のりぞうのほほんのんびりバンザイ

あわてない、あわてない。ひとやすみ、ひとやすみ。

逃げろ、逃げろ。逃げちまえ。

2014年02月28日 23時36分32秒 | 日常生活
世間では、1月を「行く」、2月を「逃げる」、3月を「去る」と言い
年明けてからの3か月間はあっという間に過ぎ行くから心して一年を始めるように。
と戒めているんだとか。

けれど、私の今年の2月は、1月に引き続き、これでもかと言わんばかりにゆっくりと過ぎています。
私の感覚では、もうとっくに3月なのに。それなのにまだ2月。
あんなにいろんなことがあったのに、それでもまだ2月。そんな気分。

2月、私はいろんなものをなくしました。
私の中の大切なもの、大好きなものが粉々に壊れました。
あまりに潔く、見事に壊れたので、涙も出なかったな。
ひたすらに呆然としていました。

覆水盆に返らず。
この言葉をしみじみとかみしめた2月でした。
昔の人はよく言ったもので、こぼしたお水は元に戻らない。
なくしたものも戻ってこない。砕け、壊れたものも元には戻らない。
時間は呼び戻せないし、逆回転なんてしない。

けれど。
私は、粉々に壊れた破片を集めて、拾って、もう一度、作り直すのです。
覆水は盆に返らないけれど、その盆に新しいお水を注ぎます。
できあがったものは、元にあったものとは異なるけれど、きっと、以前より頑丈なはず。

この一週間はひたすらに讃美歌575番を口ずさんで過ごしました。
恩師の告別式で歌った讃美歌です。

球根の中には 花が秘められ さなぎの中から いのちはばたく
寒い冬の中 春はめざめる  その日、その時をただ神が知る

沈黙はやがて 歌に変えられ 深い闇の中 夜明け近づく
過ぎ去った時が 未来を拓く その日、その時をただ神が知る


この讃美歌、昨年のイースターでも歌ったはずなのに、今更ながら、
昨年はこの曲の歌詞にまったく意識を払ってなかったんだなぁ、と思い至りました。
この讃美歌と、金子みすずさんの「星とたんぽぽ」の言葉に随分と慰められた2月でした。

見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。(金子みすず「星とたんぽぽ」)

過ぎ去った時が未来を拓く。見えないものが私を支えてくれている。
きつかった2月が私の明日を連れてきます。

1月を「行く」、2月を「逃げる」というのであれば
2014年の2月さんには猛ダッシュでどこかに逃げ去るがいいよ。と思っています。
私はやってくる3月さんと共に、近付きつつある春の足音に耳を傾けて過ごします。

さよなら続きの如月

2014年02月27日 00時32分05秒 | 日常生活
90歳を超えてなお、ジーンズをすっきり着こなす若々しい祖父でした。
80過ぎまで自転車を颯爽と乗りこなしていました。
腰も一切曲がることなく、かくしゃくとした姿で過ごしていました。

7人の子供と、8人の孫、13人のひ孫に囲まれて、
私にとっては「おじいちゃん」と言うよりも「一族の長」という存在でした。
いつもみんなに囲まれていたから、「祖父と二人きり」の思い出はありません。
親族の中心にいて、親族をまとめている人、親族に囲まれている人。それが祖父でした。
みんなに囲まれて、一族の中央にいて、盆と正月の一族の集いは、祖父の「第一声」で開始される。
その姿がとてもかっこよく、自慢の祖父でした。

ここ1、2年、徐々に弱っていた祖父は
少しずつ、少しずつ、表情が乏しくなっていて、会話もままならなくなっていました。
それなのに、1か月前、新年の挨拶に訪れた際、
いたずら盛りでこれっぽっちもじっとしていない甥っ子を穏やかに眺めながら
「この子はお母さんが大好きやけん、大丈夫。
 『ありがとう』がちゃんと言えるけん、大丈夫。」
と言ってくれました。

