四季彩日記

英国暮らしを経て、日本の美を再発見

ハンガリー・ブダペスト Budapest

2010-07-09 06:41:38 | Weblog

3年間のロンドン生活を終えて、ついに帰国となりました。
数日後の引越しを控えて、あわただしい日々ですが、
最近の旅の一部をご覧ください。

ドナウの真珠と呼ばれるブダペスト。
東のペスト地区から西のブダ地区を眺めると、
「くさり橋」の向こうの丘に
13世紀に創建されたマーチャーシュ教会が聳えています。

何と言っても、夜景がすばらしかったのですが、
三脚無しの室内からの撮影で、
実物の美しさには到底及びませんでした。

こちらは歴代国王の居城だったブダ王宮。
とくにライトアップされて、闇に浮かび上がる姿は存在感たっぷりです。

南のゲッレールトの丘から市街を望む。
街は第二次世界大戦で、その多くが破壊されてしまいましたが、
戦後、修復され、中世の面影を見ることができます。

ハンガリー王国の長い歴史を見守ってきたドナウ川。
その流れは、今も変わらず、
旅人を悠久の彼方へと誘ってくれます。

 

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北イングランド ヨーク York Ⅲ

2010-06-21 05:50:32 | Weblog

ヨークの旧市街を貫流するウーズ川。
クルーズをしながら、町を眺めるのも、また、楽しそうです。

下はシャンブルス Shambles と呼ばれる細い通り。
中世そのままの姿で遺っています。
1階、2階、3階、と各階が下の階より前に突き出した家々が並んでいます。

「突き出した軒下に、昔は肉屋が肉をつりさげていた」
というのがガイドブックの説明ですが、
イギリス人にこの話をすると、また異なった答えが返ってきました。
「昔はトイレがなかったでしょ。夜はバケツに溜めていて、
朝ザーと上から流したのよ。ロンドンでもそういうふうにしていました。」
だから建物がこういう構造・・まあ!

その通りを私たちは歩いたわけです。

この建物は14世紀に建てられてギルドホールMerchant Adventurer's Hall です。
かつて、この町での海外貿易を独占していたという、ギルドの栄華が偲ばれます。

ホールは、現在も結婚式やパーティーに使われているだけあって、
居心地のいい空間でした。

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北イングランド ヨーク York Ⅱ

2010-06-13 23:00:14 | Weblog

北イングランドの古都、ヨーク。
旧市街は城壁(City Wall)に囲まれ、中世の雰囲気を遺しています。
城壁(周囲およそ4.5km)の上を歩くと、
ヨーク・ミンスターが現れます。

ヨーク・ミンスター York Minster はイングランド国教会の大聖堂です。
かつて木造の教会があったこの地に、
12世紀半ばから大聖堂の建築が始まり、完成したのは、1472年。
英国最大のイングランド・ゴシック様式の大聖堂といわれています。

上の写真は西側から見たもの、下は反対側から撮ったもので、
ともかく壮大。
内部の美しいステンドグラスが印象的でした。

ちょうど日曜日のミサの時間で、
パイプオルガンにあわせた聖歌隊の賛美歌が
大伽藍に響きわたっていました。

ヨークは、長きにわたり、多くの民族の抗争の場となりました。
ヨーク・ミンスターも、
その歴史の渦中で、火災にも遭いましたが、
今では、その威厳に満ちた姿で、ヨークの街を見守っています。


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北イングランド ヨーク York へ

2010-06-11 21:58:44 | Weblog

(前回と時期が前後します。5月中旬の記事です)

ヨークへ行ったことある?
と、何人もの人から聞かれました。
是非行ってみてごらんなさい・・という勧め従い、
ヨークへ出発。
ロンドン、キングス・クロス駅からおよそ2時間の列車の旅です。
15分も走ればご覧の通り。
ロンドンの周辺には田園風景が拡がっています。

