のりぞうのほほんのんびりバンザイ

あわてない、あわてない。ひとやすみ、ひとやすみ。

わが主イエス

2021年02月07日 22時08分42秒 | 教会生活
新型コロナウィルスの影響で(というこの言葉、公私共にめっちゃ使ってます。)教会学校は昨年4月から休止中です。
礼拝はこの期間中もずっとあっているので、毎週、親子で教会に行っていますが、うちの息子さんはお話もまったく聞かず、一緒に行っているお友達とひたすらポケモンの塗り絵をして遊んでいます。
教会を「おやつがもらえるところ」「遊べるところ」と思っている節がかなりある。

そんな息子さんが。
本日、なんと鼻歌で讃美歌を歌いました!
すごい!ちゃんと聞いてるんだ!

「え?それ、讃美歌やん!うまいね。」
と言うと、ものすごーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーく照れ臭そうに笑ってこくんと頷いた息子さんは、今年一番かわいい子でした。

その30分後には
「ドラえもん、もういっかいみるー!うわーん!」
と由緒正しい面白い顔で泣きわめいていて、それはそれでかわいらしかった。(腹立たしかったけど。)

息子さんが歌っていた讃美歌は461ばん。
私も幼稚園で歌っていた思い出の讃美歌です。それもうれしい。

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 主われを愛す、 主は強ければ、
 われ弱くとも 恐れはあらじ。

 わが 主イェス、わが 主イェス、
 わが 主イェス、われを愛す。
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月金ランチしますよー。

2020年03月01日 07時35分01秒 | 教会生活
私の通っている教会が今週から再来週まで、子供を対象に「月金ランチ」を始めます。
小学生も中学生も高校生もぜひどうぞ!
お昼代無料です。
宗教勧誘しません!(←私にとって、これはとっても大事です。)

「月金ランチ」と言うと、「月曜から金曜まで」のような印象を受けますが、圧倒的マンパワー不足ゆえに「月曜と金曜だけ」のランチです。
「再来週まで」と言うと20日の金曜もランチがあるような印象を受けますが、再来週は金曜が祝日ですので、月曜のみのランチです。

突如、学校がお休みになってしまって、困っている子どもがいるんじゃないか?と考え、始めようとしているのですが、なにせ教会員の多くも平日は働いており、圧倒的マンパワー不足で月曜と金曜のランチ提供のみ、です。
本当は月曜から金曜までランチを提供したい。
もっと言うならば、ランチだけでなく、夕方まで居場所も提供したい。のですが、なにせ狭い狭い教会ですので、人が集まると、すぐにウィルス感染を助長してしまいそう。それは本意ではない。

ということで、今回はうちの教会の今精一杯の力で、できる範囲のことをすることになりました。
以下、教会からの告知です。

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緊急告知!

南小倉バプテスト教会では、北九州市内の小中高校の臨時休校・給食停止措置を受けて、みんなの教会「月金ランチ」を提供します。下記の日程で12時から1時まで。学生は誰でも利用できます。よかったらご利用ください。
おうちの方々へ。せめて週に二回、こどもたちの昼ごはんの心配をせずに過ごせるよう応援したいと思います。どうぞご利用ください。無料です。宗教勧誘もしません。ご安心ください。

実施日は以下。いずれも12時から1時まで。
       3月2日(月)カレー
       3月6日(金)豚汁
       3月9日(月)カレー
       3月13日(金)豚汁
       3月16日(月)カレー
       3月23日(月)カレー

お手伝い急募。それぞれ午前10時から下ごしらえ開始、片付け終了解散は2時です。

毎日できたらいいけれど、その力はないし、一日ずっと居場所を提供したいけれど、ウィルス感染のリスクを低減させるためにはそれもできません。週にたった2回、1時間ずつ、計5回の取り組みですが、何もしないよりマシ!というわけで、やることになりました。シェアなど情報の拡散も歓迎いたします。どうぞ宜しくお願いいたします。

網の教会サポーターの皆さん、応援ありがとうございます!

