村を歩く「三重県・阿児町のどんぼり・阿児町の民家」 建築とまちづくり誌1994年3-4月
1986年の夏、H君の故郷に近い三重県阿児町国府で調査を実施した。
国府は東を太平洋とした、南北に長い集落である。
そのころ、柳田国男の「隠居慣行」に関心があったので、住み方調査も行った。これについては建築学会、民俗建築学会などに報告した。
H君からは世古と呼ばれる身近な道を介した近隣のコミュティの結びつきを聞いていたので、集落空間の実測も実施した。
住み方調査を進めているとき、屋敷地の隅にどんぼりと呼ばれる池に気づいた。水を抜いたどんぼりもあったのでのぞいたらけっこう深い。そもそも屋敷地が世古よりも低い。
集落空間の実測をしているとき、海側の堤防の高さに気づいた。国府は、年間を通して風が強い。台風のときは津波が襲い、再三、家が流されたり、鴨居まで浸水したり、大きな被害を受けてきたそうだ。単純に、高い堤防は津波を防ぐためだと思ったが、聞き取りをしているうち、屋敷地を掘り下げ、その土を堤防に集め、高い堤防を築いてきたことが分かってきた。
個々の屋敷で考えれば、津波を防げるほどに盛り土をし、その上に住まいを建てればいいことになる。しかし、国府ではみんなが屋敷の土を提供し、高い堤防を築いて、みんなを守る方針を採用したのである。
屋敷地を掘り下げるから世古より土地が低くなり、生活排水、雨水の排水が困難になる。深いどんぼりは、屋敷地の排水のためだったのである。
見過ごしそうなどんぼりだが、一歩踏み込むと、集落のすぐれた知恵を発見することができる。
世古によるコミュニティの強い結びつき、住まいの大勢の人寄せに対応できるつくり、などなどに共同体的社会の仕組みをうかがうことができた。
調査から20年も経つが、近隣コミュニティの結びつきが健在であると確信している。