伝えたんく

日々の何気ないできごとに感じた幸せ

恥じらい

2008-04-09 23:56:48 | Weblog
「恥じらい」とは、はじらう気持ち・はじらう態度のことだそうである。
 その「はじらう」とは恥ずかしがることをいうそうだ。
写真を見てくれたまえ。左側の男の子は3歳のゆきたんくである。父親の田舎に行った時にいとことツーショット、それもワンピースを着て笑顔で写っているのである。そしてこの時のことは記憶にも残っていない。自分で着る訳がないのだから誰かが着せたのであろう。そして写真の分析だがゆきたんくは恥ずかしがってはいないのである。何事も当たり前のように受け入れてしまう時期というのはあるものだ。この時期に正しい躾がされて初めて人間になっていくのだと思う。「三つ子の魂百までである。」ちなみにこの二年後に引越しした先で友達ができて、その兄に「ゆきちゃん」と呼ばれていたことがあるのだが、「ぼく、女の子じゃないもん、ゆきくんと呼んで」と言い返したことを思い出した。べつに「ゆきちゃん」でもおかしくと思うのだが、あの時は無性に恥ずかしかったことを覚えている。
 ゆきたんくが思うのは何でも無条件で受け入れていた無垢な時に、
  ピアノを習わせてくれたら…
  英会話教室に通わせてくれたら…
  サッカーのクラブチームに入れてくれたら…
など今となっては欲張りなことを思うのである。
そういえばハンマー投げの室伏選手はこのころ父親の作ったおもちゃのハンマーで遊んでいたというではないか。彼の父親がまだ現役の頃、そう八カ国対抗陸上が国立競技場で開催された時、スタンドで父親の応援をしながら大学生顔負けの四回転ターンをしていた四歳の彼を見たことがある。
もしかしたら人間というのは恥じらいを知る前に生き方の素質が決まっているのかもしれない。
コメント
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