南小倉バプテスト教会:北九州市小倉北区弁天町11-19、093-571-5072。
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敬老お祝いツアー

2019年09月16日 06時07分20秒 | 教会生活
「敬老の日」が近いため、礼拝後、施設に入られた教会員の方を我が家のちびっこさんとちびっこさんの幼馴染君2名のちびっこを含む6名で訪問しました。

最寄駅から3駅の電車ツアー。
最寄り駅まで徒歩5分なのですが、なにぶんちびっこ2名は私の思うように歩いてくれないため、30分前に教会を出発しました。思った通り、電車が通ると足が止まるため、駅のホームに着いたのは、出発時刻の5分前。余裕をもって出発してよかった!

電車に乗ったちびっこ2名は大興奮。
幼馴染君は「やまがみえるよー!」と少しずつ自然豊かな風景になる車窓を喜び、うちのちびっこさんもその風景に「きれいやねぇ。やまやねぇ。」と見入っていました。

電車を降り、施設までは徒歩5分。
いつもと違う風景にちびっこさんたち2名はやっぱり喜び、はしゃぎながら歩いていたのですが、施設の入り口で急に「見知らぬ場所に来てしまった!」と気付いた幼馴染君は急遽、歩くの拒否!施設までの落ち葉が降り積もる坂道は片手に幼馴染君を抱っこ、もう一方の手で我が家のちびっこさんの手をひいて上り、ふうふう言いながら到着。

久しぶりにお会いする教会員の大先輩は、元気そうでしたが、やはり慣れない施設での生活に少し疲れているようで、私の知っている明るい屈託のない笑い声を聞くことはできませんでした。それでも、我が家のちびっこさんを見て、とても喜んでくれ、顔を起こしてくれました。

あまり長居して疲れさせても、ということで少し会話をしたら讃美歌を歌い、お祈りをして帰宅することにしていました。事前に調べていた愛唱讃美歌を歌おうと提案すると、怪訝な顔をする大先輩。どうやら、今の彼女にとっては、その愛唱讃美歌がピンとこない様子。というわけで、困ったときの讃美歌461番「主われを愛す」を提案すると、「そうそれ!!」と大きく頷かれました。さすが我が教会でもっとも愛される曲!

主われを愛す 主は強ければ
われ弱くとも 恐れはあらじ
わが主イエス わが主イエス
わが主イエス われを愛す

わが罪のため さかえをすてて
天(あめ)よりくだり 十字架につけり
わが主イエス わが主イエス
わが主イエス われを愛す

みくにの門(かど)を ひらきてわれを
招きたまえリ いさみて昇らん
わが主イエス わが主イエス
わが主イエス われを愛す

わが君(きみ)イエスよ われをきよめて
よきはたらきを なさしめたまえ
わが主イエス わが主イエス
わが主イエス われを愛す

隣の部屋の方に迷惑にならないよう、小さな声で囁くように歌う讃美歌。
見事に老若男女揃った歌声と空間で、歌っている私たちひとりひとりが歌詞を噛み締めて歌って、大先輩も顔をくしゃくしゃにさせて喜んでくれて。
その後にみんなで大先輩を囲み、大先輩の体の一部にそっと触れてお祈りしたひと時も含めて、あぁ、神様は今、ここで私たちと共にいてくださっているんだなあ、と心から実感できたとても温かい時間でした。

正直なところ。
最近の私は礼拝に行っても、ちびっこ2名の世話にてんやわんやで、なかなか身を入れて説教を聞くことができておらず(ご、ごめんなさい。牧師さん。)、なんだか本当に本当に久しぶりにゆっくりと神様と向き合えた時間でした。
施設にいる間中、(ちびっこさんたちにしては)おとなしくしてくれていたちびっこたちに、そして、こういったひとときを過ごす機会を作ってくれた大先輩に心から感謝です。

場所見知りをしていた幼馴染君も、大先輩の部屋に入った瞬間から元気になり、最後は笑顔で「タッチ!」をしてお別れできました。

帰り道はちびっこさんたちふたり、人生初のモノレールへ!
家や車を上から見渡せる車窓風景に最後の最後まで大興奮のちびっこたちでした。(我が家のちびっこさんは、モノレールから降りることを拒否し、なだめすかせるのが大変でした・・・。)

