のりぞうのほほんのんびりバンザイ

あわてない、あわてない。ひとやすみ、ひとやすみ。

1.未成年/イアン・マキューアン

2016年01月15日 20時43分46秒 | 読書歴
今年は細々と読書を復活させます。
去年はスマートフォンを手に入れたおかげで他人様のブログを読み漁ることにはまってしまい、読書にまったく時間が割けなかったのです。今年は1か月5冊を目標に読み進められたらいいな。とりあえず図書館通いは昨年末から復活しました!
久々にじっくり心を落ち着けて、本の中の世界を楽しみます。

1.未成年/イアン・マキューアン

◇ストーリ
輸血を拒む少年と、命を委ねられた女性裁判官。
法廷で様々な家族の問題に接する一方、自らの夫婦関係にも悩む裁判官の元に、信仰から輸血を拒む少年の審判が持ち込まれる。聡明で思慮深く、しかし成年には数か月足りない少年。宗教と法と命の狭間で言葉を重ねる二人の間には、特別な絆が生まれるが・・・。

◇感想
教会友達が貸してくれた本です。貸してくれた時に「この本はのりちゃんと感想を共有したい」と言われたにも関わらず、読み進めるのがきつくて、なかなか読み終わらず、とうとう年を越えてしまいました。きつかった・・・。

中盤までは、宗教って一体なんなんだろう?と思いながら読み進めていました。私はクリスチャンだけれど、敬虔という言葉とはほど遠いクリスチャンです。神様より自分の生活をついつい優先させてしまう、それでいて弱っているとき、辛いときは聖書の言葉や教会の存在に心励まされる。つまり宗教を自分の都合のよいように使っているといっても過言ではない身勝手なクリスチャンです。「神様」を主語にできず、ついつい自分主体で動いてしまう。そんな私にとって、「エホバの証人」である主人公やその家族たちが自分や自分の愛する息子の命よりも神の教えを優先させる姿勢は「よく分からない。でもわかる部分も少しある気がする。でも、やっぱり分かりたくない。分からない」という身近なような、まったく理解できないような存在でした。畏怖の対象、という言葉が少し近い気がします。

私は宗教というものは人が生きることを応援するものであるべきだ、と思います。
人が生きていくうえで、心の支えになるものだと思っています。
「生きる」ことを阻むものであってはいけない、と思っています。
そうあってほしい、と思っています。

世の中にはいろんな宗教があって、私は、それらの宗教を否定するつもりは毛頭ないし、できることならば他の宗教を信じる人たちともお互いに尊重し合い、いつくしみ合って生きていきたい、そう願っているけれど、それはその宗教が人の命を大切にしていることが大前提だと思っています。
信じる人の理解が足りなくて、つい自分の命を粗末にしてしまう、そんなこともあるかもしれないけれど、でも宗教には「生きよう」と声高に言ってほしい、と改めてそう思いました。

ただ、読み終えて一番強く心に残ったのは「誰かにかかわること」の怖さと支えを失った人のもろさでした。
誰かに関わるのであれば、中途半端はよくないし、覚悟を決めて、真摯に向かい合うべきだ、と思わされました。そして、そういった覚悟がない自分の弱さをずっと突き付けられながら読み進めました。私が主人公であっても、きっとこの小説のヒロインと同じように少年と向き合うことができず、それを大人のずるさでごまかしていただろうな、と思うと、やりきれなくなりました。

人が生きていくには支えが必要なのだ、と改めて思いました。
支えとなるものは宗教であってもいいし、自分にとって大切な誰かの存在であってもいい。なんでもいい。
けれど、それを失った人間はこんなにももろいのかと哀しくなる物語でした。今もまだもやもやしています。

一年の計はお正月にあるそうです

2016年01月04日 18時48分21秒 | 日常生活
1月2日は母方の親族で集まりました。
まずは初売りへ行こうぜー!と妹さん一家と合流し、あけましておめでとうのご挨拶。
甥っ子君に「あけましておめでとう」と伝えると「あけましておめでとう」と言ってくれました。挨拶も上手になったもんだ。ちょっぴりてれくさそうな様子がかわいいのです。(おば馬鹿です。)
続けて「今年もよろしくね。」と伝えると、「いーよー。」と快諾されました。
快諾していただけてよかったよ・・・。

