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2017.4新潟・村上2 黒塀プロジェクトを歩く

2018年01月07日 | 旅行

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 肴町上交差点から大町交差点まで急ぎ足なら10分ぐらいで歩ける。歩道のない通りだが車の往来は少なかった。すれ違った人は数人で、地元の人らしい。土曜の午後だが、観光客は見かけなかった。あとで分かったが、イベントのときはたいへんな人出になるそうだ。ふだんは静か、対してイベントで大賑わいは、メリハリがあって住民も対応しやすいかも知れない。
 大町交叉点の右手=南は道路が拡幅され、通りに面して新たな商業施設が切り妻屋根、黒壁、格子などを統一させて建ち並んでいた(写真)。電柱も地中化され、看板も制限されて、すっきりした景観になっている。
 大型バスにも対応した街並みづくりを進めているようだが、道路が広いと通りを挟んだ店舗などが離れすぎて、空間密度が低くなり、賑わい感が薄れてしまうことが多い。

 大町交叉点の左側=北は古くからの商店街が続いている(写真)。アーケードが架けられていて、町並み景観が損なわれている。看板が浮き上がって見えるし、電柱の乱立も景観を乱している。シャッターを下ろしている店が多く、人通りもなく、寂れた商店街になっている。

 きっと行政担当者も商工関係者も住民もなんとかしなくては、と感じていたと思う。大町交叉点右手では、道路拡幅+景観に配慮した新市街が計画されたに違いない。
 道路拡幅+新市街のためには古くからの家並みを壊さなければならない。古くからの家並みには風情のある歴史的な町屋も少なくない。1997年ごろ、道路拡幅+区画整理が進められるのを知った吉川晋嗣氏が、町屋存続に立ち上がる。話し合いを何度も重ね、翌1998年、商人会が発足し、町屋公開が始められた。

 紆余曲折があっただろうが、2000年にはそれぞれの家にしまわれていた人形を店先に飾って公開する「町屋の人形さま巡り」に発展した。これは新聞、テレビに取り上げられ、たいへんな評判となった。翌2001年には加えて「町屋の屏風まつり」が行われ、これも大好評だった。歴史的な町屋+秘蔵の人形と屏風の公開は大勢の人を集め、賑わいが生まれた。
 いまや、ほぼ毎月1回さまざまな趣旨のイベントが実行されている。地方の観光地で毎日の賑わいを演出するのは難しい。ふだんは静かにエネルギーを溜め、イベントでエネルギーを発散し賑わう、地方ならでは生き方かも知れない。

 商店街のアーケードが途切れた先に、どっしりとした構えの食事処井筒屋があった(写真)。暖簾の右に塩引鮭お茶漬け、左に芭蕉宿泊地と記されている。
 教育委員会の説明板によれば、元禄2年1689年6月、「奥の細道」行脚の途中で、芭蕉(1644-1694)と曽良(1649?-1710)が2泊3日滞在した宿久左衛門があった場所だそうだ。この通りは、古くから栄えていた旧道ということのようだ。井筒屋の先で通りはT字路になる。城下町だったころの名残であろう。

   少し戻り、西に折れると黒塀通りが始まる(写真)。地元で安善小路と呼ばれるクランク状に曲った細道の周囲には、城下町の雰囲気を残す建物が多い。

 1998年に商人会を立ち上げ、町屋公開を展開、2000年に町屋の人形さま巡り、2001年に町屋の屏風まつりを進めてきた吉川晋嗣氏は、2002年、安善小路を市民の手で城下町らしい黒板塀の続く家並み景観にしようと「黒塀プロジェクト」を始める。
 一時期、日本中で防火性があり、遮音性も高く、石塀に比べ作業が容易で安価なブロック塀が普及した。安善小路もブロック塀が多用されたらしい。しかし、ブロック塀は味気ない雰囲気になる。
 吉川氏は地元の人も風情を楽しめ、引いては観光客もそぞろ歩きしたくなる街並みづくりをイメージしたのではないだろうか。ブロック塀を解体し、黒板塀を作り直すのは費用も時間もかかる。吉川氏のアイデアでは素晴らしい。ブロック塀をそのまま残し、その上に板を打ち付け、黒く塗る簡易工法を提案した(写真、ブロック塀の道路側は板張り+黒塗装)。それだけではない。「黒塀一枚1000円運動」と称して寄付を募り、子どもを始めとする市民が集まり、黒塀づくりを進めたのである。

 ブロック塀が黒板塀に変われば、風情が醸し出されるのは一目瞭然である。それを寄付と市民の参加で成し遂げたのだから、共感が共感を生む。
 2004年には、景観に関する住民協定が締結された。2008年時点で黒塀は340mに達した。
 2007年に国交省の手づくり郷土省、2008年には同省の都市景観大賞である「美しいまちなみ大賞」をも受賞した。吉川氏たちはさらに風情ある町並みをつくろうと、2008年には新に「緑一口1000円運動」を始め、黒塀沿いに30本もの植樹に成功している。

 「黒塀プロジェクト」「緑一口運動」の展開で、その後、「安善小路と周辺地区の景観に関する住民協定」が締結され、電線の地中化や道路の石畳化も視野に入ってきている。
 この運動に触発され、安善小路の角に立っていた割烹は外壁を黒塀にあわせて黒く仕上げ、このあたりに多い寺院も板塀を黒くするなど(写真)、黒塀プロジェクトが着実に広まっているのを実感した。
 大勢が共感できること、寄付を小口の1000円にしたこと、市民参加にしたこと、黒塀による風情が実感できること、などがこの運動を成功させ、持続させ、発展させたのであろう。
 帰りは別の道を歩いた。村上食べ歩きのポスターを見つけた(写真)。ミニイベントも企画されている。
 村上は茶の北限だそうで、茶が栽培されていた。大洋盛という名の酒を造っている酒造会社の看板もあった。さまざまな活動のきっかけは少なくなさそうだ。

 20数分歩いて村上駅に戻る。少し時間があったので、駅に近い扇屋旅館付設の扇屋カフェで一休みした(写真)。旅館もカフェも2階建てで、壁は白漆喰+白木の板張りである。
 黒塀であれ、白漆喰であれ、自然素材による統一感と人間の大きさに馴染むほどよいスケールが風情を感じさせるようだ。
 村上駅15:48発の羽越本線特急いなほに乗る。新潟駅着16:33、Y君とは久しぶりなので、今日の案内のお礼を兼ねて一献傾ける。
 Y君お勧めは越後番屋酒場だったが、開店に少し早い。まずさかなや道場で鮭の酒浸し、メバル・ヒラメの刺身を肴に八海山、〆張鶴、越乃寒梅をいただく。
 いい気分で、越後番屋酒場に向かう(写真)。番屋らしい雰囲気で混みあっていた。焼きタケノコ、焼き空豆を肴に、麒麟山、峰之白梅をいただく。ほどほどのところで?切り上げ、新潟駅でY君に礼を言い、18:56発ときで帰路についた。

 黒塀プロジェクトを始めとする吉川晋嗣氏の町おこし運動は美貴夫人著「町屋と人形様の町おこし」(book441参照)に詳しく紹介されている。  (2018.1)

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