おとらのブログ

観たもの、見たもの、読んだもの、食べたものについて、ウダウダ、ツラツラ、ヘラヘラ書き綴っています。

道明寺

2020-02-24 22:53:25 | お出かけ
 最近、本当に出不精になり、劇場以外はどこも行かなくなっていたワタクシですが、歌舞伎座で孝夫さんと玉ちゃんの「道明寺」を見たら、「そうだ、『道明寺』行こう!」と思い、てくてくとお出かけしてまいりました。

 以前住んでいたところと道明寺は近く、小学生か中学生のころに自転車で行ったことがあり(そういう距離でした)、わが家の初詣の定番、高校受験・大学受験のご祈祷もこちらでした。と言っても、行ってたのは道明寺天満宮の方でした。ずっと「道明寺さん」と呼んでたので、天神さんが道明寺だと思っていました。ま、そういう土地勘があったので、行ってみようかと思いました。

 Wikiからの引用です。
道明寺周辺は、菅原道真の祖先にあたる豪族、土師(はじ)氏の根拠地であった。道明寺は土師氏の氏寺土師寺として建立され、土師神社(現・道明寺天満宮)の南にあった。当時は七堂伽藍や五重塔のある大規模なものであった
延喜元年(901年)、大宰府に左遷される道真がこの寺にいた叔母の覚寿尼を訪ね「鳴けばこそ別れも憂けれ鶏の音のなからん里の暁もかな」と詠み、別れを惜しんだと伝えられる。この故事は、後に人形浄瑠璃・歌舞伎の『菅原伝授手習鑑』「道明寺」の場にも描かれている。道真の死後、天暦元年(947年)には道真自刻と伝える十一面観音像を祀って土師寺を道明寺と改めるが、これは道真の号である「道明」に由来する。この時同時に、土師神社内に天満宮も創建された。
天正3年(1575年)には、兵火で天満宮を含む寺の大部分が焼失するが、後に再興。
寛永10年(1633年)には石川が氾濫したため、道明寺を天満宮境内に移転させたが、やがて両者は一体化していった。
1872年(明治5年)神仏分離することとなり、道明寺の五坊のうち二之室が神職家となって6月に天満宮は土師神社(現・道明寺天満宮)に改称する。翌1873年(明治6年)9月、道明寺はついに天満宮と分離し、道を隔てた西隣の現在地に移転した。


 久しぶりに近鉄南大阪線に乗りました。近鉄南大阪線はあべのハルカスのあるところから出ている電車です。道明寺駅までは20分ぐらい、梅の季節だし、お天気も良いし、連休だし観光客も多いのかしらと思ったら、降りたのは数人、さらに天神さんへ向かったのはワタシ一人でした。天神さんへ行ってわかったのですが、皆さん、車で来られるんですね。駐車場はなかなか入れなくて外まで車が並んでいました。

 
 
 
 神門

 
 注連柱

 
 石鳥居

 
 撫で牛

 
 
 拝殿

 
 宝物館
 国宝を六点も所有しています(いずれも「菅公遺品」)。一応、外は蔵のような感じで火事とかに配慮しているようです。国宝は全部展示してありましたが、ケースは木枠にガラスをはめたもの、温度・湿度管理や地震対策はまったくしてないような感じでした。藤井寺市指定文化財の屏風が展示してありましたが、その隅にはお菓子に入っている乾燥剤(シリカゲル?)が無造作に置かれてありました。なかなかの衝撃でした。国宝って管理が結構うるさいって聞くのですが、いいんでしょうかね?

 
 
 
 
 
 
 梅園
 先週が満開だったようで、結構散ってました。下から二つ目の写真に映っている橋は、上から見られるようにと梅園の中に作られていました。地元のロータリーかライオンズか何かそういう感じの団体が寄贈されていました。

 
 「花より団子」
 梅園に入る手前のところで地元の和菓子屋さんが売店を出されており、そちらで買いました。三色団子・桜餅・古墳外郎です。梅園の中にベンチがあって、そこでいただきました。お弁当をお持ちの方もいらっしゃいました。
このあたり、百舌鳥古市古墳群(ユネスコの世界遺産に登録されたところ)のど真ん中で、昨年(でしたっけ?)指定を受けて、盛り上がっています。天神さんの入り口のところにも無料の観光ボランティアの人が大勢スタンバイ、「古墳、案内します!」の圧がすごかったです。道真公や覚寿様について語っていただけるのなら、ぜひお願いしたかったのですが、そういう雰囲気ではなく…。「今月の歌舞伎座、すごいですよね」ぐらい、言いたかったです。宝物殿ではお若い巫女さんが受付されていたのですが、「菅公遺品」を見て菅丞相様のことお話しようかと思いましたが、どうもそういうのに興味なさげな感じで…。

 天神さんとお寺の道明寺は別場所でして、100メートルぐらい離れていました。

 
 
 
 
 
 
 天神さんのほうは少ないとはいえ、まだ人がわさわさとおりましたが、こちらは本当に人がいませんでした。お寺の方も見かけませんでした。ご本尊は道真公が手ずから刻まれた「国宝十一面観世音菩薩像」だそうですが、公開は毎月18日と25日なので、今日は拝めませんでした。このご本堂の“静謐”な感じ、何となく歌舞伎の「道明寺」の雰囲気と似ているような気がしました。今も尼寺だそうです。本堂には入れませんが、扉の前までは靴を脱いで上がってもいいので、扉のガラス戸越しに必死でのぞいておりました。

 
 こちらにも梅がありました。

 昨年1月には北野天満宮、11月には太宰府天満宮と今月の孝夫さんの菅丞相様を予測していたかのように天神さん詣でが続きました。ファンとしてはちょっと嬉しかったです。で、今回“締め”で道明寺にもまいったわけですが、「道明寺ガンバレ」と言いたい!規模の違いがあるのかもしれませんが、北野の天神さんも太宰府もすごい商売上手、行っててお楽しみがいっぱいありました。特に太宰府は門前の商店街も盛り上がっていましたから。一応、駅からは商店があるのですが、特に天神さんを意識したものでなく、地元の日常のお店ばっかり。せっかく、世界遺産にもなったことだし、もうちょっとテコ入れしたほうがいいのではないでしょうか、と思いました。

 なので、ウチからだともっと時間がかかるかしらと思っていましたが、天神さんと道明寺をお参りするだけでとっとと電車に乗り、さらにあべのハルカスの近鉄百貨店も魅力的ではないので(百貨店愛好家のワタシは「大いなる田舎の百貨店」と呼んでいます)、そちらも地下でチラッと買い物をしただけ、早くお家に帰れてよかったです。

 孝夫さんも次回菅丞相様をお勤めの折には、ぜひ道明寺へお越しくださいませ。義太夫の葵太夫さんはお若い時に道明寺にいらっしゃっています(ツイッターに写真を載せていらっしゃいました)。葵太夫さんは「天拝山の段」も復活したいとおっしゃっていて、それ期待しております。孝夫さん、口から火吹きます?
コメント (2)
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