yoosanよしなしごとを綴る

つれづれなるままにパソコンに向かいて旅日記・斜読・よしなしごとを綴る

2019.5 ポーランドの旅③ ポーランドの通貨はズウォティ、現地でのデビットカード払いがもっとも得

2019年06月15日 | 旅行

2019.5 ポーランドの旅 ③ポーランドの通貨と両替  

ポーランド通貨はズウォティzl=PLN
 ポーランドは2004年に欧州連合EUに加盟したが、ポーランド通貨と各国通貨の為替相場が不安定なため、ユーロ導入を先送りしていて、いまもポーランド通貨が使われている。  
 ポーランドの通貨単位はズウォティzlotyで、zlまたはPLNと表記する・・ポーランド語のlは英語のlの途中に斜めが入り発音も難しいが、ATOK変換文字にはないので英語のlを代用する・・。
 ズウォティをPLNとも表記するが、これは国際標準の通貨表記でpolski nowyを意味する・・日本円も生活では「円yen」と呼ぶが、国際標準コードではJPYと表記されるのと同じである・・。

 街中ではzlとPLNの両方を見かけた。市場ではzlが多く、空港、駅、外国人が多い店ではPLNが多いように感じた。
 ズウォティの1/100が補助通貨グロシュgroszになり、grと略称される。ズウォティzlは紙幣とコイン、グロシュgrはコインで発行されている。
 ズウォティzlは、10、20、50、100、200の紙幣と1zl、2zl、5zlのコインがあり、紙幣には歴代の王の肖像画が印刷されているが、私にはほとんど見分けがつかなかった(写真、web転載)。
 それぞれの王は、
10zl ミェシュコ1世(935?-992)、ポーランド王国の創始者、初代ポーランド公
20zl ボレスワフ1世(966?-1025)、2代ポーランド王
50zl カジミェシュ3世(1310-1375)、ポーランド王
100zl ヴワディスワフ2世(1362?-1434)、リトアニア大公・ポーランド王
200zl ジグムント1世(1467-1548)、ポーランド王・リトアニア大公
500zl ヤン3世(1629-1696)、ポーランド王、オスマン帝国との戦いで勝利した英雄 である。
 今回の旅では、10zl、20zl、50zlしか使わなかったのでヴワディスワフ2世、ジグムント1世、ヤン3世の紙幣は手にしていない。紙幣に使われる肖像画は国民のシンボルであるから、これらの王は国家の興隆に貢献し、英雄的な活躍をしたのであろう。
 両替した紙幣が残ると、ズウォティはほかの国では使えないので再両替しなければならない。再両替にはまた手数料がかかってしまう。後述するが、両替を少なく抑え、最終日までに使い切った。
 紙幣で買い物をすると釣り銭でグロシュgrコインを受け取る。どのコインも小さく見分けがつきにくいが、数字をにらみ、頭で円換算し、こちらも最終日の枕チップで使い切った。

両替よりも現地でのデビットカード支払いが有利
  日本の銀行はズウォティを扱っていないので両替ができない。web情報や添乗員の事前アドバイスによると、
①成田空港でズウォティの両替ができる
②ポーランドの空港や銀行でも両替ができるが、街中のカントルKantor=両替商の方がレートがいい
③ユーロは観光地などでは使えるが、流通していない地域が多い
④クレジットカードはほとんどのホテル、レストラン、店で使える、
⑤ATMも普及している、そうだ。

 そこで、1.搭乗前に成田空港で1万円ほどをズウォティに両替した。10581円=300zlで、レート 1zl≒35.3円  だった。
2.旅行中にズウォティが残り少なくなったので、ワルシャワ旧市街のATM機で楽天デビットカードを利用し200zlを引き出した(写真、ワルシャワのATM機・・ATM機はたくさん設置されていてすぐに見つかる)。
 受け取り明細=コピーには6945yenと記されていたから、200zl=6945円、レート 34.7円  で、成田空港より得だった。
 以前はシティバンク(=現SMBC信託銀行)に口座をつくり、citibankカードを使って海外のATM機でユーロなどの現地通貨を引き出していたが、旧citibankカードは手数料が必要だった・・現SMBC信託銀行では海外キャッシュカードに移行しているらしい・・。
 その後、自分の預金口座から直接決済するデビッドカードを知り、楽天銀行でデビットカードを作った。
 デビッドカードは国内での決済のほかに、海外での決済やATM機での預金引き出しができる。さらに使用限度額が預金残高までなので、預金残高を低く抑えておけば紛失盗難などでも被害を小さくすることができる。
 今回は楽天デビッドカードを多用した。

