
友人が録画してくれたNHK朝の連続テレビドラマ「マッサン」を時折視聴しています。
「国際結婚」が主要テーマで番組の最後に国際結婚したカップルの写真が登場しますネ。
我が家も夫がドイツ人で国際結婚です。
昔「国際結婚って難しくありませんか?」と問われたことがありましたが、その時は「日本人男性と結婚したことがなく比較できないのでわかりません」と答えていました。
「言葉の違いによる相互理解の難しさ」ということが「国際結婚は難しい」と考えられている主な理由ではないでしょうか?
連ドラの主人公エリーさんも文化の違いと日本語習得に苦労されているようです。
私の両親、特に母がドイツ人と結婚することに反対したのはやはり言葉の違う所で暮らしてうまくやっていけるはずがないと思ったからのようです。
それからひとり娘が遠く行ってしまうという寂しさも大きかったと思います。
確かに母が入院した時、弟二人はほんとうに頼りにならず私がかけつけた時は「ホッとした」と後で語っていましたから、老後何かあったらやはり「娘にめんどうを看てもらいたい」と思っていたのかもしれません。
「夫婦間の言葉の問題」は別に国際結婚に限ったことではないのではないでしょうか。
逆に、語彙が豊富であればあるほど相手を傷つける言葉も良く知っているので、口論ではそのため溝が深くなる可能性も高いと思います。要はお互いへの「思いやり」がどれ位あるか、「これ以上は口に出してはいけない」という限界を双方がしっかり把握していることが重要でしょう。
私のまわりでもドイツ人のご主人と離婚なさった方が何人かいらっしゃいますが、言葉の違いが理由ではなかったようです。
とはいっても言葉のレベルが違うと夫婦喧嘩で口論になると必ず言い負かされてしまうのでとても悔しいことは確かです。
ドイツに来たばかりの頃、ドイツ語はもちろんのこと英語も主人の方がレベルが上なので意見の違いがあるたびに言い負かされてしまい悔しい思いをしました。ある時「この点はどう考えても相手に非があるので、どうしてもこれだけは言っておかないといけない」と辞書を調べて自分の言いたいことをあらかじめまとめておいたことがあります。
それをとくとくと話したら、相手は(ドイツ語で)「キミも随分ドイツ語がうまくなったね。感心したヨ」とばかり言うだけで全然、反省の色を見せてくれず拍子抜けしてしまったこともありました

確かにそのとおりねと思いました。
私の場合、夫は同じ日本人なので国際結婚の観点からは少しずれてしまいますけど、
子育てを振り返ってみたときに、子どもが乳児の時には言葉が通じない分表情や仕草を丸ごと観察しながら、
彼が今どんな状態で何を欲しているのか分かろうと一生懸命だったのに
成長して言葉が通じるようになるにつれて、その努力を怠たり気味になっていったように思います。
言葉が思いやる心を軽んじてしまう場合もあるのかなと。
ふと、向田邦子の「あ・うん」を思い出しました。
「おとなは、大事なことは一言もしゃべらない」
作中の熟年にさしかかる夫婦の娘がふと漏らす言葉です。
大事なことはしゃべらない・・・踏み込んではいけない部分もあることを知るのは、結婚生活、家庭生活では大切なことなんだと思ったものでした。
>「キミも随分ドイツ語がうまくなったね。感心したヨ」とばかり言うだけで全然、反省の色を見せてくれず拍子抜けしてしまったこともありました。
せっかくのyokoさんの努力でしたけど、微笑ましくて、思わず
3人の男の子がいる大学時代の友人は3番目の男の子の時は「躾」ということなど考えなく感情の赴くままに怒鳴っていたと言っていました。
そうですか、向田邦子さんの「あ・うん」にそういう言葉がありましたか。今度再読します。
「あ・うん」は小説もよかったですが、映画も好きでした。特に門倉修造役の高倉健が素敵でした。