この時期(4月末~5月中旬くらい)は、
菜の花畑の風景が延々と続きます。
おそらく、花を畑に漉き込んで、肥料にするのでしょう。

北海道の風景に似ていて、
美瑛みたい・・と感じることもあります。

ヨーク駅に到着。
丸窓や、柱上部の細工がさりげなく凝っています。
設計者の哲学が感じられる駅舎。
どういう人が設計したのかな~と、興味深く観回しました。

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ジヴェルニー Giverny 「モネの庭」 

2010-06-06 06:46:08 | Weblog

パリから西へ80㎞ほど。
ノルマンディー地方の小さな村・ジヴェルニーに「モネの庭」があります。

5月末、パリ発の観光バスで行ってみました。

印象派の画家、クロード・モネは、43歳の時(1883年)、
この地に移り住み、晩年を過ごしました。

モネといえば「睡蓮」。
モネは道を隔てたところに土地を買い増して、池をつくり、
この睡蓮の池をモチーフに、
200点余りの作品を制作しました。

モネは日本の浮世絵に魅せられ、
その影響は作品にも見ることができます。
池の周りの植栽も日本風。太鼓橋も架けられています。

『睡蓮の池と日本の橋』のタイトルの作品は
ロンドンのナショナル・ギャラリーで観られます。
上の写真はパリのオランジュリー美術館の『睡蓮』の大壁画(一部)。
モネは、86歳で亡くなる直前まで、この大作に絵筆をいれていたということです。

モネのもうひとつの庭は「花の庭」。
アイリスやバラがちょうど見ごろで、
まさに夢の花園でした。

緑の窓が印象深い建物は、
かつてのモネの自宅兼アトリエ。
2階の窓から庭を眺めながら、
モネは、こと細かに花の植栽についての指示を出したそうです。
庭も彼の作品でした。
室内には、浮世絵のコレクションも展示されています。

モネが亡くなった後、庭は荒廃しましたが、
有志の人たちの努力により、再び甦りました。
モネは、その庭のデザインの詳細を記録に遺していたといわれます。

(2010年 5月 30日)

 

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ロンドン 5月の花模様

2010-05-24 18:46:01 | Weblog

藤の花が見ごろです。
藤棚にしつらえたものもありますが、
壁や家の塀に這わせているのをよく見かけます。
上は、キュー・ガーデンの正門へ向かう途中でみかけた藤。
普通の民家でこの見事さです。

5月のキュー・ガーデンも花盛り。
様々な種類のライラックが咲き競い、
花房もボリュームたっぷりです。

ピンクに染まった木。
桜とは異なった種類ですが、名の特定はできません。

日本名はキングサリ(金鎖)。
その名のように黄金色に枝垂れます。
お買物の道すがら、頭上を彩るこの花に、思わず笑みがこぼれます。

キュー・ガーデンのこの日(5月10日)は、まだ5分咲きでした。
今頃は、もっと豪華なトンネルになっていることでしょう。

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ミラノ MilanoⅡ ガッレリアGalleria スカラ座Teatro alla Scala

2010-05-22 23:41:31 | Weblog

ドゥオーモ広場とスカラ広場を結ぶアーケード、ガッレリア。
これもミラノのビューポイントのひとつです。
1860年代から70年代にかけて建造されました。

ガラスを使って、自然光を取り入れた屋根。
その下のフレスコ画、そして床のモザイクタイル。
何度往復しても愉しめるアーケードです。

みやげもの店、ブランド店、そしてカフェやレストランもあり、
一日中、人通りが絶えません。

広場奥の建物はスカラ座です(写真下)。
スカラ座でオペラを鑑賞することがこの旅の目的でした。

ミラノⅠ・Ⅱでレポートしたところは、
ミラノの魅力がギュッと詰ったエリアだと感じています。

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ミラノ MilanoⅠ ドゥオーモDuomo 

2010-05-19 00:48:14 | Weblog

前回と時間が前後しますが、
4月24日、25日のミラノです。

ミラノのドゥオーモに10年ぶりに会いました。
かつては、黒ずんだグレーの建造物でしたが、近年の改修工事で、
神々しいクリーム色に変貌。
華麗で繊細、そして荘厳かつ巨大なゴシックの大聖堂に
圧倒されました。