 3.現地での支払いには楽天デビットカードを使って決済した。クレジットカードはクレジット会社を経由するが、デビッドカードは自分の預金口座からの決済になり、支払いと同時に決済が完了する。
 ポーランドでも、レストラン、ホテルのバー、コンビニなどカード払いが普及していた。帰国後に円換算をチェックすると、現地支払合計425zl=12505円、レート 29.4円  で断然、得だった。

 いま読んでいるポーランド作家イェジィ・エディゲイ著1970年出版=1977年日本訳出版の「顔に傷のある男」P10には1ズオーティ≒33円と記されている。日本円との為替相場は1970年代とさほど変わっていないようだ。

 ズウォティ両替は、
①成田空港で最小限の両替をする
②ポーランドではデビットカード払いとする
③ズウォティが不足したらATM機 からデビットカードで引き出す、がお勧めである。

 今回は念のため100ユーロも持参した。ポーランド初日、クダンスクのホテルでズウォティの小銭がなかったので枕チップに2ユーロを置いてきた。
 以降、ユーロは使わなかったが、有名観光地でEU圏からの旅行者がユーロで支払いするのを何度か見た。ただし、地方や観光客が利用しないところではユーロは使われていないかも知れない。

 旅行中の支出は、成田空港両替分10581円+ワルシャワATM機引き出し分6945円+現地出費デビッドカード分12505円、枕チップ用の2ユーロ、カミさんがクレジットカードで購入した岩塩ぐらいである。二人で、だいたい3万円ほど、一人あたり1万5千ですませた。年金暮らしに見あった出費である。
 ささやかだが、ポーランドの繁栄支援になっただろうか。(
2019.6)

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2019.5 ポーランドの旅 ②ポーランドの天気と服装 涼しい日は上着、夏日は半袖ポロシャツ

2019年06月12日 | 旅行

2019.5 ポーランドの旅 ②ポーランドの天気と服装 

ポーランドの気候を調べる
 ポーランドの周辺には、西にドイツ、北に飛び地のロシア、リトアニア、東にベラルーシ、ウクライナ、南にスロバキア、南西にチェコが囲んでいて、ドイツ、チェコなどともに中央ヨーロッパと呼ばれる(web図加工)。
 ポーランドはユーラシア大陸の西に位置し大陸性気候に属する。北緯はクダンスク54°~クラクフ50°ぐらいで日本よりかなり北に位置するが、暖流の大西洋海流で暖められた空気が偏西風で運ばれるため、温暖である。
 年間の気候を調べると(ワルシャワ・東京の平均気温・降水量、web転載)、ワルシャワの5~6月の気温が東京の4月ていどの気温、ワルシャワの7~8月が東京の5月ていどのようだ。ワルシャワの月別降水量は年間を通して20~70mmていどで、東京の12~1月より少なそうだ。冬は大陸性気候で相当に冷えるが、4~5月には春めいて花が咲き、6月ごろから日中は半袖で過ごせ、7~8月には30℃を超える日もあるらしい。
 寒すぎず+暑すぎずの時期を勘案して、5月末出発のツアーを優先させた。念のため、長期天気予報でツアー中の天候を調べたら、クダンスク7~20℃、ワルシャワ10~22℃、クラクフ11~23℃、晴れ・曇りでときどきにわか雨だった。

 気候、天気予報をもとに、基本の服装は長ズボン、半袖ポロシャツまたは長袖ポロシャツとし、涼しい~寒いときはベストまたは上着を重ねることにして、トレーナー、ウインドブレーカー、傘を持参することにした。
 出発数日前、添乗員から、ポーランドも異常気象が続いていて、数十年ぶりの長雨が終わったが、ツアー中は晴れが続き、30℃を超える日も予想され、雷雨の恐れもある、との連絡が入った。添乗員の注意を参考に、暑さ対策を加えて衣類を準備した。

ポーランドツアー中の天気と服装
出発=曇り~雨
 関東の天気予報は朝から雨だったが、さいたま市はまだ雨は降っていなかった。スカイライナーに乗ったころから雨が降り出し、成田空港では雨の中の離陸になった。  
 出かけるときの服装は長ズボン+半袖Yシャツで、靴はロックポート製のウォーキングシューズである。電車内、空港は空調が効いているので少し涼しく感じた。
 飛行機内も空調が効いていて涼しいので、半袖Yシャツに長袖Yシャツを重ね着した。今回はビジネスクラスのツアーだったので、席にはスリッパ、毛布、枕などが用意されている。ウォーキングシューズを脱ぎ、スリッパに履き替え、毛布を膝掛けにして過ごした。

到着~2日目 クダンスクを歩く=晴れ
  今回のツアーは往復KLM機を使用し、アムステルダム・スキポール空港で乗り継いでクダンスクに向かう。オランダ、ポーランドはシェンゲン協定に加盟しているので、アムステルダム・スキポール空港で入国審査となる。
 空港内もほどよく空調が効いているので私は長ズボン・半袖Yシャツに長袖Yシャツ重ね着でちょうど良かったが、入国審査の行列には半ズボン+Tシャツの人もいれば薄手のダウンを羽織っている人もいる。
 スキポール空港からクダンスクに向かうKLM機はかなり涼しかったので、念のため襟付きのベストを重ね着した。乗客のほとんども上着だった。
 クダンスクには夕方6時ごろに着いたが、まだ明るく日射しがあり、暖かいので襟付きベストを脱ぐ。長袖Yシャツ重ね着でちょうどいい。行き交う人は半袖Yシャツ風が多かった。ポーランド人は私より体温が高いのか、初夏を楽しむ装いだろうか。
 日没は8時ごろのようで、日が陰ると風の冷たさを感じる。
 2日目朝の外気は気温9℃、湿度60%と冷え込んだので、出かけるときは長ズボン+長袖Yシャツ+Vネックベスト+上着でちょうど良かった。
 一日中晴れで、昼間の日射しは強い。外気は25℃ぐらいのようで、Vネックベストを脱ぎ長袖Yシャツ+上着でちょうど良かった。広場を行き交う人も長袖に上着が多かったが、半袖やTシャツも少なくない(写真、クダンスク旧市街)。
 体温の差=身体のつくり+食事の違いを感じる。

3日目 マルボルクを経て、クルーズ船に乗り、湖水地方へ=晴れ~曇り~雨がパラ~曇り  
 3日目朝の外気は気温18℃、湿度40%で寒さは感じないが、風は冷たい。午前中のマルボルク城見学は晴れているが、まだ肌寒い。長ズボン+長袖Yシャツ+上着でちょうどよかった。
 午後、エルブロングで運河と陸地を走るクルーズ船に乗る。運河の風は冷たく、ときおり雨がぱらついたので船室を選んだ。船室は上着でしのげたが、甲板にいた別の日本人ツアー客の多くは薄手のコートを羽織っていた。
 古城ホテルに泊まる。肌寒いので暖房を入れる。

4~5日目 トルンを経てワルシャワへ&ワルシャワを歩く=曇り→晴れ+雷雨
 4日目朝の外気は気温18℃、湿度60%、曇り空、長ズボン+長袖Yシャツ+襟付きベストで古城周辺を散策した。風が冷たい。
 コペルニクスの生誕地、古都トルンは晴れあがり+日射しがあり、長ズボン+長袖Yシャツ+上着がちょうど良かった。
 5日目の外気は気温27℃、湿度50%で、寒さは感じない。天気予報の最高気温は25℃だった。長ズボン+長袖Yシャツで出かけたが、気温はぐんぐん上昇し暑く感じた。行き交う人は長袖、半袖、Tシャツが入り乱れている(写真、ワルシャワ旧市街)。ポーランド人も天気の変化に振りまわされているようだ。
 ランチのころ突然の雷雨になったので、レストランで様子を見る。30分ほどで雨が上がり、日が射し始めた。ポーランドも予想外の長雨があったり、突然の雷雨があったりなど、異常気象が始まっているそうだ。

