のりぞうのほほんのんびりバンザイ

あわてない、あわてない。ひとやすみ、ひとやすみ。

【映画】この世界の片隅に/2017年日本

2021年03月06日 18時55分20秒 | 映画鑑賞
■この世界の片隅に/2017年日本
■監督・脚本:片渕須直
■原作:こうの史代
■声の出演:のん、細谷佳正、小野大輔、潘めぐみ、新谷真弓

■あらすじ
1944年2月、18歳のすずは広島から軍港のある呉の北條家に嫁ぐ。戦時下、物資が徐々に不足する不自由さの中、すずは持ち前の性格で明るく日常を乗り切っていたが、翌年の空襲によって大切なものを失う。広島への原子爆弾投下、そして終戦。すずは自分の居場所を呉と決め、生きていく。

■感想
大ヒットしたアニメーション映画。見たいと思って録画していたものの、心の余裕がなく、見れないまま時が過ぎていました。
ようやくようやくの鑑賞。心が痛く痛く痛くなったけれど、それでも一筋の希望がある映画でした。でも、やっぱりもう見直すことはない気がします。希望で終わっているけれど、やはり見終えた後に心を占めるのはやりきれなさで、もう一度、この感情を味わうのは辛い。私にとっては、そういう映画でした。

物語は1932年から始まります。「小さいころからぼぉっとしとった」ヒロインの子ども時代が柔らかい色調で優しく、懐かしく描かれます。絵を描くことが好きで想像力豊かなヒロインが家族と過ごすごくごく「普通」な日常。愛情深いお父さんとお母さん、少し怖い「鬼」いちゃんと一つ違いの優しい妹との穏やかで楽しい毎日。18歳で呉市に嫁ぎ、子ども時代は終わりを迎えるものの、知らない人ばかりの新しい環境で始まる「主婦」としての慣れない毎日もヒロインは穏やかに飄々と過ごします。

描かれるのは穏やかな日常。少しずつ少しずつ戦争が日常に影を落としているけれど、その中でヒロインはご飯を作って、お掃除をして、ご近所さんを覚えて、夫となる人と少しずつ少しずつ心を通わせて、嫁ぎ先で自分の居場所を作っていきます。笑ったり、失敗したり、怒ったり、絵を描いたりの穏やかな毎日。でも、配給のご飯はどんどん減っていきます。空襲も増えます。一日に複数回鳴り響く空襲警報。日常の中に少しずつ増える非日常の時間。防空壕を作り、警報が鳴ったら壕に逃げて、空襲の合間に配給へ並ぶ。日常と非日常が地続きで、笑顔と怒号と悲鳴が同じ空間の中にある異常な世界。
そんな中で穏やかに暮らすヒロイン、すずを休暇で訪ねてきた幼馴染は「普通やなぁ」と笑い、愛おしそうに眺め続けます。「普通」が「普通ではない」世界を如実に物語る場面。

そんな中、すずは不発弾の暴発に遭遇し、右手と姪っ子を喪います。目覚めたすずにかけられる周囲の優しい言葉。
「生きとってよかった」
「そのぐらいのけがですんでよかった」
「治りが順調でよかった」
その言葉に、物語の始めから一貫して穏やかだったヒロインが初めて心の中で反論します。強い口調で。
「うちには、何がよかったんか、ちっともわからん。」

昨日まであったもの、さっきまであった大切なものがあっけなく喪われる日常。
喪った悲しみを口にすることも憚られる空気感。
絶え間なく鳴り響く警報と爆音の恐怖。そして、広島に落とされる新型爆弾。

終戦、そして敗戦が告げられたラジオの前で、すずが放った「最後のひとりになるまで戦うんじゃなかったんね。まだここに5人もおるやないね。」という言葉からは、今まですずやすずの周りの人たち、あの時代を生きていた人たちがさせられた我慢とその痛みが伝わってくるように思いました。でも、伝わってくるなんて、おこがましくて言えない、とも思いました。私にはあの時代を生きた人たちの悲しみは分からない、分かることができない。

あの時代を生きた人たちのおかげで今の私たちがあること
そして、過去ではなく、今、この瞬間もこの映画を覆っている悲しみ、恐怖が日常となっている人たちがいること。どちらも忘れてはいけない、そう思っています。

【映画】風の谷のナウシカ

2020年07月05日 05時51分46秒 | 映画鑑賞
珍しく息子さんが夕食にそこまで時間をかけなかったので、親子三人でゆっくり映画鑑賞できました。
結論として、良い作品は何度見てもやっぱり良い。この一言に尽きました。・・・一言に尽きる、と言いながら、うだうだとまだ感想を綴り続けるわけですが。