そして、その直後、感情を絞り出すように
「たった今、起きたことも後から後から忘れていく。なんでやろか。」
と顔を歪め、声を震わせていました。

その日が、私にとっては、意識のある祖父に出会えた最期の日でした。

95歳と長寿を全うした祖父。
最後の入院はわずか1か月で、穏やかにそのときを迎えました。
最期の顔も寝顔のように穏やかで、まるで微笑んでいるような顔でした。
2歳の甥っ子は「ひいじいじ、ねんねしとるね。」と言いながら、
恐がりもせず、祖父の顔を覗き込んでいました。

すごくすごくよい最期だったなぁ、と思うのに。
祖父はいつも「もうそろそろ、ばあさんのところに行ってもいいんやけど。」と望んでいたのに。
けれど、やっぱり寂しくて寂しくてたまりません。

さよなら続きの2月です。

また逢う日まで。

2014年02月22日 00時55分30秒 | 日常生活
高校時代の恩師が亡くなりました。
卒業生にも在校生にも同僚の先生にもみんなに愛され、慕われている先生でした。
いつ連絡しても卒業生と呑んでいて、楽しそうに酔っぱらっている先生でした。
「たくさんの人を愛して、たくさんの人に愛された」という言葉がとてもとても似合う先生でした。

「なんしようとや。ちょっと出てこんね。」
「ワインげな呑むとね。つやつけとんしゃー。」
「しゃーしか。もう少し呑まんね。」
「そげん言わんでもよかと。がんばらんでいいとって。今のままでよかと。」
「感謝感激雨あられたい。」
「ちゃっちゃくちゃらくさ。」

博多弁の似合う先生でした。
先生の語るあたたかい博多弁が大好きでした。
寂しがり屋さんで照れ屋さん。
照れ屋さんなのに、言葉を惜しまず「大好き」を伝えてくれる先生でした。
酔っぱらった先生も、酔っぱらった先生の笑顔も、酔っぱらった先生の言葉も、全部全部大好きでした。

前夜式が執り行われた教会はたくさんの人であふれかえっていて
語られる思い出の中には、私のよく知っている先生がいて
その一方で、私が知ることのなかった先生もたくさんたくさんいて。
改めて、もう一度だけでも一緒に呑みたかったな、と思いました。
もう一度、一緒に呑めると、心のどこかで信じてたんだけどな。

会いたい人には会いに行く。
自分から会いに行く。

私はこんな簡単なことがとても苦手で、
いつも同じ後悔を繰り返している気がします。

改めて思い返すと。
先生はいつでも軽やかに、おおらかに、あたたかく、
そしてフットワーク軽く、私たちと関わってくれていて。
だからこんなにも先生との思い出があるんだろうな。

たくさん教え、与えてくれた先生でした。

淑女の定義

2014年02月17日 23時49分45秒 | 日常生活
地元友達で温泉へ行きました。
今回の幹事である幼馴染に
「教会あるんで、お昼からのプランにしてくれると嬉しいなー。
 でも、温泉には行きたいなー。無理かなー。」
と、すごく謙虚に無理(=ワガママ)を言った結果、
幼馴染が探し出してくれた小倉から車で1時間ほどの温泉です。

礼拝後、お昼もそこそこに
(でも、研修があることをすっかり忘れていたので
 みんなから(というか、牧師から)
 「なんやー。遊び行くんかー?どうせハワイとかに行くんやろー?」
 などとやいのやいの言われながらの出発でした。
 「ハワイにはいかないけど、遊びには行きます。」
 と、にっこり笑って出発しました。なんで忘れてたかなー、研修・・・。)
教会を飛び出して、お昼を食べていた幼馴染たちに合流。
今年初めて会う地元友達に「あけましておめでとう」を言いました。

前回、会ったのが11月。
激務に激務を重ねている人なので、まさか無事に年越せて
再会を果たせるとは思いませんでしたよー。
生きて会えて何よりですよー。

と、お伝えしたところ、「ははは。」と笑って受け止められました。
・・・否定しないんだ。本当に激務に激務を重ねてたんだ・・・。

とはいえ、医療関係のお仕事をしている幼馴染も、
花粉症シーズンが到来したとかで、先週あたりから残業に次ぐ残業、
もうひとりの地元友達も年度末は毎年恒例で繁忙期に入るんだとか。
今年に入ってから「社会人だったよね?」と自信がなくなるぐらい
余裕ある生活を続けている私は、ひたすらに
「みんな忙しいんだねぇ・・・。」
と感嘆しながら、尊敬のまなざしで周囲を見ていました。

