令和4年1月20日(曇り)
今日は大寒で当地もマイナス6度と超寒い。景色も樹氷が綺麗で寒いので昼頃まで雪は落ちませんでしたね。此の絶景が居間から見える景色です。山に行かなくても堪能できます。
【旅の軌跡】
旅の軌跡は12月15日です。当日は道の駅「うみんぴあ大飯」で朝8時頃ゆっくり起きて移動ですが、お風呂に入りたくて隣の道の駅「シーサイド高浜」に温泉が付いているので行ってみました。しかし、道の駅、温泉とも完全、定休日でやっていませんでした。道の駅で定休日でやっていないというのは初めての経験です。昨夜の宿泊をこの道の駅にすれば良かったと悔やみましたね。うみんぴあ大飯とシーサイド高浜って昨夜は結構遠いと思っていたんですが3km程しか離れていませんでしたので情報の読み違えでしたね。
この道の駅に留まる車はトイレ休憩のみなので凄く空いていました。自分も急ぐ旅では無いのでここの情報スペースで1時間ほど旅の情報をパソコンで整理していました。その後、道の駅の裏側の堤防が凄く走りやすそうな感じだったので早速、着替えて距離にして2km程ジョギングをしました。車運転ばかりで運動不足ですからね。この地域は原発が有るので路や橋がとても整備されていて何処の原発のある地域も同じなんですが、多分、原発が無ければ過疎地域だと思うけど原発特需で町が発展するんですね。この道の駅の脇や対岸にもの凄い規模の農業用ハウスが立ち並んでいます。栽培野菜はトマトと苺のようでしたね。まさに野菜工場です。旅していつも思うけど、田舎で突然、有り得ない様な道路が出現したり、何でこんなところに高速道路がって思う事が度々あります。そしてその市町村の境界から隣の市町村になった途端、直ぐに道が狭く成ったりして、それを見ただけで原発から助成金の有る無しが此の境界で分かれるんだなと直ぐ判ります。その地域一帯だけ栄えているんですがそこの前後の地域は同じ国道なのに狭くてカーブだらけの過疎国道なんですね。走ってみれば良く解ります。あからさまなんですヨ。
そこから徐に移動して旅に復帰です。次に向かったのは舞鶴市です。先ずは昼食を道の駅で取りましたが、前に掲載した通りです。
今回は「岸壁の母」の記念碑でも見たいなと思って行きました。双葉百合子の「岸壁の母」の歌は自分のカラオケでも歌いますし、上手いですよ。先ずは舞鶴港に行ってみました。軍港のようで海上自衛隊の基地がありました。フェリーもここに着くみたいですね。次は秋田からフェリーでここまで来ても面白いかも?
岸壁の母公園に行ってみました。駐車場は広くてこの時期なので観光客は余りいませんでしたが車のナンバーを見てみると遠くから来ている人たちが多かったですね。
展望台に登ってみたいと思います。展望台までは5分ほどで上がれますが、道すがら引き上げてきた人たちの記念樹が沢山植栽されていました。この標を見ると完全に戦後です。
展望台はこんなモニュメントが建てられています。自分が会社に入ったころは宴会では軍歌が良く歌われていましたから、自分もこれらの歌は今でも歌詞無しで歌えますよ。あの頃はカラオケなんてなかったですからね。同期の桜は定番でしたね。
引き上げ桟橋はあそこのようですね。意外と小さいですね。この説明分からすると引き上げ船に小型船が横付けして乗り換えて上陸したようですね。今は材木の貯木場になっていますね。あそこまでは行きませんでした。
この湾には綺麗な橋が架かっています。「舞鶴クレイン(鶴)橋」というらしいです。橋柱は鶴の胴体で両側が羽のイメージでデザインされていて2羽の鶴が描かれているようです。綺麗な橋ですね。走りませんでしたけどその先の地域にとってはこの橋で利便性が向上しているようです。何しろこの公園に来る迄には凄いカーブとアップダウンの道を6km程走らなければならず雪が降ったら通行が大変という所でしたからこの先の地域の人々には喜ばれる橋ですね。
という事で次は「天の橋立」に向かいました。
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