「時代」や「古さ」を感じさせないどころか、新型コロナウィルスに振り回された毎日を送っている今、この作品はどこか「今の私たちの生活」をデフォルメしたような作品のようにさえ思わされました。
作品を通して強く訴えられる「共生」の考え方も、今まさに必要だと思っているもので、私たちは、この数十年、同じ課題を抱えて生きていること、そして、どんどんその課題が大きく、重たくなっていることを実感させられた夜になりました。なんでも今、「風の谷のナウシカ」を含むジブリ4作品は全国の劇場で公開されているみたいです。

今回、見返して、特に強く心を揺さぶられたのは、ナウシカが瘴気が濃い中でマスクを外し、「飛行船が落ちる」と諦めている自国の老人たちに「大丈夫!わたしを信じて!」と笑いかける場面と、クライマックスでナウシカが王蟲の子供と共に王蟲の大群の前にそっと降り立つ場面でした。どちらの場面も、ナウシカが向き合っている人たち(そして蟲。すべての生き物)に寄り添っていて、その「寄り添い」の心が事態を変えていきます。結局のところ、誰かを、そして世界を動かすのは「正義」でも「武器」でも「権力」でもなく、「希望」と「受容」なんだ、と改めて強く思いました。

正しいことを訴えても、慌てふためている人たちには伝わらない。けれど、「大丈夫」と笑顔を、そして希望を見せることで、生きる力を取り戻させることができるのです。
怒りで我を忘れている王蟲の大群を武器で迎え撃っても、王蟲たちはまったくひるみません。火の七日間を巻き起こしたという巨神兵の火力でさえ、王蟲たちにはダメージを与えません。けれど、「子どもを群れに返す」というナウシカの選択、行動は王蟲の怒りを慈愛といたわりの気持ちに変えていきます。

火を使って、正義も振りかざし、自分たちの信念を貫き通すことで、事態はどんどん悪化していく。そんな混とんとした世界の中で、ナウシカと風の谷の人たちは「この世界を受け入れ、共に生きていく」のです。必要なのは駆逐ではなくて、受容。勇気づけられ、そしてその課題の重さ、難しさに胸が痛くもなりました。

うまく言葉がつかめなくて、もどかしいけど、でも願うのはひとつ。
どうか息子たちが生きていく明日が「笑顔」や「寄り添いの心」で満ちたものとなりますように。息子たちが怒りで満ちた世界を生きていくことになりませんように。

【映画】ゼロ・グラビティ/2013年アメリカ

2016年06月11日 07時19分15秒 | 映画鑑賞
■ゼロ・グラビティ/2013年アメリカ
■監督・脚本:アルフォンソ・キュアロン
■出演:サンドラ・ブロック、ジョージ・クルーニー

■あらすじ
地表から600キロメートルも離れた宇宙で、ミッションを遂行していたメディカルエンジニアのライアン・ストーン博士(サンドラ・ブロック)とベテラン宇宙飛行士マット・コワルスキー(ジョージ・クルーニー)。すると、スペースシャトルが大破するという想定外の事故が発生し、二人は一本のロープでつながれたまま漆黒の無重力空間へと放り出される。地球に戻る交通手段であったスペースシャトルを失い、残された酸素も2時間分しかない絶望的な状況で、彼らは懸命に生還する方法を探っていく。

■感想
公開当初から、どうも好みとは異なる映画っぽいなー、と思ってはいましたが、その通りでした。
私はどうやら映画に対して、映像の美しさとかCGのリアリティなんてものを皆目求めていないようです。むしろ、CG比率が高ければ高いほど、興味を失ってしまう傾向にあるような気もします。(おそらく、その技術の高さやすごさを理解できていないのが大きな要因だと思われます。)
私が映画やドラマに求めるものは人と人が関わりあって発生する感情の流れや、思いがけない出来事なんだな・・・ということを改めて思いました。

とはいえ、ジョージ・クルーニー演じる宇宙飛行士、マットはとても魅力的でした!
絶望的な状況の中で理性やライアンへの思いやり、そしてユーモアを失うことなく、冷静に冷静にあろうとしていた姿は「いろんな体験をしてきたベテラン宇宙飛行士だからこそ」という感じで、すごく頼りがいがありました。それだけに彼が状況を冷静に判断し、下す決断はきつかったなぁ・・・。
私は映画にどうしても「ご都合主義」を求めてしまうため、最後までふたりでがんばってほしかったな、と思いました。