そんなこんなで近況報告をしあっているうちに温泉に到着。
幼馴染が探し出してくれた温泉は、まだお昼過ぎだというのに、
すでに第一駐車場はいっぱい、家族風呂は2時間待ち、という状況で
知る人ぞ知る温泉、という風情が漂っています。
期待が高まりますよー!と、にこにこしながら幼馴染と共に露天風呂へ。
ゆっくり語らい合いの時間を持つのは実に3か月ぶりぐらいなので、
のんびりじっくりとセキララに幸せそうな毎日の様子を語ってもらいました。

めっちゃ幸せそうだった!
花粉症シーズンどんとこーい!というぐらいの幸せそうな日々。
収支決算すると余裕で黒字の日々ですよー!
ちょっと(?)ぐらいの残業なんて鼻歌交じりでできちゃいそうですよー。
と誰かに(神様に?)訴えたくなるような日々のあれこれを
たっぷりと聞かせてもらっちゃいました♪

幼馴染が!
穏やかな幸せに満ちた毎日を!
送ってますよー!
ものすごーーーーーーーーーーーーーく幸せそうですよー!!

思わず福岡の片隅の温泉から世界の中心に向かって、叫んじまったい。
叫んだ後、ふたりですっぴんお顔を見合わせながら、
「まさかこんなにも穏やかな日常が訪れるなんてねぇ。
 なんにでも「終わり」ってあるんだねぇ。
 あの頃からは想像もつかなかったねぇ。
 なんなら1年前も予想だにしてなかったよねぇ。待った甲斐があったねぇ。」
と、しみじみと幼馴染の今の幸せをかみしめたのでした。

そんなわけで、温泉と幼馴染の話で心も体もぽかぽかになったので
次なる目的地、イケアへ出発。
イケアなるものが福岡にできたときから
「あのお店に私が足を踏み入れることは絶対、ないと思う。」
と根拠なく周囲の方に宣言してきましたが、
この世には「絶対」なんてないんだな、と反省しました。
まさかこんな日が来るなんてねぇ・・・。
と感慨にふけっている間に、イケアに到着。
なんてするわけはなくて。

温泉入ったからだろうなー。
おそらくお風呂に入ったために、私の体が
「夜が来たよー!夜ですよー!寝る準備しますよー!」
という態勢に入っちゃったんだろうなー。
・・・ふと気が付いたら、熟睡していました。

熟睡する前に、何やら往生際悪くごちゃごちゃ言い訳を唱えていたらしいけれど
それすらうっすらとしか覚えておらず。
私が覚えているのは、
「もういいから。寝り。寝り。」
という幼馴染の優しい言葉だけで。
なんでも、その5分後には眠りに落ちていたんだとか。素直!
私には持ち合わせがないと思い込んでいた「素直」の引き出しを
こんなところで発見しちゃいましたよーっと。

という次第で、
素直な私は、魔法みたいにイケア(のすぐ傍)にたどり着きました。
やっぱり素直って大事!
と思いましたが。
でも、やっぱり人として「申し訳ない。」と思う気持ちもどこかにあって。

・・・なんかね。かたじけないね。

ととりあえず誰にともなく、謝ったところ、みんなから
「いいよ。どうぞどうぞ、本能のままに生きて。」
「途中、道間違えて、みんなであんなに大騒ぎしてたのにね。
 ぴくりとも起きないんだもんね。」
「『暑い・・・』と言って、コート脱いで、
 しばらくしたら、『寒い・・・』と言って、コート被りなおして、また寝てたもんね。
 そういう本能のままに生きてるところ、むしろすごいと思うよ?」
と、ものすごく生暖かい言葉を、ものすごく生ぬるい笑顔と共に渡されました。
も、ホントに返す言葉がございません。

でも、とにかくイケアに到着!
とりあえずはお腹がすいたので(私が。だって、お昼まだだし。)
真っ先にフードコートフロアに出向き、おやつを堪能。
こちら(日本)では食べられないようなどっしりとした
甘い甘いケーキをぺろりといただきました。美味しかったー!!
で、いよいよ満を持してフロア探索。

