
過去に書いたブログの記事を、読み返して詩の形にして再生する。あるいは過去に書いた詩を解体し、言葉を補足して散文にする。
そんな試みをしてみる。
そもそも詩と散文の違いがなにか、よくわからない。
詩を書こうとすると、イメージや言葉がやたらに浮遊しはじめるような気がする。書こうとすることから、言葉だけがどんどん独り歩きしてしまう。その結果、言葉のリアルな手応えが希薄になっていく。
詩というものについて、なにか大きな思い違いをしているのかもしれない。
いきなり詩を書こうとすると、言葉だけが膨らんでしまうのだ。
むしろ散文の中にこそ、詩というものはしっかり内在しているように思えてきた。
書きたいことを、まず散文で書いてみる。日常生活から、日記から書きはじめてみる。
イメージというものは、地についた言葉から膨らんでいくものだ。そして膨らんだものは、再び地に戻ってこれるものでなければ、ひたすら霧散してしまうだけだろう。
もともと散文を書こうと思い立つ動機は、その根本に詩と呼んでもいいような、特別な情動が生まれようとしているときではなかろうか。
一編の散文には、一編の詩が含まれているということはできないだろうか。
過去に書いた雑文を漁りながら、ぼくはいま詩の欠片を探している。