夢七雑録

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稲荷百社詣その五

2007-12-09 21:54:27 | 稲荷百社詣

(7)妻恋神社(文京区湯島3)★

 妻恋神社は、ヤマトタケルが入水したオトタチバナ姫の事を嘆いたという伝承にもとづいて創建され、その後、倉稲魂神を合祀して妻恋稲荷となる。この稲荷は関東総司を名乗っているが、それは寺社奉行裁定で妻恋稲荷が関東総社と認められた事に由来する。しかし、世間の見方はこれとは異なり、関東を束ねるのは王子稲荷と思われていたらしい。妻恋稲荷も江戸稲荷番付で行司の役をつとめる稲荷ではあったが、勧進元をつとめ江戸随一と称された王子稲荷に、人気の点では及ぶべくも無かったのだろう。妻恋稲荷も夢枕の専売など手を打ってはいたようだが、それでも王子稲荷には敵わず、今では関東総社を自称して多くの参詣客を集めている王子稲荷に比べて、妻恋神社の方は境内も狭く閑散としていて、稲荷の祠も分離されている。とりあえず型どおりの参拝を済ませたが、本当は、公認の関東総社であったこの稲荷を、稲荷詣の最初に参詣すべきだったかも知れない。

(8)神田明神の稲荷(千代田区外神田2)

 神田明神の裏に回ってみると、やはり稲荷があった。末広稲荷と言い、意外と立派な鳥居が建って居る。この稲荷は神田明神が創建される以前から、この地にあったらしい。近くには江戸城内にあったと言う浦安稲荷も鎮座している。また金毘羅社との合祀ながら三宿稲荷も祭られている。神田明神は表の顔で、裏の顔は稲荷だったかと思いつつ、礼を失しないよう参拝してから外に出る。

(9)講武稲荷 (千代田区外神田1)

 秋葉原の電気街の一角に小さいが存在感のある稲荷が祭られていた。講武稲荷の名は武道練習所として幕府が開いた講武所に因んだものらしい。詳しくは稲荷社の前にある由緒書におまかせ。賽銭の方も近くの電気店が出す筈なので、そちらに任せて通り過ぎる。

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