姪っ子ちゃんにもあけましておめでとうのご挨拶。
「あけましておめでとう☆」と伝えると「はーい。」と恥ずかしそうに照れくさそうに返されました。
うん。かわいい。(結局のところ、おば馬鹿です。)

毎年恒例の小倉で唯一となった百貨店へ。なにせ唯一の百貨店なので人も多く、いたるところに人だかり。熱気もむんむんです。そんな中、「こっちよー。おいでー。」と先導する姪っ子ちゃん。(2歳児)
妹さんが「ホントにこの子、世話焼きなんよ。」とぶつくさ言う姿が非常に面白いお正月でした。


姪っ子ちゃん、どんな女の子に育つんだろうなぁ・・・。
楽しみです。

笑う門には福来る

2016年01月04日 18時47分03秒 | 日常生活
新年がやってきました。
昨年は大きな転機となる「結婚」というイベントがあったこともあって、あっという間の一年でした。たっくさん大変なこともあったけれど、それ以上に嬉しいこと楽しいこといっぱいの一年だった気がします。
そもそも、去年の今頃は「結婚」なんて影も形も見えていなかったわけで、そういったことを考えると、非常に感慨深いです。母上に感謝だなー。

年末年始は比較的お休みがゆっくりとれたこともあって、大掃除とかお正月の準備だとかでバタバタしてはいたけれど、どれもいつもと違う「非日常」のバタバタで楽しくこなすことができました。
もっとも大掃除に巻き込まれた夫さんは、いつも通り疲れ果てていて、申し訳ないような気持ちもほんのちらり。結婚が決まってから(つまり結婚前から)ひたすらにいつもいつも巻き込まれてばかりです。そろそろ嫌になるんじゃないかしら?と不安を抱いていましたが、新年早々(本人いわく)「幸せすぎて」爆笑していたので、ほっと一安心しました。

幸せな気持ちになって思わずにこにこしちゃう、とか幸せで胸がいっぱいになる、とか、幸せのあまり、ちょっとしたきっかけで爆笑してしまう、とか、そういった事態は見たことがある気がするのですが、幸せ故に何もないのに(本当に何のきっかけもなく!テレビもついていなければ音楽もかかっておらず、なんなら夫婦の会話さえなかった「無」の空間でした。)爆笑しちゃう人を初めて目撃しました。
・・・どんな感情表現?!と頭を抱えましたが、頭を抱える私がさらに夫さんのツボにはまってしまったらしく、「お腹痛い・・・」などと言い出したため、ついには私まで吹き出す羽目に。思わぬところで(そして未だにきっかけが分からないまま)お正月早々、夫婦そろって笑い初めることができました。幸せ夫婦っぽくて大変よろしいことです。

年末年始の過ごし方もお互い大いに歩み寄り、大晦日のテレビは私の希望優先で、「紅白歌合戦」と「行く年来る年」を鑑賞し、年が明けてからは夫さんの希望優先でニューイヤー駅伝、箱根駅伝を夫婦で楽しみました。生まれて初めて駅伝を最初から最後まで楽しみました。すごいわー。これまた去年までの私からは考えられない出来事です。

ここ数年「寝正月」で過ごしていたらしい夫さんも今年は私の並々ならぬ熱意に押されて初日の出見学には付き合ってくれました。でも、そこでがんばってくれたので、夜中12時の初詣は私が我慢。(そもそも私はクリスチャンなんでお参りはしないのに、それでも、季節感がどんどんなくなる今日この頃、お正月気分を味わいたいがために、ついつい初詣に行きたくなるのです。付き合わされる夫さんは本当にかわいそうです。)

お互いに歩み寄って調整し合って年末年始の過ごし方を相談する時間そのものが「家族」っぽくて、楽しく幸せなひとときでした。

今年は非常に暖かいお正月だったし、暖かいので、結局、年が明けてから散歩がてら、初詣に行くこともできたし、暖かさゆえかいつも行く神社がこれまで見たこともないぐらいの行列で、「お正月」を楽しんでいる人たちをたくさん見ることができたし、初詣でひいた夫さんのおみくじがものすごーーーーーーーくいいことばかり書いてあって夫婦ともども大喜びできたし、本当になんとも幸せな年末年始でした。

これで年が明けてからのお休みがあと2日多かったら完璧だったんだけどなー。
年明けてからのお休みが三が日だけって慌ただし過ぎるよう・・・と、今日は半べそ状態で一日を過ごしています。早く週末になれー!