前回の記事でいくつものシリーズが平行して見にくくて申し訳ないと言った口が渇かないうちに、
またも新シリーズを立ち上げてしまった愚かさをお許しください。
前回の写真で新しく立ち上げた蛇口を紹介したが、本当に苦労したのはこの部分でした。
苦労話を披露したがるほどもうろくしてきた中高年の我がままを茶目っ気と思って聞いてくだされ。
実は一番肝心の旧蛇口との接続、通水してのテストの後によく見れば、水栓柱をタラタラと水が流れているではないか。
しかしながら写真をご覧になればわかるとおり、もう左に回転してはずせる状態ではない。
家ごと回すかーなんて、冗談言ってる場合でもない。
時間をかけて調べたらわずかな漏水であることがわかった。
何も知らない初心者が100%完璧な仕事をしても、プロも困ろうと自分に言い聞かせ納得することにした。
という落ちが付いたことを正直に告白したかったのです。
両方、クリックしてね!
この構図はどこかで、いや何かで見たような…。
はて、どこだったか?いや何だったか?
思い当たるまでのもどかしさ。喉の奥につかえたその糸玉が絡んだようなイメージのかけらは今回はなかなかその姿を現そうとしない。
あなたの「家ごと回すかーなんて、冗談言ってる場合でもない。」の発想に小生爆笑して、14畳の居間を端から端まで隙間なく、腹を押さえながら喘ぎ、転げ回ってしまった。確かにそれしかない。
連れ合いが不思議な顔でその光景を眺めているのが眼に止まった。
ところで、翌日。
たしかにそれしか方法はない。でも不可能だ。何故か不思議な気がした。それが出来たらどんな簡単な話だろうとあれこれ考えているうちに、突然絡んだ糸玉から糸先が出てきて、それを引っ張ると隠れていたイメージが現われた。
エッシャーだ!マウリッツ・エッシャーの絵だ!
彼の絵はまるでメビウスの循環の世界。見るものを不可能が可能となりえるような錯覚に陥らせますよね。そう、完璧な錯覚の世界。
この構図もそのような…。
ああ、よかった。もどかしさからの解放です。笑い転げ回った甲斐がありました。
そんな時そのもどかしさゆえに、小太りおじさんなんか友人に電話かけまくってます。迷惑です。
せっかくのどもとまで出てきて、ことばにしようと思った瞬間、ウっと飲み込んでしまったりして・・・アアアーそこまできてたのに・・・なんて事。多いなー。
しかし千人に一人も(そんなに見てないっちゅーに)気づかないはずのたった7文字のジョーク、見事にキャッチしていただいたうれしさ。見落としがない。写真は切れてるのに延長の推測、完全な理解。
しかしこの写真からエッシャーですか!!すごいなー、美術・絵画・ミステリーに造詣の深いポアロさんならではの発想です。
土方作業は大好きだがエッシャーを知らないカミさんに、例のだまし絵をインターネットで検索して教えようと見せました。
錯覚であることにすら気づかない。
「水が登ってるんでしょう」と言い張る。
「どこにポンプのついとっか!」といらいらして、声が大きくなる。
「そいじゃー、水が下ってるのなら、何で下に
滝のように流れるの?」
「もーよか!」
ここでさじを投げました。さじどころか石ころでも投げたろかと思うぐらい話が通じないのは淋しいものです。
ところで次の日の朝日新聞の日曜版に「目の冒険」-錯視の話⑫と言う記事があり、これが最終回でその中に「錯視が見えない人の目や脳がよくないと言うことはない。逆に、生物として生存しやすさという点では、錯視が起きにくいということは優れた視覚系であるとも言える」とあり、カミさんに見せて慰めました。
ちなみに来週からは「だまし絵と半世紀」が始まるそうなのでたっぷりエッシャーの講義をしたいと思います。