・・・うん。私には北欧のおしゃれセンスは
これっぽっちもないんだな、ということだけが心底、わかりました。
全然、我が家で使いこなせる気がしない・・・。
大体、おしゃれ家具に囲まれただけでそわそわするというか
落ち着かない気分になるというか、場違い感が甚だしいのです。
そもそも、私、部屋にオシャレとか求めてないんだろうなー、
ということをしみじみ思ったのでした。

というわけで、早々とイケアを退散し、料理上手の知り合いから
「この辺りのスーパーでは見かけないような
 珍しい食材がたくさんあるのよー!!」
と絶賛されていたすぐそばの高級スーパーへ。

おお!本当だ!!
なんか美味しそうな珍しいものがたくさんあるぞー。
と、興奮しながら、
 ・オリーブオイル
 ・もつ鍋の素3種
 ・赤ワイン1本
 ・お徳用パスタ2袋
を購入しました。

・・・どれもこれもね。
てんで珍しくもなんともない、という残念な結果。
すべて「週末祭」のお値打ち品です。
ごくごく普通に買い物しちゃった。安かったー!
と、大満足で買い物を終えましたが。
その一方でちらりと
結局のところ、私には冒険心というものが
これっぽっちもないんだろうなー、としょんぼりもしたのでした。
せめて、おしゃれドレッシングとか買ってみればよかった。

そんなこんなで、温泉の他に
「まさか行けるなんて思ってなかったよ。
 自分が足を踏み入れる日が来るなんて思ってもいなかったよ。」
という小洒落たお店を2軒もまわり、充実の一日が終了!

・・・小倉までの帰り道もね、
結構、時間があったはずなんだけどな。
幼馴染たちはね。
楽しい話題で盛り上がっていたみたいなんだけどな。
(自慢されました。)
なぜかその間の記憶が私にはとんとないのです。
気が付いたら小倉に戻ってました。
見覚えのあるモノレールがすぐ上を通ってました。

魔法みたいに小倉に戻ってきてる!
と呟いた私をみんなが
「魔法じゃないから。寝てただけだから。」
と優しく諭してくれました。

うん。熟睡してました。
と、素直に認めてみました。本日、素直大安売り。

あまりにもみんなから
「本能のままに生き過ぎてる。」「自由すぎる。」
と呆れられたので、次回は淑女のように過ごそうと思います。
助手席では寝ない!
あぐらなんて絶対にかかない!

足りないのは深さと優しさ

2014年02月12日 22時39分46秒 | 100キロウォーク
北九州マラソンが無事に終わりました。
北九州はこの1か月ほど、平日の夜はもちろん、週末なんて一日中、
あちらこちらでジョギングしている人に遭遇するほど北九州マラソン一色でした。
「あの人もこの人も絶対に出場者!」と出場者っぽい人を見つけては興奮する日々。
また、最近のジョギングウェアってめちゃんこかわいいのです。
見ごたえがある!出場しなくても十分に楽しいイベントでした。

が。北九州マラソンが近づけば近づくほど
寒さは厳しくなる一方だし。
北九州なんてめったに雪が降らない地域だというのに、
まさかの前日、久々に雪が積もっちゃうし。
雪はやんだけど、雨が降ったりやんだりだし。
ハラハラドキドキしていましたが。
(まったくもって関係ないのに。
 でも、暑苦しい地元愛ゆえに
 北九州マラソンの成功を心から祈っていたのです。)

なんとか無事に北九州マラソン開催。
出場した知り合いたちも、ほぼ全員が軽やか(?)に完走していました。
すごーーーーーーーーいっ!!

