ひと月ほど前の古い話題ですが、先月5月7日はベートーヴェン作曲の交響曲第九番が1824年にウィーンで初演されて200年ということで、多くの特集記事や番組がありました。
その中で一番印象に残っているのがArte(フランスとドイツの共同公共放送)が制作した、 ドキュメンタリーです。
ベートーヴェンと第九を信奉、崇拝する世界中の著名人も登場しました。
スヌーピーで知られるアメリカ漫画『ピーナッツ』の漫画家チャールズ・シュルツもベートーヴェンを崇拝していたそうで、
ベートヴェンを敬愛する天才音楽家でいつもおもちゃのピアノを弾いている漫画のシュローダー君はシュルツ自身のことだったというのは初耳でした。
感動したのは指揮者のレナード・バーンスタインと第九のエピソードです。
1989年11月9日、東西ベルリンを分断していた壁が崩壊して28年ぶりに自由に東西を行き来できるようになりました。
壁崩壊を記念する音楽イベントの主導を4ヶ月前に亡くなったカラヤンの代わりに任されたのがバーンスタインでした。
バーンスタインはクリスマスの時期にベートーヴェンの第九を記念演奏会を企画しました。
オーケストラは東西両ドイツと戦勝4ヶ国、6ヶ国合同の演奏者により特別に編成されました。
1989年12月25日に東ベルリンのシャウシュピールハウスでの演奏では終楽章で歌われるシラーの歌詞「歓喜(Freude)」を「自由(Freiheit)」に変更しました。
(記念演奏会については音楽ジャーナリスト山田浩太郎さんの記事を参考にさせていただきました)
この時バーンスタインは重い病で自分の余命が限られているのを知っていたと彼のマネージャーは述べています。
演奏会の翌日は疲れ果てていたにも関わらず「壁をみたい」というバーンスタインの強い希望でマネージャーは彼を壁まで連れて行きました。
壁の前では多くのベルリン市民がカケラを記念に持ち帰ろうと金槌で壁を砕いていました。
その中の一人の少年に「私にもその壁のカケラをくれないか」と尋ねたところ、「ご自身でどうぞ」と言われてバーンスタインに金槌を渡しました。
バーンスタインが亡くなったのはその10ヶ月後でした。
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