我ながら深みのない映画感想だなー、と思います。つまるところ、私はこの映画にまったく入り込めなかったのです。寂しいことに。

【映画】海街diary/2015年日本

2016年06月08日 21時43分38秒 | 映画鑑賞
■海街diary/2015年日本
■監督・脚本:是枝裕和
■原作:吉田秋生
■出演
 綾瀬はるか、長澤まさみ、夏帆、広瀬すず、樹木希林、リリー・フランキー、風吹ジュン、大竹しのぶ、

■感想 ☆☆☆*
長澤さん目的で録画し、視聴。
前評判通り、お色気担当の長澤さんはのびのびと健康的なエロスを振りまいていました。キュートな色気を振りまく長澤さんが大好きです。
長澤さん目的で見ていたものの、四姉妹それぞれに個性的で、しかもその個性がとても魅力的で四人の生活を楽しく羨ましく見届けました。

綾瀬さん演じる不器用でかたくなな感じの長女、幸。その長女に対してコンプレックスと反発心を抱きながらも一番の理解者となる次女、佳乃。姉ふたりとバランスよく要領よく距離を取るかつての末っ子、千佳。そして、彼女たちの異母姉妹となり、彼女たちから父親との生活を奪ってしまったという負い目がどこかにある末っ子、すず。それぞれがそれぞれを思いやりあいながらも、距離が近すぎてぶつかったり、遠慮が過ぎて距離をとりあぐねたりする様子がいかにも「女姉妹」という感じで、なぜか親近感を抱いてしまいました。特に長女と次女の関係がほほえましくて好きだったな。

実のところ、この映画を見るまではあまりのすずさんフィーバーぶりにややひいていたのですが(天邪鬼なもので・・・・。)、でもこの映画のすずさんはとても印象的で彼女から目が離せなくなる気持ちがすごくよくわかりました。思春期の女子ってそれだけで魅力的だと私は強く思っているのですが、なおかつすずさんはお姉さん三人との複雑な関係に揺れ動く気持ちを丁寧に演じていて、だから放っておけなくなる、かつ目が離せなくなってしまうのかな、と思いました。

そして、そんなすずを静かに見守る夏帆さん演じる三女、千佳の存在がいぶし銀のように光っていたように思います。彼女は四人の中でもっとも目立ったエピソードがなく、地味な存在なのですが、でも、四人の中でもっとも大人だったんじゃないかな、すずのことも一番姉らしく静かに見守り続けてくれていたように見えました。なんだかよくわからないですが、でも彼女のことがとても好きでした。長澤さん演じる次女、佳乃は私にとって憧れの存在、そして夏帆さん演じる三女、千佳ちゃんは、ぜひともお友達になりたい存在、かな。

それにしても!
樹木さんとさんと大竹さんの存在感と来たら!画面に出るだけで雰囲気が変わるなー。

【映画】エイプリルフールズ/2015年日本

2016年05月23日 20時08分33秒 | 映画鑑賞
■エイプリルフールズ/2015年日本
■脚本:古沢良太
■出演
 戸田恵梨香、松坂桃李、ユースケ・サンタマリア、小澤征悦、菜々緒、戸次重幸、宍戸美和公
 大和田伸也、寺島進、高橋努、浜辺美波、山口紗弥加、滝藤賢一、高嶋政伸、りりィ、岡田将生、生瀬勝久
 小池栄子、千葉雅子、窪田正孝、矢野聖人、浦上晟周、木南晴夏、古田新太、富司純子、里見浩太朗

■あらすじ
2015年4月1日エイプリルフール。1年に1度だけ嘘をついていい日。この日、街は朝から様々な嘘で満ち溢れていた。なにげなくついた嘘がウソを呼び、あちらこちらで大騒動! 嘘の中に隠されていた真実が少しずつ絡み合い、一日の終わりに奇跡を起こす。

■感想 ☆☆☆
何も考えずに楽しくアイロンかけをしながら見ました。映画館に見に行くほどではないけれど、でも、テンポよく楽しめる面白い映画でした。
嘘はよくないけれど、でも確かに嘘が誰かを救うこともあるし、嘘に助けられることもある。誰かを思っての嘘だったり、嘘をつくことで自分も救われたりすることもある。そんなふうに思える映画でした。

ただ、群像劇だけに、「これ、本当に必要かしら?」というエピソードやドタバタ煩い場面も多かったかなー、とも思います。もう少し話を絞ってもよかったんじゃないかな。出ている役者さんたちはみんな好きだからこそ、「これだけ?!」と勿体なく思う部分もありました。窪田くんファンの友人なんて、これっぽっちの使われ方には相当不満が噴出するんじゃないかしら・・・。