日曜の午後。
病室にいたのは30分程度。
ほんのわずかなひとときでしたが、行き帰りの時間も含めて、とてもとても豊かな午後でした。

生笑一座講演会

2019年01月21日 19時12分33秒 | 教会生活
南小倉教会にて、「生笑一座」の講演会があったために母とちびっ子と共に参加しました。

生笑一座とはホームレス支援をされている奥田牧師、谷本牧師が路上生活をされていた方4名と共に、かつての体験談を話してもらいながら

「それでも生きてさえいれば、いつか笑える日が来る」
「『助けて』って言うことはちっとも恥ずかしいことではない。助けを求めたら、助けてくれる人は必ずいる。」

ということを全国の小学校や中学校を中心に、いろんな場所で伝えてまわっている一座です。

私は生笑一座の講演に参加するのは2回目。
前回は南小倉教会の何倍も大きなホールでした。それはそれで楽しかったのですが、今回は100名も入れば満員御礼(というか、息苦しさを感じないこともない)小さな教会でメンバの方々との距離が近いせいか、前回よりアットホームな雰囲気で、彼らの表情や息遣いがはっきりと見えることもあって、彼らが遠い世界の人ではない、すぐ近くに生きている人たちなんだ、と思えた2時間でした。

メンバの方々はお酒を16歳から飲んでいたり、そのお酒で仕事が続けられなくなったり、16歳から煙草を吸い始めていたり、結婚しても「飲む打つ買う」で家族に迷惑を掛け通しだったり、たくさんの失敗をしてきた方ばかり。まず家族を失って、そのために家や仕事も失った、という方がほとんどでした。
今はにこにこ笑ってお話をしていて、愛すべき人柄に見えるけれど、路上生活をしていたときは、笑顔がなかったり、周囲に対して怒ってばかりだったり、奥田牧師が訪ねて行っても「せからしか。帰らんね。」と追い払ったり、という状態だったんだとか。

それでも今は
「生きていてよかった。」
「仲間がいて、今は楽しい。」
「あのとき『助けて』って言って、本当に良かった。」
「こうやって、みんなに『助けて』って言っていいんよっち、言って回ることで、こんな自分でも役に立っている、と思える。」
とにこにこ穏やかに、そしてユーモラスにかつてのことを話していて、なんだか色々と考えさせられました。

元ホームレスの人たちとお話する機会に恵まれて、私は彼らが怖い人ではないことを知っています。
少し不器用なところがあったり、ちょっとコミュニケーションが苦手だったりする私と変わらない人。
それでも「今現在、路上生活をしている人」を怖いと思う気持ちはやっぱり拭い去れません。これは私が「今現在、路上生活をしている人」のことを知らないから、知らずに遠巻きで見ているから、というのが大きい気がします。(そして、小さい頃に勝山公園にたくさんあった段ボールの家の薄暗さとか薄気味悪さがインプットされているからかもしれません。幼心に段ボールの家は怖かったし、絶対にそばを通ってはいけない、と思っていました。)

だからこそ、奥田牧師がおっしゃっていた
「知らないから怖いんだ。だから勉強は必要。いろんなことを理解して、怖いものをなくしていく、それが勉強。」
という言葉にはすとんと心に落ちました。

面白かったのは、路上生活をやめた原因。

・テロ対策法の一環で公園からごみ箱が撤去され、お弁当の残りなどが取れなくなってしまったこと
・リーマンショックによるアルミ缶の値段の低下で、アルミ缶収集の収入では暮らしていけなくなってしまったこと

と世の中の動きに大きく影響を受けていました。
家や家族を失って、路上生活になって、人との関わりが切れてしまったのに、それでもやっぱり日々の生活は世の中の影響を大きく受けてしまう。
本当に良くも悪くも、人はひとりでは生きていけないんだなぁ、としみじみ思いました。


日本は若者の死因第一位が「自殺」
先進国で、若者の自殺が一位の国は日本と韓国だけだそうです。(他の国は「事故死」が一位なんだとか。)
「助けて」と言えさえすれば、避けられたかもしれない死。

