夢七雑録

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目白から中井までアトリエめぐり

2018-11-08 19:23:27 | 東京の文化財

文化財ウイークに公開されていた旧島津家住宅アトリエを見に行ったが、これに中村彝アトリエ記念館、佐伯祐三アトリエ記念館、林芙美子記念館を加えて、旧アトリエをめぐる散歩道を考えてみた。

(1)中村彝アトリエ記念館

目白駅から目白通りを西に進み、目白三の交差点を左に折れ、駐在所のある角を右に折れる。道がやや下がりかけたところで、右斜め前方に行く道に入る。この道の左側は林泉園とよばれていた谷の跡で、道の途中の崖際に彝桜と呼ばれる桜の老木があったが、既に枯れてしまっている。道を先に進むと、中村彝アトリエ記念館(新宿区下落合3-5-7)があり、中村彝(なかむらつね)のアトリエが当初の姿に復元されている。

新進の画家であった中村彝(1887-1924)が支援者の援助を受けて、この地にアトリエ兼住居を新築して移り住んだのは1916年のことである。中村彝は芝生の庭に花壇を設け藤棚を造らせたりしていたという。

記念館には管理棟があり展示品や解説パネルが置かれている。管理棟の中を見てからアトリエ棟に入る。建物は当時の部材を利用して復元され、家具や調度品も当時の品の複製品が置かれているという。アトリエの南側は彝の居間で、西側には身の回りの世話をしていた岡崎きいの部屋と台所があった。

アトリエの北側は広い窓で、天窓もあった。中村彝は結核を患っていたため、外出も思うにまかせず、このアトリエで療養を続けながら、制作に励む日々であったらしい。中村彝アトリエ記念館の前の道は、佐伯祐三アトリエ記念館とを結ぶ、芸術にふれる散歩道ということでアートの小路と呼ばれている。

 

(2)佐伯祐三アトリエ記念館

中村彝アトリエ記念館を出て西に向かう。二つ目の角を右に、次の角を左に、その先を右に次を左に行く。小路と呼ぶのが相応しい道を西に進み、下落合公園の横を通り、左に第六天の祠を見て先に進んで右に折れ左に進むと、聖母坂通りに出る。横断歩道を渡って右へ、次の角を左に行くと、佐伯公園への道に出る。今だけだが、左側に佐伯祐三アトリエ記念館と公園の全景が見えている。

佐伯祐三(1898-1928)は、1921年、当地に自宅兼アトリエを新築して住むようになる。その場所は公園となり、佐伯祐三アトリエの地として新宿区の史跡に指定されている。現存するアトリエは修復され佐伯祐三アトリエ記念館になっており、展示室として公開されている。

アトリエの隣にある小部屋は佐伯祐三自身が建てたもので、現在は展示室になっている。アトリエの南側には母屋が隣接していたが現存せず、テラスがその位置を示している。母屋には東屋風の建物が付属していたが、現在は復元されて管理棟になっている。佐伯公園を出てもとの道に戻り、西に向かって進み山手通りに出る。

 

(3)旧島津家住宅アトリエ

山手通りを南に進み、交差点で新目白通りと山手通りを渡って、新目白通りを左側の歩道で少し行き、道標により左斜め前方に入る坂上通りを歩く。一の坂、二の坂を過ぎて三の坂の道標により左側の細い道に入る。二つ目の角を右に行くと、国登録有形文化財(建造物)の旧島津家住宅アトリエに出る。通常は非公開だが、文化財ウイークに日時を限って特別公開されることがある。公開されていない時は、坂上通りを先に進んで四の坂を左に行けば林芙美子記念館に出られる。

旧島津家住宅アトリエは、島津製作所三代目の島津源吉が、長男で洋画家の島津一郎のアトリエとして建てたもので、昭和7年以前の建築という。設計は吉武東里と考えられている。建物の所有者は何代かの変遷はあるものの、建物は当時の姿を残しているようだ。アプローチを通り、門を入って直ぐのところが玄関で、鉄の装飾金具を付けた板扉があるが、特別公開の時はここからは入らず、南側の庭から入るようになっている。

建物の西側を先に進むと南側の庭に出る。南側の庭は手入れが行き届いており、流れも造られているので人工の庭には違いないのだが、別荘地の自然の一部を切り取ってきたような庭になっている。木漏れ日の中でベンチに座っていると、何となく心が落ち着いてくる、そんな庭である。

旧島津家住宅アトリエは、正面に大きな切妻破風を見せる木造平屋建ての桟瓦葺きだが、屋根に煙突があり洋風のように見える。外壁はモルタル仕上げだが上部は板壁になっている。

建物の中央部分は広いアトリエになっている。南側はベランダで、ガラス格子戸で仕切られ、その上部には中二階がある。北面には大きな採光窓が設けられている。

 建物の東側には書斎と風呂が配置されており、中二階に上がる階段がある。中二階からはアトリエ全体を見下ろすことができる。

西側には玄関のほか、応接室と洗面所・トイレがある。応接室には南側に窓があり、西側には暖炉がある。ほかにホリコタツもあるらしい。

 島津家がこの辺りに所有していた1万坪程の土地は後になって売却されたが、林芙美子も島津家から土地を買い受けた一人であったという。

 

(4)林芙美子記念館

旧島津家住宅を出て西に行くと四の坂通りに出るが、ここを左に下ったところに林芙美子記念館がある。記念館への入口は勝手口に近い北側にあるが、林芙美子を訪ねて来る客は、南側にある門を入って、少し上がったところにある玄関から中に入った。

この家を建てた当時は建坪に制限があったため、林芙美子名義の生活棟と、画家で後に夫となる手塚緑敏名義のアトリエ棟として建て、勝手口でつないでいた。写真の右側は生活棟で、左側がアトリエ棟になっている。林芙美子はこの家を建てるに当たってかなり勉強していたようで、設計者の山口文象にとっては注文の多い施主であったろう。

今回の散歩道はアトリエめぐりなので、ここではアトリエに注目する。林芙美子の家は数寄屋造りの京風と、おおらかな民家風をあわせもつ住いという事だが、アトリエ棟のうち書斎、寝室と次の間、書庫についてはこれに合致する住居になっている。問題はアトリエである。林芙美子も油絵を描いていたから、画室としての条件は要求しただろうが、和風の住宅と調和することも求めたのだろう。結果として、アトリエがあまり目立たない設計になっている。

現在、アトリエは展示室になっていて、林芙美子に関する資料を展示している。展示室内を覗いて見ると、北側は広いガラス窓で天窓も設けられている。

アトリエの外観は敷地北側の斜面の上から見る事が出来るが、大きな窓と天窓もあり、建物も他より高くなっているが、裏手にあたるので問題がないという事なのだろう。帰りは中井通りを東に向かい、山手通りの手前を右に行けば中井駅の入口になる。


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