里見さんと富司さん演じる老夫婦のエピソードはとてもとても素敵でした。こんなふうにお互いを思いやりあいながら、ともに年を重ねられる夫婦になりたいなあ、と素直に憧れます。そして、素敵な夫と巡り合えた富司さんが対人恐怖症のヒロイン、戸田さんの片思いを見抜き、そっと背中を押してあげたことがこのお話の始まりだったということが終盤に分かるのも心温まる伏線でした。ドタバタしているんだけれども、どこか優しい気持ちになれるお話だった気がします。

ただ、それだけにラストのとってつけたようなSFネタのオチがとても残念でした。
しっかし、豪華な出演陣だったなー。そして、この豪華な出演陣の中で群を抜いて存在感があったなー。パーマネントをかけた高嶋さん・・・。いつの間にやら怪優専門みたいな位置づけになっている気がします。そして、その位置づけを高嶋さん自身がものすごくものすごく楽しんでいるようにお見受けします。楽しそうだった!

映画「パーフェクト・ワールド」1993年米国

2016年05月05日 00時09分10秒 | 映画鑑賞
■映画「パーフェクトワールド」1993年米国

■ストーリ
1963年秋のアメリカ合衆国テキサス州。刑務所から脱獄したテリーとブッチは、逃走途中に民家へ押し入る。彼らは8歳の少年フィリップを人質に逃亡するが、ブッチはフィリップに危害を加えようとしたテリーを射殺し、ふたりで逃避行を続ける。
ブッチを追跡する警察署長のレッドは、少年時代のブッチを少年院に送った元保安官であり、それを契機に常習犯となったブッチに対して責任を感じ、己が手で彼を逮捕しようと思っていた。レッドの捜査には犯罪心理学者のサリーが同行、ふたりは反発しつつも徐々に打ち解けていく。
一方、宗教的に厳格な母子家庭で育ったフィリップと、彼に対して父親のように接するブッチとの間には友情が芽生えていく。自らの父がかつて一度だけよこしたアラスカからの絵ハガキを大事に携行していたブッチは、フィリップを連れてアラスカ(パーフェクト・ワールド)を目指す。

■出演
ケビン・コスナー、クリント・イーストウッド、T・J・ローサー、ローラ・ダーン

■感想 ☆☆☆☆
寂しい、やるせない映画でした。ハッピーエンドはありえないと思っていたけれど、ブッチとフィリップ、ふたり共に幸せになれることを願わずにはいられない映画でした。
肉親の愛情に飢えていて、今も父親がたった一度送ってくれたハガキを大切に持ち歩いていたり、母親のことをいとおしそうに懐かしんだりするフィリップは父親のはがきに描かれているアラスカを理想郷と信じ、フィリップとともに永住地としてアラスカを目指します。けれど、ブッチはアラスカを目指しつつも、自分がアラスカにたどり着けられることをまったく信じていない気がします。自分には幸せはやってこない、と確信している気がします。その孤独の大きさに飲み込まれそうになりながら、映画を見続けました。
もちろん、彼が抱える孤独がどんなに大きかったとしても、犯罪は許されることではありません。けれど、暴力でしか自分の感情を外に発露できなかった彼のこれまでを考えると、彼の犯罪を断じるだけではきっと何の解決にもならないだろうな、とも思ってしまうのです。「寂しい」とか「愛されたい」という気持ちを口に出すことすら許されず、心の中に押し込めるしかなかった人生って何なんだろうと思わずにはいられません。

そして、8歳にしてブッチの孤独に寄り添えてしまうフィリップ。彼がブッチに親しみの気持ちを抱いてしまうのは、きっと彼もブッチと同じぐらい大きな孤独を抱えていたから。母親や姉がいて、愛情を注がれてはいるけれど、それでも「父親」というものにほのかな憧れを抱いていて、でも懸命に自分を愛してくれる母親を見ていると、父親への憧れを口にすることはできなくて、口にできないからこそ、その憧れの気持ちは更に更に大きくなっていくのではないのかな、と思いました。そして、母親の信じる宗教上の理由から、周りの友達の多くが体験している「楽しいこと」や「面白いこと」も経験できないでいる不自由さ。周りの友達をうらやましいと思ってはいても、母親のことが大好きだから、その気持ちを口にすることもできずにいて、我慢に我慢を重ねているからこそ、自分が手にしていないもの、自分には与えられていない父親という存在への渇望が大きく、余計に孤独を大きくしてしまっているんだろうな、と思いました。

