正月三が日、毎朝太陽がまぶしい青空だった。
おせちを朝夕食べる。だんだん腹が疲れてきて、同じものを食べるのもしんどくなってくる。
ごまめとお茶漬けくらいがちょうどよくなってくる。それと軽い煮しめ。こんにゃくとかごぼうとか、竹の子とかレンコンなど。
レンコンは、穴がたくさんあいていて見通しがいいとか。そんなことから縁起のよい食材とされている。正月早々、レンコンばかり食べているので、すこしは先の見通しがよくなるかもしれない。
そういえば、いつかもレンコンばかりの正月があった。
東京でひとりだった。
九州まで帰省する旅費がなかったので、年末にアルバイトをしていた。暮れの31日に出社する社員などいない。それで、アルバイトのぼくが残った仕事をやらされた。地図をたよりに、一日中電車で東京のあちこちを駆け回った。
仕事から解放されて、正月の食料を買い込まなければと新宿のデパートに立寄ったが、食品売場のショーケースはどこも空っぽだった。かろうじて、酢レンコンが1袋だけ売れ残っていたのを買った。
食べるものはそれだけしかなかった。
正月でも食堂の1軒くらいは開いているだろう、などとは甘い考えだった。
まだ武蔵野の林や藁屋根の農家が残っているような、東京のはずれに間借りしていた。たった1軒あった蕎麦屋も、正月はしっかり休んでいた。
空腹になると酢レンコンをかじった。まずかった。
酢の物では飢えはしのげない。反って、酢の刺激で飢えが増幅される。頭の中は食べ物の妄想でいっぱいになった。
東京は人間がいなくなったようにひっそりしていた。友人たちはみんな帰省し、東京には頼る親戚もなかった。
ひとりきりの三が日、とりとめのない妄想の行き着くところは、空しさと滑稽さしかなかった。ああ、レンコンとふたりきり、レンコンなんて果して人間の食べものなんだろうか、そんなことばかり考えていた。
自棄ぎみになって、薄っぺらくて白いレンコンを宙にかざしてみた。
レンコンの小さな穴の中に、小さな空があった。ふだんは寝ぼけたような東京の空が、レンコンを青く染めそうなほど真っ青だった。
東京にも空があったのだと思った。レンコンの穴のひとつひとつに、それぞれの空がしっかりあった。美しい空だった。
あの東京の空には何があったんだろう。
きょうの酢レンコンはすこし甘い。
今は、スーパーでも元日からやっていますが、昔は、3日も休まれると、
大晦日は大変な買物になりました。
初詣に行っても、開いている店はなく。
なとど遠い過去を思い出しました。
そこに、いくつかの丸い青空。
今となれば、素敵な情景ですね。
コメントありがとうございます。
レンコンのお陰で、
東京にも青い空があることを知りました。
というより、
それまで空を見たことなどなかったのかもしれません。
水中の泥の中から出てきたレンコンも、
空を見せられてびっくりだったかも。