「『助けて』と言えないのはなぜか。
 それは大人が「人に迷惑をかけてはいけない。」「自分のことは自分でなんとかしなければいけない。」と教えてきたからですよ。
 立派な大人は「助けて」なんて人には言わない。言ってはいけない、という姿を大人が見せてきた。

 『助けて』って言っていいんです。
 人に迷惑をかけてもいいんです。
 誰にも迷惑をかけずに生きている人なんて、いないんです。」

奥田牧師のこの言葉は、私たちの教会の礼拝でも、何度も何度も繰り返し言われている言葉。
それでも私はついつい、しかも無意識のうちに「人に迷惑をかけていない」という傲慢な前提で「人に迷惑をかけないようにしないと。」と思ってしまうことが多々あります。

誰にも迷惑をかけずに生きている人なんていない。
私たちは、意識しないうちにいろんな人たちと(自分が関わっていると思っている人たちの何倍もの人たちと)関わりあって生きている。

このことを改めて大切に胸に刻もうと思います。

クリスマスおめでとう

2018年12月24日 05時39分41秒 | 教会生活
クリスマスです。
大好きな季節です。

ただ、今年は毎日の生活に追われ、アドベント(待降節。イエス様の誕生日を待つ期間です。)もあまりクリスマスに心を向けることができずにいました。毎週の礼拝もずっと遅れての参加だったし、家の中もクリスマスとは無縁の状態で(兜のタペストリーが未だに飾りっぱなしでした!季節感皆無!!)クリスマス礼拝の前日にようやく兜のタペストリーを片付けて、クリスマスツリーを飾るような有様。

その小さなクリスマスツリーを起きてきた息子が
「くります!くりますよ!ママ!サンタさんもおるよ!」
と喜んでくれて。
その日の夜には、ウォーキングメンバーと恒例のクリスマス会を楽しんで。
古い日本家屋のせいか、いつも寒い寒い我が家が暖房のスイッチをオフにするぐらい温もって。
みんなで美味しいお酒を呑んで、目がどこにあるのか分からなくなるぐらい、みんなずっと笑顔で顔をくしゃくしゃにして笑って。
やっぱりクリスマスって素敵な季節だなぁ、と心から思いました。

その翌日はクリスマス礼拝。
(いつもどおり)遅刻して、教会に足を踏み入れると、クリスマス劇のクライマックス、産まれたばかりのイエス様に3人の博士が会えて、お祝いの品を渡すところでした。
星のお告げで救い主が産まれたと知り、救い主を目指して寒い中、長い長い旅を続けていた3人の博士が小さな馬小屋の中でイエス様に会う場面。
「救い主」を目指してきたのに、そこにいたのは産まれたばかりの無力な赤ちゃんで博士たちは戸惑いますが、戸惑いながらも「この人こそ救い主」と受け入れ、祝福します。

教会のクリスマス劇では、祝福した博士たちが小さな馬小屋を出ると、空いっぱいに星たちが輝いている、という演出を入れていました。
夜空いっぱいに輝く星たちは、会堂に集まった私たちが両手に持つ星。
小さな会堂に集まった(小さな会堂にしては)たくさんの人たちによる星は、みんなの手によって優しくゆらゆらと揺れていて、ヨセフ様役の男の子の
「星がこんなにたくさん。」
というセリフになんだか胸がいっぱいになりました。それまでもちゃんとあったのに、突然、認識できることって、私たちの毎日にもたくさんあるんだろうな、見えているはずなのに、見えないことの中に大切なことって、きっとたくさんたくさん隠れてるんだろうなぁ、と思いました。
今までもちゃんとそこにあったのに、気が付かない幸せが世の中にはたくさんあって、「あ!ここにあったんだ!」と気が付いたときに、私はじんわりと幸せをかみしめることができているんだろうなぁ、と思いました。

大切なことっていうのは、救い主だったイエス様が救い主にまったく見えない無力な赤ちゃんだったように、多分分かりやすくは提示されていないんだろうな、と思うのです。
きっと大切なものほど、世の中にそっと散りばめられていて、私が目を凝らさなければ見えないようになっている。
でもきっと、私のすぐ見えるところに、心を向けさえすればちゃんと見えるように、用意されている。
夜空いっぱいに星が輝く場面は、そんなふうに思わせてくれて、しみじみと、じんわりと胸が温かくなりました。