少しずつ少しずつお互いを思いやり、心を通わせていくブッチとフィリップ。ほんの少し癒される孤独。それでも満たされない寂しさを抱えてアラスカを目指すふたりの旅は、想像通りの結末を迎えます。それでも最後の最後までお互いを思いやり続けるふたりの姿により一層やるせない気持ちを掻き立てられました。どんな結末であれ、「めでたし、めでたし」はないとは思っていたけれど、それでもふたりの孤独がもう少し癒されればよかったのに、と、映画が終わった今も願わずにはいられません。もしかすると、ブッチはフィリップに対して父性のような愛情を抱くことがなければ、ひとりで他の土地へ逃げおおせることができずにいたのかもしれません。けれど、やっぱり人生の最後に「寂しい」という気持ちを通い合わせられる相手に巡り合えたことはブッチにとっては意味あることだっただろうと思うし、それはきっと「幸せ」なことだったに違いない、と信じたい気持ちで映画を見終えました。

[映画]ランボー2 怒りの脱出/1985年米国

2015年02月11日 11時40分45秒 | 映画鑑賞
■ランボー2 怒りの脱出/1985年米国
■監督:ジョージ・P・コスマトス
■脚本:シルヴェスター・スタローン、ジェームズ・キャメロン
■出演
シルヴェスター・スタローン、リチャード・クレンナ、チャールズ・ネイピア、スティーヴン・バーコフ、ジュリア・ニクソン

■感想 ☆☆☆*
「ランボー」とセットで見た「ランボー2」。「ランボー」は油断して見てしまいましたが、「ランボー2」は「アクションといえども、それだけじゃないよ。」という心の準備をかなり気合を入れて挑みました。が、あえなくノックアウト。現実と見事にリンクをしているような人質のエピソードに、なぜ私たちは同じことを繰り返してしまうのだろう、なんでもう30年も前に公開されたこの映画の題材がまったく古びることなく、今の世の中に通用してしまうのだろう、と痛む心を抱えての鑑賞となりました。
「ランボー」はやるせない気持ちを十分に味わったけれど、心置きなく主人公、ランボーに肩入れして見ることのできる映画でした。けれど「ランボー2」はランボーの怒りが大きすぎて、そして、国に忠誠心を持っているランボーは人を殺すうこと、ベトナム兵(やその背後にいるロシア兵)と戦うことには何の疑問も抱いていなくて、躊躇なく行動に移す姿が、よりいっそう「今このとき」を象徴しているようでひたすらに哀しく、心痛い2時間でした。

元上官のトラウトマン大佐がランボーを訪れるところから映画は始まります。彼は、服役中のランボーに、ベトナムの捕虜収容所付近へ潜入し、ベトナム戦争から10年以上経過しているにも関わらず、今なお囚われている戦争捕虜の証拠写真を撮影して帰ってきてほしい、と依頼します。
実際にベトナムで戦っていたために、捕虜がいるのであれば、捕虜を助けたい、と純粋に願うトラウトマン大佐。一方で、できれば「捕虜なんていない」という証拠を押さえてほしいと願う政府は、今なお捕虜がいることが分かると、捕虜を助けるために国防費からお金を投じなければいけないし、捕虜やその家族へも莫大な補償金を支払う必要が出てくる、捕虜がいたとしても、いなかったことにしたい、と画策します。
そんな上層部の思惑の違いなどなんのその、ランボーはひたすらに自分の信じる正義のため、命令を無視して捕虜たちを助け始めます。

しかし、無敵のランボーといえども、助けてくれると想定していた自国の軍から見捨てられた状態ではベトナムから脱出することかなわず、一度は捕虜を助けだしたものの、捕まってしまいます。捕まったランボーが虐待を受けながら「国に助けを求めろ。」と命じられる場面は、今このときに見ると、フィクションと分かっていても、つい現実と重ねざるをえない迫力で、正面から見ることができませんでした。
どんなに痛めつけられても、決して屈しようとしないランボーを見て、ターゲットを捕虜に変更するロシア軍兵士。自分の命ではなく、仲間の命を人質にとられ、初めて動揺を外に出すランボー。この映画が公開されて30年も経つのに、この場面が今とリンクしている、というその事実が私を打ちのめした気がします。

絶体絶命のピンチを乗り越え、すべての人質と共に脱出するランボーは、躊躇することなく、ベトナム兵を壊滅し、すぐ近くの村でも殺戮を繰り返し、一見ベトナム兵とは関係なさそうに思える普通の村人たちをも巻き込み、大脱走を繰り広げます。逃げ出すためには手段を択ばない。やられないために、やられる前にやりかえす。10年以上も捕虜として劣悪な環境で過ごしてきたアメリカ兵をアメリカに連れ帰りたいと願うランボーの気持ちはよく分かる。彼らを実際に虐待し続けていたベトナム兵とロシア兵に怒りを覚える気持ちもわかる。何より、彼らを「なかったこと」にし、見捨てた国や政府に大きな怒りを覚えているランボーの気持ちもすごくよく分かる。
けれど、怒りを原動力にして、目の前の敵をすべてなぎ倒して道を作り出すランボーの姿にはどうしても共感できず、だからといって、ここでは「話し合えばわかる」というような理想論は絶対に通用しないことも容易に想像できて、じゃあ、一体、私たちはどうすればいいんだろう、どうすればよかったんだろう、ということをひたすらに考えさせられる、後半部(おそらくクライマックス)でした。