天に伸びる尖塔は135本。
一番高い塔は108.5m。
それぞれ尖塔の頂上や壁には聖人の像が祭られていて、
その数3150体とも言われています。
この日は屋上へのエレベーターが閉鎖され、
昇れなかったのが残念でした。

着工は1386年。500年近い歳月がを経て完成したものです。

市電が走る通り沿いにあるこの煉瓦造り(下)は、
サンタ・マリア・デッレ・グラツィェ Santa Maria delle Grazie 教会。

レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」の絵で知られます。
かつてはこの名画を見るための長蛇の列ができましたが、
近年、予約制になりました。
しかし、シーズン中はかなり前から予約をしないと、
予約がとれない・・という話を聞いています。

教会が閉まっている、日曜のお昼過ぎ。
訪れる人も少ない、静かな佇まいでした。

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ブルーベル Bluebell

2010-05-15 23:53:10 | Weblog

ブルーベルの季節がやってきました。
家々の花壇や公園で、
紫のつりがね型のお花を見かけます。
色も濃い紫から淡いもの、たまには、ピンクがかったり、
白いものもあったりします。

黄スイセン同様、イギリス人の好む花で、
とりわけカーペットのように拡がる森の風景は
彼らの心のふるさとのようです。

ロンドンの南、ベッカムヒルという自然公園の林の中で、
ようやく出会えたブルーベルの群落。

そうそう、「ブルーベルの写真を送って・・」と言っていた、
東京に住むイギリス人にも送らなければ・・・。

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ロンドン 往く春 Ⅱ

2010-05-05 23:31:18 | Weblog

20℃を超えた、4月の下旬は、
これで、初夏へまっしぐら・・といった様相でしたが、
この数日は寒さが戻りました。
風が冷たく、手袋をはめている人さえ見かけます。

しかし、お花たちは着々と咲きほころび、
そして散っていきます。
今はマロニエが一番の見ごろ。
円錐形の白い花穂が、大木を飾る姿は
「見事」の一言です。

花壇の主役はスイセンからチューリップへ。
リージェント・パークの池のほとりには、
生垣にそって、長細長い花壇があります。
それぞれの花壇を、惚れ惚れと眺めました。

雨が降ってきました。
このブレ方はひどいものですが、
ちょっと面白いので、アップしてみました。

St.John's Wood地下鉄駅前のバス停。
5月1日に撮った写真ですが、
この八重桜は、今(5日)はもうかなり散ってしまっています。
往く春の名残が惜しまれます。

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ロンドン 往く春 

2010-05-02 23:12:02 | Weblog

5月になりました。
ロンドン市内、ライラックが見ごろを迎えています。
お買物の道すがら、色とりどりの花を見上げて歩くのが楽しみです。
散り始めた八重桜。
往く春が惜しまれます。

 

わ~。これは何の木かしら。
近づくと白い桜(下)です。

英国では、総じて樹木の花付きがみごとです。
もちろん手入れがゆき届いている、ということもありますが、
生垣の潅木に咲く花々を見ていると、
要因はそれだけではないように思われます。

今日、最大のトピックはカモの赤ちゃん。
何羽いるのでしょうか。
30cmくらいまで、カメラを近づけても、
親鳥がやってくる気配はありません。

触ってみたい誘惑・・・でもやっぱりやめておきましょう。
しばらく眺めていましたが、
この子たちは、ずっと同じ姿勢のままでした。

(上4枚はリージェント・パークにて)

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ベルリン Berlin

2010-04-20 05:31:09 | Weblog

2010年4月2日~5日 のイースター休暇に、
ベルリン=ドレスデン=チェコのプラハ
を訪ねるツアーに参加しました。

まずは、ベルリンから。

ラファエロの「テルヌオーヴァの聖母」
フェルメールの「紳士とワインを飲む女」
ベルリンの絵画館で、かろうじて写真が撮れたものです。
ほかに「真珠の首飾りの女」(フェルメール)はブレてアップできません。

さて、ベルリンといえば、「ベルリンの壁」が想い出されます。
壁崩壊から20年が過ぎた今、
壁の跡は、観光名所として残されているのみでした。
しかし、人々の心の傷は、まだ癒されていない・・
そう感じられたベルリンでもありました。

