風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

始まりは水と木から

2019年01月01日 | 「新エッセイ集2019」

 

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

京都の鞍馬寺から息つぎの水、背比べ石などと、遮那王義経ゆかりの遺跡を辿りながら木の根道を歩いて、行き着いたところが貴船神社だった。
参道の石段を上ると大きな木と出会う。神社の御神木である桂の木だ。
樹齢は400年、高さは30mもあるらしい。根元から空へまっすぐに伸びる枝の勢いがすごい。葉が落ちつくして枝ばかりになった冬のたたずまいは、木というものを超えた凄まじさがある。
御神木が落葉樹というのも珍しいかもしれない。

貴船は、古くは「気生根(きふね)」とも表記されたそうで、気の生ずる根源、すなわち大地のエネルギーである気が生ずるところだった。
神道では、体内の気が衰えることを「気枯れ(けがれ)」というらしい。病は気からともいうが、気枯れは血が穢れることであり、病に罹ることであった。
龍のように勢いよく、大地から立ち昇っている木の姿を仰ぎながら、その神気に触れて気力が充実することを、昔の人は願ったのだろう。
桂の木は1里四方の水を集めるとも言われ、その根にはたっぷりと水をたたえ、そばには水が流れていることが多いという。水との縁が深い木といえる。

貴船神社も古くから、京の都の水を司る神として祀られてきたのだった。
同神社のホームページには、「水五訓」というものが載せられている。
  1.自ら活動して他を働かしむるは水なり
  2.常に自ら進路を求めて止まざるは水なり
  3.自ら清くして他の汚水を洗い清濁併せ容るるの量あるは水なり
  4.障害に逢い激しくその勢力を百倍するは水なり
  5.洋々として大洋を充たし、発して蒸気となり雲となり雪と変し霰と化し
    凝っては玲ろうたる鏡となる、而もその性を失わざるは水なり

まさに、水そのものが神の存在であることを証明しているようだ。
現代人にとっても、水が命の根源であることには変わりがない。
貴船神社の御神水は弱アルカリ性で、3年以上汲み置きしても腐らなかったという。
ちなみに、この水はタダ。これこそ天の恵み、神の施しかもしれない。

 

 

 

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