映画のラストで国に絶望し、勲章を断るランボーにトラウトマン大佐は「何が望みだ?」と尋ねます。
「俺たちが国を愛しているように、国にも俺たちを愛してほしい。」というランボーの言葉に、私はおなじぐらいの大きさの共感と反感を覚えました。確かに国には(政府にも)国民を愛してほしい。「自己責任」という言葉で国民を切り捨てないでほしい。
けれど「国を愛する」という言葉にはどうしてもひっかかりを覚えてしまいました。大事な人たちがたくさんいて、生まれ育った大切な思い出があって、なじみ深い文化がある、その結果、この国を大事に思う気持ちは分かる。けれど、私たちはきっと「国」という漠然としたものではなく、具体的に思い浮かべることのできる家族や友達、すぐ近くに生きている隣人を愛するべきなんじゃないのかな。そして、遠くの国で、同じように愛されながら生きて生活しているその国の人たちがいることを忘れちゃいけないんじゃないのかな、と思うのです。

[映画]ランボー/1982年米国

2015年02月06日 18時07分09秒 | 映画鑑賞
■ランボー/1982年米国
■監督:テッド・コッチェフ
■出演者
シルヴェスター・スタローン、リチャード・クレンナ、ブライアン・デネヒー

■感想 ☆☆☆☆
アクション映画というものをほとんど見たことない私に、地元友達が勢い込んでそのジャンルでは「名作」と名高い作品を複数借りてきてくれました。見たことない私ですらタイトルは知っているような有名作ばかり。そして、見たことある人からすると、おそらく「なぜに今頃?」と首をかしげるに違いない昔の作品ばかりです。(しかし、私同様、アクション映画に疎い妹さんや母上はタイトルを伝えても「あ。聞いたことあるー。」という反応でした。この反応からも私がいかにアクション映画と縁なく育ったのかが分かるってもんです。)

というわけで、「アクション映画ね。おっきい音させてどんぱちしたり、人の生き死にに関わる場面が多かったりするんでしょ?覚悟して見ますよー。」ぐらいの心の準備で見た「ランボー」。「アクション映画見るよ。」ぐらいの心の準備じゃ全然足りませんでした。主人公、ランボーの抱える虚無感、孤独、痛みの大きさに胸が張り裂けそうになりながら見終えることになりました。ホント、生半可な気持ちで見る映画じゃなかった!もっと真剣に心の準備をする必要があった!思わず、見終わった後、地元友達に「最初にちゃんと言ってよ!」と八つ当たりしてしまいました。

戦友を訪ね、山間の田舎町にやってきたベトナム帰還兵ジョン・ランボーが、ようやく探し当てた友人の家族から息子の死を告げられるところから映画は始まります。とぼとぼと寒そうにさびしそうに来た道を引き返すランボー。そんな彼を巡回中の町の保安官ティーズルが見つけます。彼はランボーの貧相な格好や流れ者のような雰囲気を忌み嫌い、「この街から出ていけ」と高圧的な態度で告げますが、なぜか異様に反抗的なランボーはその勧告に応じず、結局、拘置所に連れて行かれることに。よそ者に対して閉鎖的、かつ居丈高な保安官たちから拘置所で拷問を受けた彼は、ベトナムでの出来事をフラッシュバックで思いだし、保安官を暴力で振り払います。そのまま山へ逃げ込んだランボーはいつしか保安官たちと戦うことに・・・というのが大まかなあらすじ。

ランボーひとりに対して町の保安官、ひいては州警察、と大がかりな組織が対抗に乗り出すものの、驚異的な体力、かつ鍛え抜かれた軍事センスの持ち主であるランボーの前に次々と犠牲者が出てなす術もない、という話です。
アクション映画の金字塔と言われているだけあって(言われている、と勝手に思っています。だって、私ですら知ってる作品だもの。)アクション場面は見事。びっくりするほど若いシルベスタ・スターローンが体を張って手に汗握るアクションを次々とこなします。