シュプレー川に架かる橋は、
東西ドイツが統一してから建設されたもので、
ここでは、川が東西を分けていたそうです。

観光用に遺されている、高さ4メートルの壁。

第2次世界大戦後、英・仏・米・ソ連によって分割占領され、
東西に分裂したベルリン。
そして西ベルリンは、東ドイツの中の陸の孤島になりました。
初期には東西の交流が比較的自由だったといわれていますが、
しだいに、西ベルリンを経由して西側へ亡命する東ドイツ人が増え、
それを憂えた東ドイツ政府により
1961年8月13日、有刺鉄線の壁が一夜にして造られたのです。
それが壁の始まりです。

壁の裏側は世界のアーティストに開放されたアートスペースとなっています

上は「チェックポイント・チャーリー」と呼ばれた
外国人専用の検問所を再現しているもの。
東西の境界線上に置かれていました。

写真の右手にみえる建物は「壁博物館」(撮影禁止)で、
ここでは、西側への脱出に使われた車や
トンネルを掘って脱出した学生達の話、
境界を越えようとして射殺された、若者のこと等々、
リアリティーのある展示が、
いやおうなく我々に冷戦の惨さをみせつけてくれました。

壁崩壊のシンボル「ブランデンブルク門」。
門の近くに壁が立ちはだかり、目抜き通りが壁で分断されていました。

1989年の壁崩壊の時には、
開放を喜ぶ、多くの市民がこの周辺に集まり、
この模様が放映され、世界中に衝撃を与えた、その舞台となった所です。

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春爛漫 キュー・ガーデン Kew Garden Ⅱ

2010-04-14 05:42:11 | Weblog

木々も芽吹き始め、
あたりは、命の息吹に満ちています。

ピクニックには最高の日和。
あちらこちらで、家族連れの姿を見かけました。

葉が開くのを待っていたかのように
蕾が伸びるマロニエ。
もうすぐ白い蝋燭に樹が覆われるのが楽しみです。

キュー・ガーデンの駅はローカル色豊か。
帰りもまた、桜に見守られながら電車に乗りました。

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春爛漫 キュー・ガーデン Kew Garden Ⅰ

2010-04-13 06:50:10 | Weblog

2010年4月10日のキュー・ガーデン。
多くの桜がほぼ満開でした。
世界中から草木を蒐集しているキュー・ガーデンには、
日本から移植したものも多く見られます。
日本名を冠した桜を見るのは、何とも嬉しい。

池の近くの枝垂れ桜が一番大きいもので、
あとは、まだ若木がほとんどでした。
近年になって、キュー・ガーデンは桜の移入をするようになった・・
ということですね。

色も形もさまざま。

これは、染井吉野です。
よくまあ、こんな寒いところで、ここまで育ったものです。
まだ、若木ですが、枝がちゃんと横に張っています。
満開の花をバックにツーショットのカップル。
花の中から顔を出して、写真を撮っている人たちもいて、
どこの国の人でも考えることは同じ・・と思いました。

異国で見る染井吉野は心に染み入る美しさでした。

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ロンドンに春が

2010-03-30 05:35:59 | Weblog

黄水仙が満開になって、春がきました。
相変わらず曇天や雨模様の多い日々ですが、
これから、次々と花が咲くのが楽しみです。
教会のお庭では、子ども達が楽しそうに遊んでいます。

下の写真は、日本では、ミヤマシキミと呼ばれるもののようです。
生垣などにもよく使われていて、
とてもいい香りがします。

ヒヤシンスとスミレの花壇。
このように、球根類と一年草の花を組み合わせてつくるのが
イギリスの春の花壇です。
そして、高めの草木をポイントとして植えます。

初めはパンジーの花壇のように見えたものが、
花々の間から、後発でチューリップがでてきたり・・
なかなか面白い。

それにしても、どのようにして、球根と重ならないように草花が植えられるのか・・
いつも不思議に感じています。

St.John's Wood Church のGardenにて。

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