏陀とかキリストとか、ああいう救世王的な立場に立った方を見てみますと、具体的には預言者型でも霊媒型でもない霊能力のあり方をしているのですね。それは、説法そのものが仕事ですから、霊示を受けてただ語るというだけではなくて、自由自在にいろいろな高級諸霊が入ってきて話をしているのですね。そういうやり方が、釈迦の説法に八万四千の法門があるというようなことになるわけです。いろいろな高級諸神霊の力を借りて話をしているから、多様な教えが説けるのです。当会もそれは同じです。
それは、肉体を持っている人間の霊格のほうが、あの世にいる神々とか高級諸霊と言われる人の霊格よりも高い場合にのみ起きる例外現象なんですが、それが起きているわけなのです。要するに、肉体のなかに入っている霊の力のほうが、あの世にいて指導している指導霊と言われるものよりも、パワーが上なんですね。そういうときにのみ、こういう自由自在なかたちでの霊現象が起きるんです。普通は、高級神霊が降りてくると、地上の人間の霊というのは力が弱いですから、支配されてしまうんです。完全に支配されて、自分の意見も何もなくて、もう彼らのものだけが出るというかたちになる。あるいはその逆に、地獄霊に憑依されて、何をしているのかわからないというのもあります。
預言者というもののなかで、単に啓示を受ける、字が見えるとか声が聞こえてくるというだけの預言者も、数はかなり多いです。そういう人の場合には、教えはそんなに量が出ないのが特徴です。ターニング・ポイントで、時々、神が霊告を与えて、「こうしなさいああしなさい」というようなことが出てくる程度なんです。(中略)
ところが、法そのものをつくるところまでいくと、ある意味で、預言者を超えたものなのです。その説明としては、先ほど言ったように、例外的に、地上にいる人の霊格が、通信を送っている霊人たちより高いときが、たまにあるということです。
(120~123ページ)
霊的能力のあり方が、通常のものとはちょっと違うのだと思っていただきたい。
仏陀やキリストなど、救世王的な立場に立った方は、預言者型でも霊媒型でもない霊能力のあり方をしている。
それは、肉体を持っている人間のほうが、あの世の神々や高級諸霊の霊格よりも高い場合にのみ起きる例外現象である──。
「肉体を持っている人間のほうが、あの世の神々や高級諸霊の霊格よりも高い」とは、どういうことでしょうか。
つまりは、肉体を持って「霊言」をしておられる大川隆法先生が、仏陀(ぶっだ)であるにとどまらず、「エル・カンターレ」という、とても偉大な霊存在であるということ。
だから、「あの世の神々や高級諸霊の霊格よりも高い」ということを、誰もに分かりやすく解説して下さっていたのだと、改めて私は思っているのです。
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『フランクリー・スピーキング』
大川隆法著 |
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