希望も喜びも見えないけれど、そこにある。
目を、心を向けさえすれば、ちゃんと見える。
私が毎週、礼拝に通うのは、教会に行くたびにこのことを思い出させてくれるからなんだな、と改めて思いました。

今日はイブ礼拝です。
普段はクリスチャンらしさと無縁で過ごしていますが、今日の夜は教会で静かにクリスマスをお祝いします。
付き合ってくれる夫と息子に、ちゃんと感謝しようと思います。

今年も無事終了

2018年11月04日 07時37分42秒 | 教会生活
今年の教会バザーが終わりました。
子どもが産まれてから、教会バザーの準備にほとんど参加できていませんが、それでもバザー前日は子どもを寝かしつけてから教会に向かい、当日は朝から我が家でおにぎりを作ったり、ほんの少しだけですが、バザーのバタバタを味わうことができました。

バザー、あわただしいし、とっても疲れるけれど、やっぱりとても楽しい。
バザーのバタバタを私が味わうためには、夫さんがちびっこの面倒を見る必要があるわけで、前日夜と当日朝から晩まで、ちびっことふたりで過ごしてくれた夫さんには大感謝です。勿論、がんばってお留守番してくれたちびっこにも。

そして、今年はわざわざ遊びに来てくれた友人が数名いて。これまた感謝なのです。
おかげで今年のバザーは楽しさ嬉しさ倍増でした。バタバタしていたのでゆっくり話せなかったけれど、顔が見れて嬉しかった!

もっとも。
バタバタしていた、と言いつつ、私は私でどっさり買い物をしました。
ちびっこの洋服8着に私の洋服15着、手作りお菓子にかばん、新品タイツ、小皿、絵本、入浴剤、ハンドクリーム、鼈甲のアクセサリー・・・。
「爆買いや。」といたるところで言われましたが、確かに爆買いした。なんならもっと欲しかった!
これだけ爆買いしても5000円未満なのです。バザーって、本当に楽しい。

早々と洗濯を済ませたので、今日はバザーでゲットした洋服で全身着飾って礼拝に出席する予定です。
セーターにスカート、タイツにカバン、全身着飾って600円。大満足です。

卒業しました

2016年05月30日 18時35分31秒 | 教会生活
日曜夜、連合青年会の引継会兼お疲れ様会があり、めでたく青年会を卒業しました。
追い出される側の人間だったので、ワガママ言ってもいいはず!と思い、我が家での開催を希望。なにせ外は雨が降り続いていて、家を出るのは気が重かったのです。
ワガママを快く聞いてもらったため、せめてご飯ぐらいは用意しなければ・・・と大手回転寿司チェーン店に向かい、お寿司をテイクアウト。・・・メインに手料理を用意する心の余裕や手料理に対する自信がまったくなかったのです。寿司!寿司がテーブルの真ん中にあれば場が華やぐよね!という逃げの一択でした。
とはいえ、お寿司だけではお腹が満たされる気が全然しない・・・。(特に私は。最近、恐ろしいぐらいに食欲があるのです。助産師さんからは前日に「もう1キロたりとも増えちゃだめー!」と念を押されたばかりではあるものの、でも!お腹がすくんです!寿司だけじゃ足りないんです!と、野菜サラダや野菜炒め、あとはお肉!お肉があれば小腹も満たされるはず!と大急ぎで夫さんと共に準備しました。(夫さん・・・これっぽっちも関係ないはずなのに。結局は直前のテーブルセッティングもすべて夫さんにやってもらいました。手際が悪いため、ひとりでは到底準備が間に合わなかったのです。かたじけない・・・・。)

