yoosanよしなしごとを綴る

つれづれなるままにパソコンに向かいて旅日記・斜読・よしなしごとを綴る

2000.8 中国西北シルクロード11 緑州から列車で11時間、トルファンへ

2020年12月12日 | 旅行

世界の旅・中国を行く>  2000.8 中国西北少数民族を訪ねる=シルクロードを行く 11
 コンパートメントで11時間の列車の旅 トルファンへ

 中国の列車には何度か乗ったことがある。日本の普通車とグリーン車のように、椅子が硬い硬座と椅子が柔らかい軟座に別れている。短時間なら硬座でも我慢できるが、かなり混み合う。
 初めて中国農村住居調査に参加したとき、T助教授(当時)から、想像以上に混み合うから貴重品に気をつけるようにと注意を受けた。確かに想像を絶する混み合いだった。乗り切れない人は窓から乗り込んでくるので驚かされた。降車駅の上海に着いたがまったく身動きがとれない。やむを得ず、みんなに倣って窓から飛び降りる経験をした。一人一人が大きな荷物を抱えているのも、混雑に拍車をかけていた。

 今回の柳園-トルファンは車中泊+11時間の長旅なのでコンパートメント式の軟座を希望しておいた。
 19:00過ぎ、スーツケースを押しながらプラットホームに向かう。敦煌-烏魯木斉の表示をつけた列車はすでに到着していた(写真)。チケットは7号車なので、乗降口で服務員にチケットを見せ列車に乗り込む。制服の服務員は優しそうな笑顔だが、規則、規律には厳しい。中国の軟座にはそれぞれの車両の乗降口に服務員がいて、チケットがなければ絶対に入れてくれない・・言い換えれば、安心と静けさが担保される。

 7号車は幅1mほどの通路に、コンパートメントの部屋が並んでいる。私たちの3号室は2段ベッド式の4人用で、奥行き、幅ともに2mほど、下段のベッドを兼ねた椅子は奥行き68cmぐらい、上段は高さは1.6mぐらい、奥行き68cmぐらいで、昼は折り上げてあり、寝るときに倒してベッドにする(図)。

 物珍しく眺めているうち、列車が音もなく動き出した。ベルも鳴らさず、放送もない・・ベルは聞き逃したかもしれないし、放送は聞いても理解できないが、これも異文化体験である・・。
 気づくと、中国のレストランなどで聞いたことのある音楽が流れている。もの悲しげな曲だ。日本の胡弓とほぼ同じ楽器で中国では二胡erhuと呼ばれる・・日本でも和風の食事処でバックグラウンドに琴の演奏が流されるのと似ている・・。
 唐の詩人・王翰は「葡萄美酒夜光杯 欲飲琵琶馬上催 酔臥沙場君莫笑 古来征戦幾人回」・・戦いで何人が帰ってこれたかと思うと夜光杯の酒を飲まずにはいられない・・、といった気持ちを詠んでいた。西域への旅たちにはもの悲しい調べが付きものかもしれない。

 動き出して10分も経たないうちに、車窓は茶色の地肌に変わった。黄土高原である。どこまでも茶色い起伏が続いている。起伏が近くなったり離れたり、高くなったり低くなったりするが、風景は変わらない。
 20:00過ぎに日が落ちた(写真)。薄明かりに浮かび上がっていた黄土高原の起伏はやがて闇に消えた。ときおり、村の灯りや駅の灯りが通り過ぎるが、あとは闇しか見えない。
 21:00過ぎにウエイター?が注文を聞きに来たのでビールを頼んだ。あまり冷えていないので、爽快感はなかった。
 ビールを飲みながらメモを整理したり、明日の予定を確認したりして、23:00ごろ、下段のベッドで寝た。レールの響きと揺れはさほど気にならない。いつの間にか寝込んだ。

 6日目、朝5:30過ぎ、ドアをノックする音で目が覚める。外は真っ暗である。身支度を終えて間もない6:20ごろ、吐魯番tulufanに着く。プラットホームは頼りなげな照明がついているだけで、闇に近い。軟座のコンパートメントから降りたのは私たちだけのようだが、目をこらすと硬座の列車から大きな荷物を背負った人々がぞろぞろ降りている。
 灯りがないので車のヘッドライトを頼りに駅の外に出て、迎えの車に乗り込んだ。通りの様子も家並みも闇のなかだったが、走り出して間もなく空が赤みを帯び始めた。

 7:15ごろ、今日の宿のOASIS Hotel緑州賓館に着いた(上写真)。緑州賓館は中心街に位置するが、トンネル状の葡萄棚が続く青年路に面している(下写真)。吐魯番は緑豊かな土地と思ってしまうくらい、賓館のあたりは緑陰に包まれている。
 賓館にも青年路にも、歓迎・・・・の垂れ幕や色とりどりの旗が飾られている。ちょうど葡萄祭りが開催されていて、大勢が行き交っていた(写真)。

 緑州賓館のフロントの女性は、どことなく顔立ちが違う。少数民族らしい。前庭には遊牧民のテント住宅が置かれ、ラクダがつながれていた。西域に来たんだと実感する。
 
 吐魯番tulufanは天山山脈の南、海抜が-150mほどの低地もあるトルファン盆地に位置する。天山山脈の伏流水によるオアシスがあり、天山北路、天山南路の分岐点となるシルクロードの要衝地とし栄えた。
 5~7世紀に漢民族が建設した高昌国が繁栄し、のち唐の直接支配となる。
 800年代、ウイグル族=回鶻族がこの地に王国を建設する。天山ウイグル王国=天山回鶻王国、西ウイグル王国=西回鶻王国などと呼ばれ、ベゼクリク千仏洞に代表される高度な文化が生まれた。
 13世紀初頭、チンギス・ハーン(1162-1227)がモンゴル帝国を興すと、天山ウイグル王国はモンゴル帝国に帰属し、モンゴル帝国の解体後はイスラム化された。
 トルファンは、ウイグル語で人と物が豊かな地域を意味するそうだ。トルファン盆地は乾燥地帯で雨は少ない。日照に恵まれ、霜はほとんど降りない。オアシスを利用したブドウ、ハミウリ、長絨綿、野菜が栽培され、シルクロードによる交易で人と物が行き交った。トルファンは、まさに人と物が豊かな地域だったのである。

 緑州賓館でチェックインを済ませ、朝食をとり、部屋で一息し、10:00に賓館を出る。今日は、高昌国古城、ベゼクリク千仏洞、水供給システムカレーズ、ウイグル族民家訪問などの予定である。 (2020.12)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする