yoosanよしなしごとを綴る

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2022.4水澤観世音・伊香保温泉を歩く

2022年07月06日 | 旅行

群馬を歩く>  2022.4 水澤観世音・伊香保温泉を歩く

 高崎市役所から一般道を北に走り、今日の宿の伊香保温泉に向かう途中、県道15号線に面した水澤観世音=五徳山水澤寺に寄った。仁王門下、参道入口の駐車場は狭いので、坂道を上り広々とした駐車場に車を止める。駐車場~境内には500本のソメイヨシノ、彼岸桜などが植えられていて、彼岸桜は満開最後の濃いピンクが霧雨に栄えていた。
 参道入口は境内南の石段を下りたところになる。雨に濡れた石段を下り、途中の仁王門を抜け、石段を下る。参道入口には板東拾六番、水澤観世音の石柱が立ち、手水舎が設けられている。
 改めて石段を上り、途中にそそり立つ間口3間、朱塗りの鮮やかな楼門造りの仁王門で一礼する(写真)。
 仁王門は元禄年間(1688~1704)建立、1787年大改修と伝えられている。左右には黒々とした顔形の風神(1960年、一木造り)、雷神(1642年、寄木造り)がそれぞれ風袋と連太鼓を掲げ目を光らせていた。
 雷神像は1642年製作と仁王門建立より古い。寺の開基は1300年前なのでもともとの仁王門、風神・雷神は古いのかも知れない。雷神の鋭い目は、気持ちを空にし些細なことにこだわるな、とにらんでいるようだ。
 仁王門背後のはしご段を上り、楼上で金箔に体を包んだ釈迦三尊=釈迦如来坐像・文殊菩薩坐像・普賢菩薩坐像に合掌する。

 仁王門の先の石段を上りきった真っ正面に五徳山水澤寺本堂が建つ(写真)。伝承では、1300年前、33代推古天皇(554-628)、41代持統天皇(690-697)の勅願により高麗の高僧恵灌僧正によって寺が開基され、推古天皇の御宸筆の額名によって五徳山水澤寺と名づけられたそうだ。6世紀半ばに仏教は日本に伝えられているから、推古天皇、持統天皇は明日香、藤原から遠い地に水澤寺を開基し、王朝の支配を図ろうとしたのだろうか。
 本堂は瓦葺き方形屋根に唐破風を乗せている。仁王門と同じく建立は元禄年間(1688~1704)で、1787年に大改修されたと伝えられている。本尊は千手観世音菩薩で本堂は観音堂とも呼ばれ、五徳山水澤寺よりも水澤観世音の方が広く知られている。
 本堂の右に六角形平面で2層の地蔵堂が建つ(写真)。平面、屋根が六角形なので六角堂とも呼ばれる。建立は仁王門、本堂と同じ元禄年間(1688~1704)で、1787年に大改修されたと伝えられている。
 2層には大日如来が祀られ、1層には 地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間界、天人界の六道を守る地蔵尊が祀られている。6地蔵は回転する台座の上に安置されていて、左に3回廻すと心が供養されるそうだ。気持ちを静かにし、左回りに3回転させ、合掌して水澤観世音をあとにする。
 
 県道15号線から県道33号線に左折し、伊香保温泉石段街を過ぎ、左に折れて山あいに建つ「景風流の宿かのうや」に着く。
 宿は斜面の中腹に建っていて、駐車場からはスタッフに案内されケーブルカーでアクセスする。景風流とはケーブル(カー)の当て字だった(左写真)。
 部屋は眺めのいいビューバス付きの和室ベッドである。さっそく霧雨で煙った山の風景を眺めながら温泉を楽しむ(右写真)。リニューアルを終えたばかりだそうで、桧のふたの香りがいい。
 夕食は会席膳である。料理長のこだわりで、日本名水百選に選ばれた「箱島湧水」で育った虹鱒を焼物料理に、熟成ギンヒカリを造里にしている。浅学で知らなかったが、スタッフによると虹鱒は2年で成熟し肉質が下がるが、ギンヒカリは2年では成熟せず肉質が下がらないことから刺身用高級食材になるそうだ。
 ほかの先付、前菜、八寸、蓋物、合肴(鮑)、替り鉢(麦風鶏)、七輪(上州牛)も地元の食材にこだわり、創意工夫されていた。
 お酒は地酒飲み比べセット「船尾灘、大盃、赤城山」を頼んだ。酒リストにTOKYO隅田川ブルーイングというクラフトビールがあった。珍しいネーミングなのでこれも頼んだ。美味しく食べ、楽しく飲んだ。

 かのうやは4階にもロビー、出入口があり、伊香保温泉の名所・石段街の近道になる。朝食後、石段街に向かう。
 2015年6月に榛名神社を訪ね、その帰りに伊香保温泉に立ち寄った・・HP「群馬を歩く 2015年6月榛名神社・榛名富士 伊香保神社」・・。そのときは旧ハワイ王国公使別邸近くの駐車場に車を止め、1段目から356段を上り、伊香保神社に参拝した。
 かのうやから細道の湯元通りを歩くと伊香保神社に出る。略記によれば11代垂仁天皇の開起で、祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)である。現在の社殿は1883年再建で、平成、令和年間に改修を受けているそうだ。霧に煙った社殿は霊験あらたかな気分にさせる(写真)。二礼二拍手一礼する。
 境内に芭蕉の句碑「初時雨 猿毛小蓑越 不し気南梨」(はつしぐれ さるもこみのを ほしけなり)がある。1689年、芭蕉46歳、奥の細道の行脚を終えて故郷の伊賀上野に向かう途中の句だそうで、初時雨(晩秋の季語)に蓑を被った様子を見た猿たちも小さな蓑を欲しそうに見えた、という情景を詠んだそうだ。

 湿った石段を下る。ほとんどの店はまだ閉まっているが、伊香保温泉は温泉まんじゅう発祥とされ、まんじゅう店は準備に忙しそうだった。石段のところどころにガラスののぞき窓があり、のぞくと勢いよく温泉が流れ落ちている(写真)。
 両側には飲食店、土産物店、酒店などのあいまに温泉宿や日帰り温泉が建っている。
 1段目まで下り、霧で先が見えない356段を上り直す(写真)。
 1段目あたりの標高は730mぐらい、356段目の標高は790mぐらいなので標高差は60mほどになる。マンションの1階分は3mが多い。単純計算で60/3=20階になる。20階分を上り始めるる。マンションより蹴上げが高い気がする。ときどき休んで356段を上りきり、伊香保神社で一礼し、宿に戻った。 (2022.7)

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2022.4群馬・藤岡桜山を歩く

2022年07月04日 | 旅行

群馬を歩く>  2022.4 群馬・藤岡桜山公園を歩く  +群馬音楽センター

 ワクチン3回接種を条件に東京都をのぞく関東近県の宿泊旅行に、一人につき最大5000円の宿泊割引に加え、市町村によって異なるがおおむね2000円の旅行補助券を付与する旅行支援=県民割引が再開されている。
 感染しては元も子もないので、感染リスクの低いマイカー利用、感染対策万全の温泉宿、観光客の少ない平日などを勘案して、2022年4月中ごろ、→群馬県藤岡桜山公園→伊香保温泉泊→赤城温泉泊→赤城南面千本桜のおおざっぱなコースを組んで出かけた。
 
 あいにくと小雨がぱらついている。桶川北本ICから圏央道に入り、鶴ヶ島JCTで関越道に入り、本庄児玉ICで下りて、国道462号線、県道177号線を走る。藤岡桜山公園の案内板に従い、山道を上り、第1駐車場に車を止める(図)。ぐずついた天気のせいか、桜の見ごろは終わっているせいか、220台+大型16台の駐車場はほかに1~2台しか止まっていない。
 ところが駐車場の先にはまだまだ花を残した桜並木が続いている(写真)。足下は雨でぬれた花びらが絨毯模様をつくっている。
 花絨毯を踏みしめていくと、ソメイヨシノに彩られた大きな池のある広場に出る(写真)。日本庭園と名づけられた広場で、あずまや、管理棟、休息所が並んでいる。

