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2019.5 ポーランドの旅 ①ポーランドに行こう

2019年06月09日 | 旅行

2019.5 ポーランドの旅 ①ポーランドに行こう                              

ポーランドに行こう
 私が小中学校で習ったポーランドはソ連の衛星国だった、と記憶している。共産党の独裁政治で、国名もポーランド人民共和国?だった。
 その後の報道で、経済の困窮、共産党の圧政に抗議して再三暴動が起き、そのたびに弾圧を受け、1980年代、労働者のストライキをきっかけに労働組合「連帯」が結成され、民主化の動きは全国に広がり、戒厳令で民主化は一時沈静化させられたが、1989年の自由選挙で「連帯」が勝利し、非共産主義のポーランド共和国が成立した、ことなどを断片的に知るていどだった。まだまだポーランドは遠い国に思えた。
 さらにその後、第2次大戦戦下で徹底的に破壊された街並みが写真、資料、証言をもとに寸分違わず復元されたことを知った。
 ポーランドは周辺国によって分割され、国が消滅した歴史をもつ。「アンネの日記」「シンドラーのリスト」「杉原千畝」に象徴されるように、ナチス・ドイツによって大勢のユダヤ人が抹殺された歴史をもつ。
 民主化されたポーランドを訪ね、寸分違わず復元された都市を歩くことは、歴史の再確認、民主化の支援、そして友好の一助になる、と思う。
 とはいえ、ポーランド語はまったく分からないし、移動方法も見当がつかないので、旅行社のツアーに参加することにした。

訪問地を絞る
 ポーランドの首都ワルシャワは第2次大戦で徹底的に破壊されたが、寸分違わず復元されたそうだ。
 ショパンもワルシャワ音楽院を首席で卒業している。多くのツアーはショパンコンサートを組み込んでいる。
 予習で読んだ五木寛之著「ワルシャワの燕たち」、稲垣晴彦著「夜霧のポロネーズ」、須賀しのぶ著「また、桜の国で」はワルシャワが舞台である。ワルシャワは必須訪問地にあげられる。

 14~17世紀の首都だったクラクフは、第2次大戦中、ナチ・ドイツの総督府が置かれたため町の破壊は免れた。
 一方で、クラクフ・ゲットーがつくられ、郊外のアウシュビッツ、ビルケナウの強制・絶滅収容所で大勢のユダヤ人が命を絶たれた。強制・絶滅収容所という言葉に壮絶さを感じる。
 多くのツアーでは、アウシュビッツ・ビルケナウ訪問は希望者だけの自由参加になっている。「アンネの日記」の悲惨を思い出しそうなので強制・絶滅収容所は遠慮するが、古都の散策は期待できる。クラクフも必須訪問地になる。

 バルト海に面するクダンスクは、ドイツ騎士団が入植しハンザ同盟にも加盟して大いに栄えた歴史のある町である。
 第2次ポーランド分割ではプロイセン領となりダンツィヒと改称された。1939年、ナチ・ドイツはダンツィヒに侵攻し、第2次大戦が始まった。
 大戦後にポーランドは独立するが、ソ連の衛星国となり共産化され、クダンスク造船労働者が自由を求めて組織した労働組合「連帯」のうねりがポーランド全土に広まっていき、選挙で「連帯」指導者のワレサ氏がポーランド大統領に選ばれた。
 クダンスクも訪問地の候補にいれたい。

 地図を調べると、クダンスクはバルト海に面し、北緯54°、東経21°ぐらい、ワルシャワはポーランドのほぼ中央、北緯52°、東経21°ぐらい、クラクフはチェコ、スロバキアに近い南に位置し、北緯50°、東経20°ぐらいで、3都市の移動は500kmを越える。
 1週間ていどのツアーではワルシャワ、クラクフを主にコースを組むことが多く、3都市を訪ねるツアーは限られてくる。

 ポーランド航空LOTは成田-ワルシャワ直行便が就航している。LOTを利用するツアーを調べると、たとえば、成田発ワルシャワ乗り継ぎでクダンスクに行き、バス、列車で各地を訪ね、クラクフ発ワルシャワ乗り継ぎで帰国するコースが多い。
 フィンランド航空FINを利用して、ヘルシンキ乗り継ぎクダンスク着、各地をバス、列車で移動し、クラクフ発ヘルシンキ乗り継ぎで帰国のツアーとLOT利用を比べると、往路+復路の時間はあまり変わらない。
 オランダ航空KLMを利用するツアーも往路+復路はFINとさほど変わらない。
 費用、行程を比較し、H社、K社のツアーに絞った。続く

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