19時にはみんなが揃い、にぎやかに乾杯!
青年会のこれまでを懐かしみながら振り返る・・・なんてことはなく、ひたすらにそれぞれの興味が赴くまま、好き勝手に色々と(主にそれぞれの私生活について)喋り倒した結果、笑い過ぎのあまり、お腹やほっぺたが筋肉痛になるんじゃないか疑惑が噴出するぐらい笑いました。
まったくもって中身がない会話ばかりだった上に、それぞれの個人情報ばかりでここに覚書すら記録できないのがとてもとても残念ですが、とりあえず「自覚がないのにオモシロイ人ってずるいなぁ」と強く強く思ったのでした。・・・いや、自覚がないからこそ、より一層オモシロさが際立つのかな?
あとは過去になんともオモシロイ経験を数多く抱えている人が当時は「オモシロイ」どころではなかったはずの出来事を開き直ってオモシロク話せるようになってるってのもズルイなぁ、と思いました。私なんて見渡す限りこれっぽっちも波風の立っていない人生を歩んできたというのに!世の中には波風だらけ、暴風雨だらけの充実した人生を歩んでいる人がいるようです。ずるい!語りつくせないほど過去の恋愛エピソードを抱えてるって、どゆことなの?(でも、よくよく考えると、オモシロく話せるようになるまでにものすごくものすごく大変な思いを重ねてきたわけで、やっぱりズルくはないかもしれません・・・。うん。あのおもしろエピソードの数々は本人の努力の結晶です。ずるくはない。)
なんにせよ、周囲の人を退屈させない人生って素敵だなー、としみじみ思ったのでした。

そして、20代前半の新婚さんは30代後半の新婚さんと違って、仲良しエピソードをこれほどまでに屈託なく話してくれるものなのかー・・・・と感嘆した夜にもなりました。私たちだってまだまだ新婚さん。それなりに仲良く暮らしている(と思っているんですが。少なくともツマは。)のに、20代夫婦の仲良しエピソードの破壊力の前ではかたなしでした。にこにこにこにこ幸せそうでした。幸せそうに、そしてごく普通のエピソードを話すかのようにベタ甘な夫婦生活を教えてくれるので、それがまた面白さを引き立ててくれていました。おなかいっぱいだ!

というわけで、気が付けば23時も間近で、「私、眠くなってきました・・・。」という教会仲間さんの一言でそそくさと解散となったのでした。
そそくさと解散する直前に本日の(私にとっては)最大の目的、「会計の引継」ができていないことを思い出し、大急ぎで昨年度繰越金を酔っ払いさんに手渡し、会計についての注意事項を口早に伝えました。あぁ・・・本当はこの作業にも少しちゃんと時間をかけたかったのに。お金も酔っ払いさんではなく、素面さんにお渡しするべきだったのに。(未だに慣れない)食事の準備に余裕がなさすぎて、本来の目的をすっかり忘れ果てていました。不覚・・・・。

お疲れ様会終了後、夫さんが後片付けを手伝ってくれながら
「青年会の引継って、飲み会のことやったんやね。」
と無邪気に感想を伝えてくれました。

ちがーーーーーーーうっ!
引継と飲み会はまったくの別物で、今回は私のミスで最後にバタバタとしかできなかったけど、あのバタバタとした時間こそが一番やりたかったことなのよー!と一生懸命言い募りましたが、言い募れば言い募るほど言い訳がましくなってしまったのは否めません。自分でもこりゃ完全に言い訳だわ、という自覚ありですが、それでも飲み会と引継会はまったく違うし、昨日のあのひとときは引継会なんですよー!と言い張らせていただきます。

幸せはこれから増えていくんです

2015年09月13日 08時19分44秒 | 教会生活
2015年9月12日、無事に結婚式を執り行うことができました。
友人たちからは
「絶対に絶対に幸せな一日になるよ」
「当日はあっという間だよ」
「夢みたいな一日だよ」
と言われ続けていましたが、本当にその通りの一日となりました。
帰宅して寝る間際まで
「楽しかったね。」
「本当にしてよかったね。」
「自分たちで言うのもなんだけど、いい式で、いいお食事会だったよね。」
と言い続けました。

来てくださった方々、本当にありがとうございました。
来れなかったけれど、メッセージをくださった方々、心に留めていてくださった方々も、本当に本当にありがとうございました。