6~8日目 クラクフを歩く=晴れ
 6日目朝、ワルシャワの外気は気温23℃、湿度50%、7日目朝、クラクフは気温24℃、湿度70%、8日目朝は気温20℃、湿度70%と、気温は少し高め、湿度も高い。
 ワルシャワ、クラクフはクダンスクより南になるためもあるが、ポーランド全土の気温が高くなったようだ。
 ワルシャワ中央駅からクラクフまでポーランド特急EPIに乗る。ワルシャワ駅では長ズボン+半袖ポロシャツでちょうど良かったが、列車内は空調が効いるので襟付きベストを重ねた。乗客も上着が多かった。
 クラクフは3泊したが、昼間は夏日のようで長ズボン+半袖ポロシャツでも汗をかいた。街中には半ズボン+Tシャツも多かった(写真、クラクフ王宮ドラゴン広場)。
 広場の暑さ対策用ミスト吹き出しの回りでは、子どもがミストを浴びてはしゃいぐほどである。それでも日が陰ると冷え込む。夕食後の散策には薄手の上着、カーディガンが欲しくなる。
 大陸性の気候は日夜の寒暖差が大きい。旅行ではベストかウィンドブレーカーが手放せない。
 7日目に深さ300m以上の世界遺産ヴィエリチカ岩塩坑を見学した。坑内は14~16°に保たれている。外は暑いので半袖ポロシャツだったが、坑内ではトレーナーを重ね着し、予備にウィンドブレーカーも持参し、寒さに備えた。
 観光客の多くは長袖トレーナーやジャケットを着ていたが、半袖やTシャツで平然としている人も少なくなかった(写真、ヴィエリチカ岩塩坑)。見事な体格のお陰のようだ。

9日目帰国へ・10日目成田着 晴れ→雨
 9日目朝、クラクフの外気は気温21℃、湿度70%、晴れで、過ごしやすい。朝食後に旧市街を散策した。日向ではうっすら汗ばむが、日影ではひんやりさわやかである。太陽の威力を感じる。
 クラクフ・バリツェ空港からアムステルダム・スキポール空港に飛ぶ。半袖Yシャツにトレーナーを重ね着してちょうどいい。スキポール空港で出国し、空港ラウンジでくつろぐ。
 スキポール空港から成田空港行きのKLM機に乗り、時差を7時間戻す。ポーランド、オランダは夕方だが日本は昼前、日本時間にあわせて眠いのを我慢し、日本時間の夕方ごろ毛布をかぶって寝る。
 ポーランド時間で目が覚めるときは、ワインをもらい、映画を見て、またうとうとする。日本時間10時過ぎに食事が出たが、眠気が勝り、食欲はない。
 高度を下げると、雨になった。成田空港を出ると、半袖Yシャツでは肌寒い。北緯54°ほどのクダンスクから北緯36°ほどのさいたまに南下したはずなのに、体感温度は変わらない。またも太陽の力を感じる。

 海外旅行のたびに、現地の天気を調べwebの情報を参考にして、持ち物リストをつくっている。
 今回は10日間ツアーなので、帰国便では着替えをしないから9日分の衣類リストをつくった。
 基本は、涼しい日を想定した「長ズボン+長袖Yシャツ+上着またはトレーナー」、寒いときはさらに「+ベスト」を重ねる。さらに寒いときはウィンドブレーカーなどを重ねる予定にしたがそれほどの寒さはなかった。
 暖かい日は「長ズボン+長袖Yシャツ」、暑い日は「長ズボン+半袖ポロシャツ」をイメージした。
 ほかに長袖ウィンドブレーカー、ベスト形ウィンドブレーカー、Vネックベスト、襟付きベスト、雨傘を加えた。
 備えあれば憂い無しである。衣類の準備は想定通りになった。(
2019.6)