というわけで、ウォーキング仲間さんの「お疲れ様!」の打ち上げです。
開催地が自宅から少し離れたところだったため(北九州はとてつもなく広いのです。)
呑みは諦めて車で参加。ついでに幼馴染や地元友達も拾って向かいました。

足を引きずりながらもにこやか笑顔で出迎えてくれる勇者たち。
本当に。本当に本当に!お疲れ様でした。と言い合いながら
(そして、単なる観戦者にすぎない私は、
 そんな勇者たちの称えあいをおとなしく聞きながら)
「かんぱーい!」と飲み会を開始しました。

充実の一日を終えた皆々様は一様に感想を言い合い、
それぞれのレースを振り返りながら、お酒を楽しんでいます。
十人それぞれ。まったく異なるレース運びです。
応援に力づけられている人がいる一方で
応援を見つける心の余裕がなかった人がいたり
美人ランナーの多さに心励まされている人がいたり
自己ベストを目指してまじめにレースに挑んでいる人もいたり
でも、そんなみんなが一様に
「きつかった・・・。30キロ過ぎぐらいから『もうダメだ。』
 と何度も思った。」と言っていて。

私と幼馴染は、そんな体験談を「こわい。こわい。
やっぱりマラソンってこわい。」とぶるぶる震えながら聞きました。
一方、地元友達は「俺も走りたかったー!!」とヤル気を漲らせており
聞くほうのスタンスもこれまた十人十色。

なんにせよ、ものすごーーーーーーーーく面白い打ち上げでした。

飲み会も中盤という頃から、
結局のところ、フルマラソンと100キロウォークは
どちらのほうがきついんだ?という話題になりました。

「全然、きつさが違うんだよねー。」
「でも、マラソンは5時間ぐらいで終わるけど、ウォーキングは
 きつくなってからがえらい長いけんねー。」
「足痛いけん、全然、早く動けんし、早く動けんけん
 痛い自分とずーーーーーーーーーっと向き合わんないかんのよね。」
「俺、足の爪、全部はがれた。」
「俺、足の裏に今まで見たことないような大きさの血豆ができた。」
「でも、血豆とか靴擦れとか全然、気にならん。
 そんなの気にならんぐらい、他のところが痛い。全身、どこもかしこも痛い。」
「きついのは100キロウォークのほうかも。」
「うん。そうかも。」
「でも、楽しいんよねー。」
「ぜひ、味わってほしい。」

みんなの話す体験談と
そこから導き出される結論の乖離具合が甚だしいんですけど。

どれもこれもぜーーーーーーーーーーーーーーんぶ
「辛い」と思われる具体的事象ですよー!
それらの事象から導き出される結論が「楽しい」って
だいぶおかしいですよー!!

と、力を込めて訴えましたが、みんなからは
「こればっかりは出てもらわんなわからんよね。」
と首を振られました。

・・・そうなの?そういうものなの?

飲み会終わって小倉までの帰り道。
そろそろ小倉が近付いてきたよ。というあたりで
英雄さん(マラソン参加者)のひとりが

「うん。やっぱりしばらくは走りたくないや。」

とぽつり呟きました。

そんなに?
今更しみじみと呟くぐらい?
本日の最終結論、そこ?
結局のところ、「マラソン、やっぱりもういやだ。」でよろしいですか?

と確認したところ、

「それがねー。今はもう絶対に二度と走らんて思いよるんやけど
 数か月経つと、きつかったこととかだけ忘れるんよねー。
 で、ゴールして気持ちよかった、とかだけ思い出すんよ。
 バカなんだと思う。」

という回答が戻って来ました。

・・・そうなの?そういうものなの?
スポーツって奥が深い・・・。

そういえば。
飲み会終わって小倉までの帰り道。
飲み会会場を後にしたばかりだよ。小倉はまだまだ先だよ。というあたりで
地元友達が

「のんちゃん。お腹すいたー!
 ラーメン食べたーい!」

と言い出したので、「さっきまで呑んでたのに?!」と驚いてみせたのですが。
その気持ちならね、私にもなんとなくわかります。
なんだろね?ラーメンと食後のデザートのあの別腹感覚。
呑めば呑むほど「最後にちょっとだけ」食べたくなっちゃう。
・・・のですが。幸いなことに本日の私は一滴も飲んでないのです。
それゆえに

「ダメー!私はお腹減ってないもん。
 ラーメン屋さんになんて寄れませーん。」

と優しさのかけらもない言葉を返したのでした。
浅いな・・・。私のフトコロ・・・。

甦れ!オトメ心。

2014年02月10日 23時41分11秒 | 教会生活
一昨年、昨年と教会友達がバレンタインデー周辺の日曜日に
必ず美味しい手作りチョコを持ってきてくれていました。
そのたびに「いつもごめんよ・・・。私も一応は女子なのに。」
という申し訳ない気持ちを人知れず抱えていたわけで。
幸い、今年はとてつもなく仕事が落ち着いていて、
精神的余裕が売るほど有り余っているのです。
いっちょチョコ・・・作りはとても苦手なので
(というか、チョコづくりには今ひとつ楽しさを見いだせないのです。)
よし!チョコクッキーを作るか!と一念発起しました。