あまりに幸せなので、これからゆっくりと反芻する予定です。

写真はいただいたお祝いの数々と、それ以外の諸々。
こちらもゆっくり反芻しようっと。
本当に本当にありがとうございました☆

善き力に我囲まれ

2015年07月30日 23時36分50秒 | 教会生活
今日は恩師の誕生日だということをふぇいすぶっくさんが教えてくれました。
昨年2月、静かに旅立った恩師の葬儀には教会に入りきれないぐらいの教え子や教師仲間が集まり、みんなで早すぎる恩師の死を悼みました。

ほぼ毎日かつての教え子と飲み歩いていた恩師。
教え子と飲み歩く店は、やはりかつての教え子のお店でした。
素面のときも酔っぱらったときもあまり変わらずひょうひょうとしていて、会うといつもおどけた顔で「元気しとうとや~?」と気遣ってくれました。
いつも教え子に囲まれていました。
私のはるか上の世代の先輩方も、現役の高校生もみんな恩師をあだなで呼んでいました。

偉そうなことも難しいことも一言も口にせず、ただただそっと寄り添ってくれる恩師でした。
そして、寄り添ってくれていることを決して気付かせないようにするシャイな恩師でした。

葬儀では、恩師が好きだった讃美歌をみんなで歌いました。

 善き力にわれ囲まれ
 守り慰められて
 世に悩み共にわかち
 新しい日を望もう

 過ぎた日々の悩み重く
 なおのしかかる時も
 さわぎ立つ心しずめ
 み旨に従いゆく

 善き力に守られつつ
 来るべき時を待とう
 夜も朝もいつも神は
 われらと共にいます

 たとい主から差し出される
 杯は苦くても
 恐れず感謝をこめて
 愛する手から受けよう

 輝かせよ主のともし火
 われらの闇の中に
 望みを主の手にゆだね
 来るべき朝を待とう

 善き力に守られつつ
 来るべき時を待とう
 夜も朝もいつも神は
 われらと共にいます


私はぶろぐで日々のあれこれを綴っているくせに、こまめではないためにインターネットを利用した交流がとても苦手で、友人や知り合いの近況を親切に教えてくれるふぇいすぶっくさんともまったく仲良くなれていないのですが、今日はふぇいすぶっくさんに登録していてよかったな、と思いました。酔っぱらった先生が教え子に私を検索させて「呑みようと。なんかよくわからんけど、承認しちゃらんね。」と友達申請してくれた日のことを懐かしく思い出しました。

この讃美歌、私の尊敬する友人のお母様も「大好き」と言っていた思い入れの強い曲です。思い入れが強すぎて、「できれば結婚式で歌いたい。」とお願いし、牧師から「だいじょうぶかー?!あんたのいちばん苦手分野が詰まった歌詞やけど?!」と大いに驚かれました。

そうでした・・・・。
私ときたら、いつだって周囲に「できることならします。できないことはできません!」と強く宣言しているほど、「無理をしない」ことに固執してしまっているのです。とてもじゃないけど、苦い杯を受け取れない。飲み干せない。と、あたふたしましたが。憧れるだけならただだもんねー、と開き直りました。

恩師も友人のお母様も。
どちらもそっと人に寄り添う素敵な方々でした。
そして、言葉ではなく、行動で希望を語る方々でした。
ふたりは今も私の憧れです。

なつやすみ楽しみました

2015年07月30日 20時27分49秒 | 教会生活
教会デイキャンプに参加しました。
今年は総勢40名以上、ちびっこも20名以上集まる大盛況ぶり。
我が甥っ子君と姪っ子ちゃんも参加し、一日楽しく遊びました。
(でも姪っ子ちゃんはお弁当の時間と水遊びの時間以外、ほとんど寝て過ごしていたような・・・。手のかからないできた子です 笑。)


今回のデイキャンプ、山場は「おべんとうのじかん」でした。
参加者はおにぎりと好きなおかず1品のみを持参し、全員で分け合おう!というプログラム。持ち寄りランチ会のようなイメージです。お弁当として持ってこれる人気メニュー、というわけでウィンナーや卵焼き、ハンバーグや鶏のささみなど、同じメニューが何品か集まってそれぞれの家庭の味が分かったり、普段、作っているものも味付けがまったく異なって、でもそれも思いの外美味しくて驚いたり、わいわいがやがわ賑やかにお昼を楽しめました。

