夢七雑録

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東京の古民家めぐり・旧田中家住宅と旧粕谷家住宅(板橋区)

2017-11-14 21:31:10 | 東京の文化財

下赤塚駅を起点に、東京9区文化財古民家めぐりの対象である旧田中家住宅と旧粕谷家住宅めぐりをかね、いたばし文化財2017ふれあいウイークの赤塚地区コースを歩いてみた。下赤塚駅の北口から赤塚中央通りを北に向かうと、やがて道は下りとなり前谷津川跡の緑道を横切る。左に行く大堂への道を見送り、坂を上がって松月院前の交差点で松月院通りを渡り、怪談乳房榎の舞台にもなった松月院に立ち寄る。

松月院から北へ、急な坂を下る。今回は、東京大仏の乗蓮寺や赤塚植物園はパスし、不動の滝は音だけを聞き、美術館入口の交差点を過ぎ、赤塚溜池公園は素通りして板橋区立郷土資料館に向かう。明治時代に建てられ、昭和49年に移築された、板橋遊郭の新藤楼の玄関を見てから入館する。郷土資料館は入場無料。月休み。開催中の企画展「いたばし教育ヒストリー」を一通り見てから、屋外展示になっている旧田中家住宅を見に行く。

旧田中家住宅は、徳丸5丁目にあった建物の寄贈を受け、昭和47年に郷土資料館内へ移築したもので、板橋区の登録有形文化財になっている。建築時期は江戸時代後期か明治の初めと考えられ、以後も改築を重ねていたようだが、現在の建物は部分的に当初の様式に復元しているという。屋根は茅葺の寄棟造りで、葺き替えを行ったこともあるらしい。

右手の出入口から入ると土間で、奥にはカマドがある。上の写真は土間から表座敷とその向こうの奥座敷を見たものになる。旧田中家住宅は、デイ(表座敷)、ザシキ(奥座敷)、囲炉裏のあるオカッテ(勝手)、ヘヤ(納戸)からなる田の字型の四間取りで、関東地方では多くの農家に見られる建築様式らしい。ところで、田中家住宅があった場所は、江戸時代、豊島郡峡田領徳丸本村に属していた。寛文10年に徳丸村が徳丸本村、徳丸脇村、四ツ葉村に分かれるが、そのうち家の数が最も多かったのが徳丸本村であった。新編武蔵風土記稿によると、村では溜池を設けて耕植をしていたようだが、村絵図を見ると田は北側の低地にあり、前谷津川の谷を挟む台地は畑になっていた。徳丸本村の農家では水稲耕作を行うほか、畑では大根など根菜類を栽培し、沢庵漬けなどを生産していたらしい。

旧田中家住宅の前に、昭和47年に蓮根の中村家から寄贈された切妻瓦葺の納屋があり、また、昭和48年に大門の須田家から寄贈された井戸小屋もあった。旧田中家住宅とは場所も違い時代も異なるのだろうが、違和感もなく一つに収まって見える。

美術館入口の交差点まで戻って左に折れ、坂を上がる。新大宮バイパスを横断し、竹の子公園を過ぎると、左側に下赤塚村の鎮守であった赤塚諏訪神社がある。この神社と徳丸北野神社の神事「田遊び」は、国の重要無形民俗文化財に指定されている。

赤塚諏訪神社から南に行くと道は左右に分かれる。もともとは、向こうに見える浅間神社の鳥居まで赤塚諏訪神社の参道が伸びていたのだろうが、今は入れないようなので右に行き、新大宮バイパス沿いの道を南に進み、途中の通路を左に入って浅間神社に行く。この神社の後ろには、明治5年以前に築造された区登録記念物(史跡)の富士塚がある。

新大宮バイパスに沿って先に進み、新四葉の交差点を左に行く。次の交差点を左に入ったところに四ツ葉村の鎮守だった四葉稲荷神社がある。この交差点を南に行き次の交差点を左に折れる。この道は松月院通りの続きの道で、江戸時代の道に相当している。

松月院通りを東に向かい、紅梅小前の交差点の先を左に入り、次の角を右に行くと安楽寺に出る。ここを過ぎ、突き当りを左に、次の角を右に入ると古民家めぐりの対象になっている旧粕谷家住宅に出る。この建物がまだ住居として使われていた頃、公開日に見に行ったことがある。上の写真はその時のもので、建物の内部は改装されていたが、外観は寄棟造り茅葺の古民家の姿をとどめていた。粕谷家住宅は徳丸脇村の名主であった粕谷浅右衛門が隠居した時に建てたもので、位置は現在まで変わっていないという。享保8年(1723)の墨書銘が見つかっている事から、建築年の分かる民家としては、都内最古と考えられている。

この建物は、“粕谷尹久子家住宅”として平成15年に板橋区の有形文化財(建造物)に指定されているが、平成19年に板橋区に寄贈されたこと、粕谷家が“東の隠居”と呼ばれていたこと、また、屋敷の庭が家屋と一体化していることから、“旧粕谷家(東の隠居)住宅・付宅地”に名称変更されている。現在、旧粕谷住宅は復元工事が進行中のため、外からそっと眺めるにとどめ、松月院通りに戻る。

松月院通りを東に向かい、徳丸7の交差点を右に折れ、「田遊び」神事の北野神社沿いに上がり、境内に沿って右に折れると左側に郷土芸能伝承館がある。赤塚地区コースはこれにて終りとなる。郷土芸能伝承館の南側の道を西に下って次の信号を左折すると徳丸通りとなり、前谷津川の谷の上を越えて、坂を上がって南に進めば東武練馬駅に出られるが、今回は徳丸7の交差点に戻って北に進み、高島平駅を目指す。

 


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