 管理棟前にパンフレットが配架されていて、桜山公園散策マップによると標高591m桜山山頂までの散策路=山頂の道は片道35分ほどだそうだ。第2、第3の広場や展望台、茶室なども整備され、中腹の道、ロウバイ園の道、展望台の道、第2広場の道などの散策路も記されている。
 雨はあがったが霧になった。山頂の道を上ると、新緑を予感させる緑にピンクの桜が墨絵のような光景をつくっている(写真)。ときおり霧が濃くなって風景が消え、風で霧が晴れて風景が現れる。幻想的である。
 桜山には3000本のソメイヨシノと7000本の冬桜が植えられていて、冬の桜山まつりは有名らしいが、冬桜は春にも花を咲かせるそうだ。霧に見え隠れするピンクは冬桜かも知れない。
 桜山のみちは「関東ふれいあのみち」に含まれていて、散策路はしっかり整備されている。30分もかからないで山頂591mに着いた。山頂には桜山の由来を彫った石版、1354年と伝えられる梵字の板碑が置かれている。展望台からは霧がかかってぼんやりとした山並みが遠望できるが、山並みも霧に消えたり現れたり、幻想的である。
 下りは第2広場の道を選んだ。緩やかな坂道を20分ほど歩くと、第1の広場=日本庭園に戻る。ソメイヨシノ、冬桜、霧に包まれた幻想的な光景、ほどよい散策になった。

 藤岡桜山公園から伊香保温泉に向かう途中の高崎城址公園の桜も群馬県桜名所の一つである。見ごろを終えているだろうから、期待せずにナビに高崎城址公園を入れ一般道を走る。
 13:00過ぎだったので食事処を探しながら走っていて、古びた風情の門を構えた「みかほ茶屋」を見つけた(次頁写真)。
 右の門柱には「御荷鉾」と書かれている。あとで西御荷鉾山(標高1287m)、東御荷鉾山(標高1246m)が上州で信仰を集めていることを知った。この茶屋は御荷鉾(みかぼ)山にあやかりみかほ茶屋と名づけたようだ。
 竹を組んだ塀に焼きまんじゅうの看板が下げてある。駐車場もあり、庭も手入れされている。店内は古びた雰囲気だがスタッフはきびきび応対して、蕎麦もあるというので頼んだ。窓際の席で、満開を終えたソメイヨシノが飛ばしている花びらを眺めながら蕎麦を食べた。こしのある蕎麦だった。
 若いカップルが入ってきて焼きまんじゅうを注文し、慣れたように味付けを選んでいた。焼きまんじゅうが看板料理のようだ。
 
 14:00過ぎに高崎城址公園あたりに着いた。駐車場を探していて、群馬音楽センターが見えた。かなり前に群馬音楽センターを見学したことがあるが、高崎城址公園には気づかなかった。向かいに超高層の高崎市役所が建っていたので地下駐車場に車を止め、群馬音楽センター+高崎城址公園に向かった。
 高崎城址公園には300本のソメイヨシノが植えられていて、黒瓦・白壁の乾櫓を背景にしたソメイヨシノがポスターにも使われる。しかし、群馬音楽センターあたりのソメイヨシノは満開を終えたようで、花を数片残すだけだった。
 群馬音楽センターアントニン・レーモンド(1888-1976)の設計で1961年に竣工した。レーモンドはチェコ出身で、フランク・ロイド・ライト(1888-1976)のもとで修行し、ライトが帝国ホテル建設(1923年竣工・・ブログ2018.3フランク・ロイド・ライト設計の旧帝国ホテル・・参照)で来日したときに同行し、その後、日本に残り日本モダニズムを代表する作品を次々に設計した。・・2021年11月に軽井沢に出かけたとき、塩沢湖・タリアセン軽井沢に移築されペイネ美術館として活用されている建物はレーモンドの別荘兼アトリエを見た(HP長野を歩く 2021.11軽井沢を歩く1)・・。

 群馬音楽センターは鉄筋コンクリート折板構造に特徴がある(写真)。写真右手の折り紙のように見える折板の壁が屋根、左側の壁に続いている。平たい紙は力を加えると曲がってしまうが、折り紙にすると力を加えても曲がらなくなる。鉄筋コンクリート折板構造は、欧米で大きな空間を作るときに用いられていたが、地震国日本でコンサートホールに折板構造を応用したのはレーモンドが初めてだったと思う。
 ユニークなモダニズム建築が大きな話題になった。私も見学に出かけ、コンクリートの折板で大ホールを支える発想に感心した記憶がある。
 確か模型が展示されていて、折板構造の特徴を理解することができたが、超高層の高崎市役所最上階展望室から見下ろすと、折板構造の特徴が手に取るように分かる(写真)。レーモンドは日本の折り紙を見て折板構造を発想したのかも知れない。 (2022.7 )

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