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2019.5 ポーランドの旅 ①ポーランドに行こう

2019年06月09日 | 旅行

2019.5 ポーランドの旅 ①ポーランドに行こう                              

ポーランドに行こう
 私が小中学校で習ったポーランドはソ連の衛星国だった、と記憶している。共産党の独裁政治で、国名もポーランド人民共和国?だった。
 その後の報道で、経済の困窮、共産党の圧政に抗議して再三暴動が起き、そのたびに弾圧を受け、1980年代、労働者のストライキをきっかけに労働組合「連帯」が結成され、民主化の動きは全国に広がり、戒厳令で民主化は一時沈静化させられたが、1989年の自由選挙で「連帯」が勝利し、非共産主義のポーランド共和国が成立した、ことなどを断片的に知るていどだった。まだまだポーランドは遠い国に思えた。
 さらにその後、第2次大戦戦下で徹底的に破壊された街並みが写真、資料、証言をもとに寸分違わず復元されたことを知った。
 ポーランドは周辺国によって分割され、国が消滅した歴史をもつ。「アンネの日記」「シンドラーのリスト」「杉原千畝」に象徴されるように、ナチス・ドイツによって大勢のユダヤ人が抹殺された歴史をもつ。
 民主化されたポーランドを訪ね、寸分違わず復元された都市を歩くことは、歴史の再確認、民主化の支援、そして友好の一助になる、と思う。
 とはいえ、ポーランド語はまったく分からないし、移動方法も見当がつかないので、旅行社のツアーに参加することにした。

訪問地を絞る
 ポーランドの首都ワルシャワは第2次大戦で徹底的に破壊されたが、寸分違わず復元されたそうだ。
 ショパンもワルシャワ音楽院を首席で卒業している。多くのツアーはショパンコンサートを組み込んでいる。
 予習で読んだ五木寛之著「ワルシャワの燕たち」、稲垣晴彦著「夜霧のポロネーズ」、須賀しのぶ著「また、桜の国で」はワルシャワが舞台である。ワルシャワは必須訪問地にあげられる。

 14~17世紀の首都だったクラクフは、第2次大戦中、ナチ・ドイツの総督府が置かれたため町の破壊は免れた。
 一方で、クラクフ・ゲットーがつくられ、郊外のアウシュビッツ、ビルケナウの強制・絶滅収容所で大勢のユダヤ人が命を絶たれた。強制・絶滅収容所という言葉に壮絶さを感じる。
 多くのツアーでは、アウシュビッツ・ビルケナウ訪問は希望者だけの自由参加になっている。「アンネの日記」の悲惨を思い出しそうなので強制・絶滅収容所は遠慮するが、古都の散策は期待できる。クラクフも必須訪問地になる。

 バルト海に面するクダンスクは、ドイツ騎士団が入植しハンザ同盟にも加盟して大いに栄えた歴史のある町である。
 第2次ポーランド分割ではプロイセン領となりダンツィヒと改称された。1939年、ナチ・ドイツはダンツィヒに侵攻し、第2次大戦が始まった。
 大戦後にポーランドは独立するが、ソ連の衛星国となり共産化され、クダンスク造船労働者が自由を求めて組織した労働組合「連帯」のうねりがポーランド全土に広まっていき、選挙で「連帯」指導者のワレサ氏がポーランド大統領に選ばれた。
 クダンスクも訪問地の候補にいれたい。

 地図を調べると、クダンスクはバルト海に面し、北緯54°、東経21°ぐらい、ワルシャワはポーランドのほぼ中央、北緯52°、東経21°ぐらい、クラクフはチェコ、スロバキアに近い南に位置し、北緯50°、東経20°ぐらいで、3都市の移動は500kmを越える。
 1週間ていどのツアーではワルシャワ、クラクフを主にコースを組むことが多く、3都市を訪ねるツアーは限られてくる。

 ポーランド航空LOTは成田-ワルシャワ直行便が就航している。LOTを利用するツアーを調べると、たとえば、成田発ワルシャワ乗り継ぎでクダンスクに行き、バス、列車で各地を訪ね、クラクフ発ワルシャワ乗り継ぎで帰国するコースが多い。
 フィンランド航空FINを利用して、ヘルシンキ乗り継ぎクダンスク着、各地をバス、列車で移動し、クラクフ発ヘルシンキ乗り継ぎで帰国のツアーとLOT利用を比べると、往路+復路の時間はあまり変わらない。
 オランダ航空KLMを利用するツアーも往路+復路はFINとさほど変わらない。
 費用、行程を比較し、H社、K社のツアーに絞った。続く

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