おとらのブログ

観たもの、見たもの、読んだもの、食べたものについて、ウダウダ、ツラツラ、ヘラヘラ書き綴っています。

「燕子花図屏風の茶会」

2022-05-03 23:37:49 | 見たもの
 根津美術館で開催されている「燕子花図屏風の茶会 昭和12年5月の取り合わせ」でございます。先日の上京の折に見てまいりました。

 上京2日目は歌舞伎座は第3部だけにして、昼間は全くのフリーにしておりました。「新宿伊勢丹へGO!」はmustでしたが、それだけっちゅうのも「何だかなぁ」と思い、美術館情報をあちこち見ていたら、そういえば「根津の『燕子花図屏風』はカキツバタが咲く時期だけ公開される」って聞いたことがあったなぁと思い、こちらに行くことにしました。

 展覧会の概要です。
 
根津美術館のコレクションの礎を築いた初代根津嘉一郎(1860〜1940、号青山)が尾形光琳による「燕子花図屏風」を購入したのは大正3年(1914)。以降、嘉一郎は展覧会や茶会で、惜しみなくこの大傑作を披露しました。本展覧会は、そのうち、昭和12年(1937)5月の茶会で取り合わされた茶道具の名品と共に国宝「燕子花図屏風」をご覧いただくものです。 この茶会は5月5日を初日とし、政財界の友人5、6名ずつを招き、約数日間にわたって東京・青山の自邸で催されました。「燕子花図屏風」をはじめ、円山応挙筆「藤花図屏風」、「鼠志野茶碗 銘 山の端」など、名品が次々に披露されました。この会の取り合わせは、数ある嘉一郎の茶会のうち、ひときわ荘厳にして豪華といえるものです。 77歳を目前にした嘉一郎の堂々たる布陣をご堪能ください。

 なかなかすごい展覧会でした(語彙力がなくて申し訳ございません)。作品は茶事(正式な茶会)の流れに沿って展示されていました。①待合席②本席(懐石・炭手前-中立-濃茶)③薄茶席④浅酌席⑤番茶席の順番です。それぞれの場面に根津さんが所有されていたお茶碗や茶入、茶杓、水差などのお茶のお道具から床の間のお軸や花入れ、懐石の食器、そしてメインの光琳の「燕子花図屏風」、応挙の「藤花図屏風」、「吉野図屏風」(作者不詳だそうですが、以前は狩野永徳作と言われていたそうです)まで、非常に見応えがありました。当時の白黒写真もところどころに展示されていて、白黒でも華やかで豪奢な茶会だとわかります。メインの屏風が飾られた大書院は55畳あったそうで、貧乏人はちょっとひっくり返りそうになりましたが…。

 「燕子花図屏風」は金地に濃淡の群青と緑青で燕子花がリズミカルに描かれ、“昔の”って感じがしません。現地に行ってから思い出したのですが、これ京博の「国宝展」で見ておりました。帰って図録を見たら図録の表紙がこれでした。インパクトのある絵なんですよね。「吉野図屏風」は全面桜花が描かれた春爛漫の屏風でした。「吉野龍田図」の右隻にあたるそうで、左隻は錦繍の紅葉が全面に描かれているそうで、それ全部いっしょに見たい!って思いました。秋に行けば、それが見られるんでしょうか。

 番外編として「茶会記」が展示されていました。この茶会に招かれた方たちが残されたものです。その中に畠山一清(即翁)氏が書かれた茶会記もあって、昨年「畠山コレクション」を京博で見たので、「あ、この人知ってる」ってちょっと反応してしまいました。

 “何となく行った”展覧会でしたが、とても充実した素晴らしい展覧会でした。会期は15日(日)まで、日時指定制になっているので、そんなめちゃ混みにはならないと思います。10日(火)~15日(日)は19時まで開館しているそうです。お江戸の皆様、です。

 庭園も回ってきました。
 

 
 鳥居がありました。「飛梅祠」と言う名前で、天神となった菅原道真が中国で参禅した姿を表した石造の渡唐天神像が祀られていました。菅原道真=孝夫さんなので、つい反応してしまいます。

 
 青紅葉がきれいです。

 
 
 燕子花が見ごろになっていました。

 
 ちょっとわかりづらいですが藤の花です。

 
 
 
 
 燕子花だけでなくいろいろなお花も咲いています(スミマセン、ざっくりで…)

 
 鴨がいました。
コメント (4)
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