週末を原村で

非日常性のユッタリした時の流れを信州は原村で。音楽を聴きながら星を眺め!最近は海外の旅の記事もアップします。

§ 民主主義と共産主義(ソビエト連邦崩壊と共産主義)

2017年01月11日 12時52分37秒 | たわごと(少し硬派に振って)
ソビエト連邦が崩壊したとき、自分はてっきり日本共産党も崩壊すると思っていた

日本共産党が何と言うが、共産主義は民主主義を受け入れる事の出来ない主義であるからだ。

ソビエト連邦は世界で共産主義政治体制を具現化した最初の国であり、その盟主が崩壊したのである。
国民が共産主義を否定したのである。
民主主義ではない、権力者が政治を司る専制君主の時代ならいざ知らず、民主主義・自由主義社会の軍門に下ったと思い込んでしまったのである。
専制君主体制・帝国主義社会での権力者に搾取される国民が苦しむ世で有ればその存在意義のある共産主義だと思っていた。

武力革命を目指さずとも、主権者たる国民が共産体制を望めば政権移行が可能な民主主義体制です。
民主主義体制とはそれ程、懐の広い政治体制です。
国民の絶対数が望むなら可能な20世紀でした。
反対に、共産主義体制では政治体制の変更は、是認できないのです。
すなわち、共産主義体制から民主主義体制の政治体制に戻る事は共産主義の否定に他ならないからです。
民主主義体制下では、自由主義の政党も共産主義の政党も社会主義の政党も超右翼的な政治体制の政党も民主主義の政党も全て包含する事が出来るのです。
党首が一人で有っても、政党を設立して政治活動をする事が可能なのです。
その党首がどんな政治的信条を持ち主義主張を述べる事も可能なのです。
国民の共感を得る事が出来なければ、その主義主張の政党は大成することはなく、政治勢力として厳然たる地位を議会に占める事は叶わないのです。
でも、その主義主張に同感し支持する人が居れば存続する事が可能なのが民主主義なのです。

しかるに、共産主義体制では共産主義を否定する政党は存続する事が基本的に許されません。
許されていたとしても、実際は共産党の御用政党なのです。
共産主義国家にあっても民主主義が実践されていますよとの広告塔でしたありません。
共産主義と異なる政党は共産主義を否定することと同じなので、共産主義国家では認める事が出来ないのです。
それは、共産主義の宿命なのです。
その共産主義の本質からして、ソビエト連邦が崩壊した時に日本共産党も崩壊すると思い込んでいた私でした。
でも、実際は日本共産党は今も厳然と存在しているのです。
武力革命を目指していた党是はとっくの昔に廃止しましたが、日本共産党にあっても民主主義は相いれないのです。
日本共産党幹部も共産主義と民主主義の根本的な相反には気が付いていますから、いち早く手を打ったことは当たり前です。
ソビエト連邦もその他、地球上に存在した共産主義を標榜した国家で民主的な国は存在しないのです。
共産主義国家では、時の権力者である最高権力が民主的に選挙で選出されたことはないのです。
形式は選挙と言う方法を採用していても民主主義体制の国家で言う所の自由選挙とは異なります。
権力闘争の中から時の権力者が進出されるのです。
この事は、日本共産党が民主主義を党是の中に組み込もうがそれは机上の空論でしかありえません。
民主主義を否定する方は現在の日本では殆ど存在しないと思います。
日本共産党が民主主義を認めないでは存在できなくなってしまいます。
そこで、今では日本共産党綱領で民主主義革命を謳っているのです。
共産主義者が民主主義とは可笑しくて笑ってしまいます。
民主主義は時により、自己の意思に沿わない政権ないし政治体制になったとしても受け入れなばなりません。
自由主義政権から共産主義政権になったとしても国民の選択なら従うのが民主主義です。
共産主義体制では、国民の総意が共産主義体制と決別すると決めた時それを是認するだけの懐の広さがあるのでしょうか。
その事は共産主義の否定につながるのです。
日本共産党が民主主義革命と民主主義の語彙を使用していますが、その事自体が私には解せないのです。

私自身、日本共産党について殆ど知らずにこのスレッドを書いて居ます。
知らない私がスレッドを立ち上げるのも可笑しなことですが、言いたかった事は『ソビエト連邦が崩壊してロシアになった時、日本共産党も崩壊すると思ったからなのです。』なのです。

共産主義だから=平和は成り立たないのです。
共産主義が平和な時も、平和で無い時もあるのが現実の世界なのです。
民主的な自由主義国家でも=平和、即ち即イコールではないのです。
同じく平和な時も平和で無い時もあるのが現実なのです。
平和を念仏の如く標榜すれば平和である程、現実は甘くはないのです。

カントの「永遠平和のために」に著されている秘密が無い事が平和には必要な事を待つまでもなく、全てオープンにされなければなりません。
日本共産党の権力者の交代も選出も部外者の私からすると、密室での権力闘争ゆえの地位だと思っています。
党の中枢の責任者たる権力者が変更されないなど、私の感覚からすると党自体が民主主義とは思えません。
権力者が変更されるべきだと強く思う次第です。
長い権力の座は淀みを生み、本来の目的から逸脱するのは人間の性です。

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