バレンタインデーシーズンにチョコクッキーを作ってる!というこの事実。
女子イベントを楽しんでいる!という自己満足感。
それだけで(まだこれっぽっちもクッキーができていないというのに)
たいそう幸せな気持ちになりながら、
近頃、とみにできなくなった夜更かしを久々に楽しみました。

そら雪も降るわー・・・。
でも気にしない!

ただ「女子イベント楽しんでいる自分」への満足感があまりに強すぎて
胸いっぱい、おなかいっぱいになってしまい、
出来上がったクッキーはまったく味見ができませんでした。
もっとも、私ときたら、「美味しい」のストライクゾーンが広すぎて
味見が味見の役割をまったく果たさないのです。
たいていのものは「うん!美味しい!」で終わるのです。
無問題!(・・・なのか?)

というわけで、味見も全くしないまま、
(久々の手作りだというのに、チャレンジャーにも程がある・・・。)
簡単にラッピングだけ施し、教会へ。

礼拝終了後、いつも行われている珈琲タイムに
抜き足差し足忍び足でクッキーを持っていき、珈琲の隣に設置しました。
珍しいことをしている自覚はあるのです。
夜中はそんな自分にテンションあがったけれど
日中、お日様の光に照らされて、目が覚めたというか
夜中のテンションは持続できなくなったというか、
女子イベント楽しんじゃった自分に恥ずかしくなったというか。
もう、こっそり置いておくんで、好きに召し上がってー。という気持ち。

けれど、無情にも珈琲タイムの担当さんがそんな私に気が付き、
「ノリさん、そのお菓子はノリさんの差し入れ?」と確認してくれました。
傍にいた教会友達も「これ、手作りじゃない?」と気付いてくれました。

えへ。そうなの。手作りなの・・・。
と、通常時なら考えられないような弱気モードで返事。
なんなら、返事する声だって小さいのです。
思わぬところでへたれな自分が露呈・・・。

「おぉ!もしやバレンタイン!?バレンタインなの!?」
と興奮する教会友達の隣で、珈琲タイムの担当さんが
大きな声でみんなにおやつの存在を周知してくれました。

「みなさーん!
 山田さん(仮名)が手作りクッキーを差し入れしてくれましたよー!」

ちょっと!
ちょっとちょっと!!
手作りクッキーを差し入れしたのは、私ですよー!
山田さんじゃないですよー!!

と思わず全力で突っ込み。

・・・あれ?
私、さっきまで、あんなに消極的に
なんなら「気付かれませんように!」と願いながら
珈琲の隣にクッキーを設置したような気もするっていうのに。
なに?この自己アピール・・・。

と、思わず出てしまった複雑なオトメ心に愕然としたのでした。

突っ込まれた珈琲タイムの担当さんは、ものすごく申し訳なさそうに

「ごめん。ノリさん。
 ノリさんと『手作り』というキーワードが
 まったく結びつかんけん、つい。
 なんやろね?全然、違う人の名前がでちゃったわ。」

と、開き直ってました。
開き直られたけど、私も納得しちゃったよ。
うん。私も結びつかない。彼のこと、全然、責められない。

その10分後には、
「珍しい人が作ったクッキーがあるよー。」
と配り歩く人が出る始末。
いいんです。実際、珍しいんですから。
珍しいっていう自覚はあるんですから。
ただ、配り歩くほどの価値があるのかなーっていう不安がね。
味見してないんだよーっていう罪悪感がね。
どんどん大きくなっちゃうよっていう。

そんなこんなで今年はバレンタインデーを思う存分、楽しみました。
「気付かれたいような、気付かれたくないような・・・」
っていう複雑なオトメ心も味わえました。
すごい。ホンモノのバレンタインデーみたい!

なんていうか。
バレンタインデーの楽しみ方を間違えている気がしないでもない。