のりぞうのほほんのんびりバンザイ

あわてない、あわてない。ひとやすみ、ひとやすみ。

似た人を知っています。

2010年03月28日 16時43分36秒 | 日常生活
先週、お休みしたため、久々の教会。
本日の礼拝テーマは「夢中で信じる」。
イエス様の弟子になっていたにもかかわらず、
何度も信仰で迷ってはその度に
「今、初めて本当のことが分かった!」(新約聖書 使徒言行録12:11)
と気付きなおしたペトロさんのお話でした。

牧師は彼のことを評してこうおっしゃいました。
「おもしろいでしょう?
 ペトロはここでも、また『ようやく分かった!』
 と気付くんですよ。
 お前、何回、気付き直したら気が済むねんっちゅー話でしょう?
 でも、親近感がわきませんか?
 私は好きですよ。とても人間的やと思いませんか?
 一度、おのれの道を決めたら、どんなことがあってもまっすぐ進んでいく。
 そういう人もいると思いますけど、大体の人間はペトロと同じですよ。
 何回も忘れるし、何回も迷う。
 でも、それでいいじゃないですか。
 何回も気付きなおせばいいんですよ。何回も学べばいいんですよ。」

確かになぁ、としみじみ思いました。
イエス様の弟子でさえ、迷うことがあるし、
何度もイエス様のことを疑っては、信じなおしたり
イエス様の存在に気付きなおしたりしている。
その姿を見ていると、とてもとてもほっとします。
とてつもなく親近感がわきます。

そして。
何の脈略もなく、ふとブログのことを思い出しました。
ブログに日々のことをまとめたり、本や映画の感想を綴ったりする作業は
きっと、私にとって「気付きなおす作業」なのです。
何の気なしに過ごしたり、ざっと読み飛ばしたりしているものを
改めて思い返し、何に感動したのか、
どこで面白いと思ったのかを考えて言葉にまとめる。
この作業によって、私は通り過ぎたことについて
もう一度、気付きなおしているんだろうな、と思いました。

そして、教会に行き、礼拝に出席することも
私にとって気付きなおす作業の一環なのだろう、とも思ったのでした。
私が毎週、礼拝に出席しているのは、自分の忘れっぽさ、鈍感さを
不安に思っているから。だからこそ、毎週、礼拝に出席し
神様のことを思い出してバランスをとっているんだろうなと納得したのでした。

そんなこんなで来週はイースター礼拝です。
このことすら、すっかり忘れていた私は
本日、初めて聖歌隊とチャイムの練習に出席し
自分の遅れ具合にあたふたしました。
特に今回、初体験のチャイムにはあたふたどころか、わたわたしっぱなし。
内心、大焦りです。

しかし、牧師によると「表情も声に影響する」のです。
「チャイムも歌もうまくいかんくても、誰も死にません。
 失敗したら、失敗してしもたー、ってへへへと笑えばいいんです。
 誰が怖い顔したおっさんたちの顔、見たいですか?
 へへへ、と笑ってる楽しい顔のほうが見たいでしょう?」

確かに。
ワタクシ、開き直りはとても得意です。
なんか自信が出てきたぞ!