けれど、この映画が描いているのは派手なアクションで大活躍する無敵のヒーローではなく、あくまでも戦争で傷つき、未だに悲しみから立ち直れないベトナム帰還兵。ランボーが抱える孤独と哀しみ、ランボーだけでなく、ランボーと共に戦った仲間たちを含めた「彼ら」のやりきれない思いと境遇に静かに焦点を定めた映画でした。
国のため、と信じ、命をかけて戦ってきたランボー。それなのに、戦争に負け、戻ってきた彼を待っていたのは「あの戦争は間違っていた」という国民たちの声でした。戦争に貢献し、英雄として多くの勲章をもらったにもかかわらず、国に帰って来てみれば職もなく、命を呈して守ったはずの国民からは、ベトナム帰還兵と言うことでいわれなき差別を受けます。
国のため、と信じて戦った彼が守ってきたはずの国民から反発される寂しさ。英雄だったはずなのに、職もなく生活も安定しない不安と屈辱。最も辛かった時期を共に支え合った仲間たちを襲う化学兵器の影響による死。共にあの頃を思い出したり、今を嘆きあったりする相手もいない孤独。
何もかも失ったランボーに、町の保安官ディーズルが「町を守るため」と彼を追い出そうとするのが冒頭の場面です。守ってきた「国」の一部分である「町」の保安官から「町を守るため」と追い出される理不尽さ。
 言われるままに戦ってきた末にすべてを失ったランボーだからこそ、権力の象徴のような保安官の理不尽な命令に反抗的になったんだろうな、と納得しました。

 最も印象に残ったのは、山に立てこもったランボーがかつての上司トラウトマン大佐と無線越しに会話する場面でした。戦場で助け合い、信頼し合った父親のような上司からの呼びかけに迷った末に応じるランボー。おそらく彼はこの無線が逆探知されていることも分かっていたからこそ、迷った上で呼びかけに応じていて、その長い逡巡にトラウトマン大佐への信頼の大きさが伺えました。冒頭からほとんどセリフがなかったランボーはここでも言葉少なく、トラウトマン大佐の呼びかけに必要最低限の言葉で応じます。そんな彼が絞り出すように発した「みんな死んでしまった。」という報告に、彼の悲しみの大きさが伝わってきました。
映画ラスト間近、クライマックスでのランボーの独白場面も十分に胸迫るものがありましたが、私は声高に理不尽を訴えるこの場面よりも、暗い狭い山中の洞窟の中から言葉少なく語る彼の声と暗い画面の中、何度もクローズアップされる彼の伏し目がちの黒目のほうが彼の孤独と虚無感を強く伝えてくれていたように思いました。

 ラストに向けてどんどん破壊行動を続けるランボーは、きっと未来を生きることも明日を迎えることも望んでいなかったのだと思います。望むどころか、きっと彼は明日が来ることを想像すらできなかったのだろうと思うのです。あまりに孤独が大きくて、彼には「今」しかなかったし、自分が抱えるやりきれない思いを、理不尽な現実に対する怒りを、今、吐き出さずにはいられなかった。そして、吐き出せば吐き出すほど、その怒りも虚無感も増幅してしまったんだろうな、と思いました。

 私は歴史に疎い人間なので、ベトナム戦争がどうやって起こったのか、なぜ間違った戦争だったといわれているのか、どうやって終息したのか、アメリカがベトナムで何をしたのか、すべてをふんわりとしか知りません。でも、結局のところ、戦争に正しいも間違いもないんだな、ということを改めて強く思いました。正しい戦争なんて絶対にない。戦争に正義なんてない。どの戦争も哀しい結末しか生まない。そして、最も傷つき、痛むのは、ランボーのように何も知らず、行かされた人、国を信じて行動した人たちなんだろうな、と思いました。

[映画]アンストッパブル/2010年米国

2015年01月17日 07時44分21秒 | 映画鑑賞
■アンストッパブル/2010年米国

■監督:トニー・スコット

■出演
デンゼル・ワシントン、クリス・パイン、ロザリオ・ドーソン、ケヴィン・ダン、リュー・テンプル、デヴィッド・ウォーショフスキー

■ストーリ
2001年5月にオハイオ州で発生したCSX8888号暴走事故をもとに制作された映画。
ペンシルベニア州にある操車場で、最新鋭のディーゼル機関車「777号(トリプルセブン)」の牽引による貨物列車が操作ミスによって無人のまま、猛スピードで暴走を始めた。列車には19万リットルのディーゼル燃料、発火性の強い有毒化学物質が大量に積載されていることも判明する。このまま暴走を続ければスタントン郊外の急カーブで脱線し、搭載している可燃物によって大惨事になることは避けられない。
旧式機関車1206号で貨物輸送の勤務中だったベテラン機関士フランクと新米車掌ウィルは777号の状況を知り、追跡を始める。