甥っ子君は元来、人とものを分け合うのがとても苦手で「いっぱい食べていい?」とついつい聞いてしまう子なのですが(今回もお弁当前にずっと聞いてました。そして、「いただきます」まで待ちきれず、おかずを目の前まで持ってきてにらめっこしてました。「まだよー。」と7回は言いました。)たっくさん集まったおかずに興奮しつつも、ちゃんと自分の食べる分だけ、好きなおかずを選んでました。そして幸せそうにおかわりしていました。さっきまであんなに「いっぱい食べていい?」と言っていた妹さん作成の卵焼きには見向きもせず、他のママさんが持ってきたスパゲティサラダに夢中でした。でも、「全部食べる」なんて言い出さず(言い出しかねないのです。)ちゃんと自分の食べる分だけお皿に入れて、で「もっかいたべていい?」と聞いてきたあたり、なんていい子なんだ!!とおばちゃんはめろめろでした。(甘いのはちゃんと自覚しています。)

それにしても楽しかった。
みんなでわいわいお弁当。
すごくすごく楽しかったです。
そして、ちびっこの力って偉大だな、と思いました。
ちびっこがいるだけで、その場の空気が賑やかになる。(ま、時に賑やかになりすぎますが・・・。)
その賑やかな空気の中にいると、無条件で笑顔になれる気がします。

そして水遊びは最強だな、と毎年毎年思います。
水遊びだけで、ちびっこは十分に楽しそうにわいわいと遊び倒せます。1歳2歳のちびっこちゃんもひとりでぱしゃぱしゃぱしゃぱしゃ飽きもせずに繰り返していて、水の感触が面白いんだろうな、心地いいんだろうな、楽しいんだろうな、と微笑ましく見守り続けました。楽しそうに遊んでいる姪っ子を見ていると、私も十分に楽しい。
ひたすらに楽しそうに水遊びを楽しんでいた姪っ子ちゃん。
一方、甥っ子君は水着を忘れた(と妹さんが思い込んでいた)ため、洋服で池に入る必要があり、ひたすらに躊躇ってました。洋服・・・汚れるのいやかも・・・でも、水遊びは楽しそうかも・・・・と逡巡した結果、彼が出した結論が
「ねえね、あそこに入ってみて。」
というもの。どうやら、他の人に入ってもらって安心したかった模様。甥っ子君のこの不器用な立ち居振る舞いがかわいいやら切ないやら(なんとなく自分を見るようで切なくなるのです。なんとなく一番目ゆえの不器用さじゃないかなー、と親近感を感じるような「苦労するよ?」と励ましたくなるような。)とにかく甘酸っぱい感覚を楽しみました。

最後は総まとめ。みんなで今日の感想を言い合いました。
「おなかいっぱいのときってどんなかんじ?」
という牧師の質問に一番に応えたのは甥っ子君。

「うれしい。」
という素直な回答が胸にすとんと落ちました。

そうだよね。
ごはんたべてお腹いっぱいになるって嬉しいんだよね。
みんなでお話しながらごはん食べるのも嬉しいんだよね。
誰かとお話しながらごはん食べると、嬉しいがどんどん増えるんだよね。

普段は人見知りっ子だったり、本番に弱かったりする甥っ子君がたっくさん人がいる中で嬉しそうに得意そうにがしがし自分の意見を言っていて、そういう姿を見るのも楽しかったなー。すごくすごくかわいかったです。(おばばか・・・・。)

帰り道、甥っ子君は
「たろくん、ねちゃう・・・。」
と小さくつぶやいて撃沈。
車に乗って3分後ぐらいの出来事でした。
そうだよね。楽しかったけど、疲れたよね。
楽しかったから、疲れたんだよね。

というわけで、おばさんも心底疲れ果てました。
買物や引っ越し準備やらを済ませ、我が家に帰り着くや否や玄関先でへなへなと倒れ込みました。
いやー、普段、ほとんど日の光を浴びない生活をしているだけに、太陽と触れ合うと確実に体力を奪われます。

・・・・今年の100キロ、大丈夫かなぁ。不安です。