昨日「連合国軍の上陸80周年」というニュースに「はて(?)」(NHK連ドラの寅ちゃんみたいですね🤭)と首を傾げました。
第二次世界大戦での連合国軍上陸というとフランス北部の「ノルマンディー上陸作戦」が思い浮かびますが、
ノルマンディー上陸は1944年6月6日で既に80周年記念式典が行われました。
昨日報道された上陸は1944年8月15日に南フランスのプロヴァンス地方への上陸でノルマンディー上陸を支援する目的で実行されました。ドラグーン(竜騎兵)作戦と呼ばれるこの上陸によりフランス国内における南北の戦線が繋がり、ナチス・ドイツ軍への圧力が一層強化されました。
ところで8月15日は日本では一般に「終戦の日」と呼ばれています。
ドイツの終戦は1945年5月8日です。
1945年5月7日にフランス・ランスにあった連合国遠征軍最高司令部でヨードル上級大将(ドイツ陸軍)とアイゼンハワー元帥(米陸軍)がドイツの無条件降伏文書に署名、そして5月8日にはベルリンでドイツのカイテル元帥とソ連側のジューコフ元帥が降伏文書に署名して批准されました。
署名するヨードル大将とドイツの降伏を祝う米軍兵士です。
日本ではポツダム宣言受諾を告げた昭和天皇の玉音放送の日(8月15日)が終戦の日となっていますが、
実際に日本の降伏文書は1945年9月2日に東京湾上のアメリカ戦艦ミズーリの甲板において調印されました。
天皇陛下及び日本帝国政府の代表者としてミズーリー艦で署名する重光葵外務大臣です。
戦艦ミズーリは現在ハワイ・オアフ島のパールハーバーに係留されていて見学することができます。
戦艦内の記念館では当時の写真が掲載されているのですが、重光大臣と共に大本営を代表して署名した梅津参謀総長の悲痛なお姿が記憶に残っています。玉音放送の「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び」という言葉のようでした。
日独の終戦記念日についてとても長い記載になってしまいました。
実はドイツの人々にとり終戦日とは降伏文書に署名調印された日です。
それで以前地元紙に「日本の終戦日は9月2日」という記載があり、「日本の終戦は8月15日です」と編集部宛投稿後、調べて日独では終戦の捉え方が違うと理解した次第です。
ドイツの終戦記念日5月8日!忘れてましたが、思い出しました。
yokoさんの記事で、ドイツが降伏した細かい経緯が分かりました。
日本の終戦の日の1年前に、既に敗戦か決まりそうだったのですね。
私がいた当時は東ドイツだったポツダム宣言の会議場や、日本の分断予想図も思い出しました。。
こちらのTVのニュースで、「終戦記念日」の式典の次のニュースが、イスラエル軍のガザ地区空爆の悲惨な様子が映り、胸が締め付けられましたよ。
人間は…なんて愚かなのでしょうね。。
コメントをありがとうございます。
ウクライナや中東など世界では停戦と終戦を待ちわびる民族が多くいること(年々増えているような気もします)に心が痛みます。
終戦記念日を祝える国に住むのはそれだけで幸運なことなのかもしれませんね。