■感想 ☆☆☆☆
これまた、普段だったらまったく選択肢に入らなかったであろう映画です。嫌いでも苦手でもないけれど、強いて見ようとはしないジャンルで、誰かと映画を見ると、こういう出会いがあるんだなぁ、としみじみ思いました。面白かった!息詰まる展開の中、登場人物ひとりひとりが自分たちの役割をそれぞれの場所で全うしていて、見終わった後、清々しい気持ちになりました。

デンゼル・ワシントンがとにかくかっこいい。年を重ねて、たたずまいや表情がますます素敵になっていく俳優さんだなぁ、としみじみ眺めてました。そして、ロザリオ・ドーソンが責任感強く、決断力あふれる女性をかっこよく演じてました。素早い決断力も、上司への忌憚ない意見の述べ方も、どれもこれも非常にかっこよかった!なおかつ、同僚へは温かみのある気さくな態度で接していて、こんな女性と一緒に働きたい、と強く思いました。
でも、実は登場人物でもっとも好きだったのは、普段はちゃらちゃらしているものの、事故について報告を受けた瞬間、自家用車で貨物列車を追跡し始めた溶接工、ネッドです。マッドサイエンティストみたいな風貌、軽薄な口調と誠実、真摯な仕事への姿勢のギャップが大きくて胸がときめきました。

機関車の暴走シーンの迫力がすばらしく、これは映画館で見たら更にこの映画の中の世界に呑みこまれたんだろうなぁ、とちょっぴり残念な気持ちに。テレビだとどうしても宣伝が入るため、高まる緊張が途中でぷつんと切れてしまうのです。もっとも、心臓がずっとドキドキしっぱなしだったので、定期的に心臓を休められることができてよかった、と言えないこともありません。

映画開始時、「この映画は実際に起こった事故を基にしている」というクレジットが表示されていたため、一体、どこまでが実話なのかしら?と気になり、いつも非常に頼りにしているうぃきぺでぃあ大先生に尋ねたところ、貨物列車に発火性の強い化学物質が搭載されていたところとか、危険地帯に入る前に脱線させて被害を縮小させようとしたものの、失敗したところとか、ほぼほぼすべて実話通りで、びっくりしました。すごい・・・。

[映画]ミッション・インポッシブル ゴースト・プロトコル/2011年米国

2015年01月17日 01時16分46秒 | 映画鑑賞
■ミッション・インポッシブル ゴースト・プロトコル/2011年米国

■監督:ブラッド・バード

■出演者
トム・クルーズ、ポーラ・パットン、サイモン・ペグ、ジェレミー・レナー、ジョシュ・ホロウェイ、アニル・カプール、レア・セドゥ

■感想 ☆☆☆☆
テレビで放映されていたものをなんとなく鑑賞。し始めて、思いっきり見入ってしまいました。
今までアクション映画というものにまったく縁のない生活を送っていたのですが、それもまた思わずこの映画に見入ってしまった大きな要因だと思われます。アクション映画にまったく免疫がなさすぎて、起こる事象ひとつひとつに一喜一憂しっ放し、ドキドキハラハラしっぱなしの2時間半でした。おもいがけず心臓を酷使。
緊張感あふれる沈黙とか、BGMの音が徐々に速さを増すところとか、とにかく聴覚による刺激に自分が弱いんだということを初めて知りました。あと、緊張感が高まったり、不安に駆られたりすると、おもわず声を出して、不安を解消しようとするらしいことも初めて知りました。不安でいてもたってもいられなくなる模様。ジェットコースターやお化け屋敷で「わー!」って叫ぶのと同じ感覚なのかな。

とにかく。
トムの超人的な活躍に感嘆。映画に見入っている途中、トムがスタントなんぞ使わずに、自身でアクションをこなしていると聞き、突如、トムへの尊敬の念が高まりました。今まで「きれいな顔立ちしているけれど、背が低い残念な人」という印象しかなかったのに。(失礼すぎる)ごめんよ、トム。こんなすごい人だなんて全く知らなかったのです。

アクション映画をまったく見ることがなかった私ですらタイトルを知っているぐらい有名なシリーズですが、こんなにも近未来の夢あふれる映画だったんだということも今回初めて知りました。出てくる道具がドラえもん並みに夢あふれるものばかりで、非常に面白かった!
そして、スパイという職業の過酷さと彼らが選んだ生き方の孤独さがあますところなく伝わってくる映画でもありました。アクションシーンにはすかっとしたけれど、エンディングでは大切な人と一緒に生きることもかなわないスパイの孤独な生き様が描かれていて、なんともいえない切ない気分を味わされました。