風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

炉端の昔ばなし

2018年12月16日 | 「新エッセイ集2018」

 

細い川が流れている。
地の底からお湯が噴き出しているので、川の水もいくらかは温かいかもしれない。だが濡れっぽい道は底冷えがする。
狭い谷あいの川に沿って、古くからの温泉宿と新しそうな土産物店が混在している。静かでいて賑やかだ。谷の深みへと沈殿するように、人と水が集まってくるからだろうか。

古い民家風の休憩所がある。
囲炉裏があり、薪が燃やされている。壁も天井の梁も煤で真っ黒になっている。火のそばにすわって煙の匂いを嗅いでいると、すこしずつ体が燻されていくようで心地いい。
時をわすれる。ここに今あるのは、いつの時だろうか。
煙のように揺れながら、時間の柱を遡っていくうち、むかしむかしと始まる昔語りの時に引き込まれていく。

むかしむかし。
それは、いつのことかはわからない。時も人も曖昧な過去から現れるけれど、いつのまにか現在の人々の中に住みついてしまう。むかしむかしの時があり、いまの時もありつづける。むかしむかしの、いま。
ぼくが地蔵堂の石段を下りてきたのは、ついさっきのことだが、そこからもう一度、むかしむかしの石段を上ろうとしている。

むかしむかし、塩を売りあるく商いというもんがあったらしい。
その頃の豊後国の中津留というところに、貧しい塩売りの甚吉とその父親が住んじょったそうな。父親は寝たきりの病人で、それも甘ウリしか食べられないという病気じゃった。
しかし、その甘ウリを買うお金もない。悪事とは知りながら、甚吉は他人の畑の甘ウリを盗むことを考える。
近くのお地蔵さまに、商いの塩をほんのすこしだけ供えて、父親の病気が早く治ることを願い、やむなく甘ウリを盗みに行くことを告白する。

いざ覚悟を決めて、甚吉がウリ畑に忍び入るや、いきなり地主に首をばっさりはねられてしまう。あわれと思いきや、落ちたんは甚吉の首ではなく、お地蔵さまの首じゃった。
この身代わりになったお地蔵さまの首を、通りかかった本田勝十郎という旅の修行者がひろうた。
彼はその首を肥後の国に持ち帰ろうとしよったんじゃが、豊後の黒川というところで一休みしちょったら、「ここに安置してくれ」とお地蔵さまの首がしゃべったという。

それから黒川の村人は、お地蔵さまの首を大切に守りつづけたのだが、そのご利益があったのか、この黒川の地に温かい湯が湧き出るようになったという。
この温泉をたずねる現代の旅の修行者たちは、丸い木の入湯手形を手にして湯めぐりをする。
2か所か3か所の温泉をハシゴしたあと、不要になった入湯手形は、さまざまな願いをこめて地蔵堂におさめる。
いまどきの、甘い甘いウリはどこにあるのか。
それは、ここのお地蔵さまだけが知っているのかもしれない。

 

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2 コメント

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心に残る昔語り (つゆ)
2018-12-16 10:08:55
丸い入湯券を持って、湯めぐりしてみたいものです。
きっと、私の脚腰に効く!
そんな気がしてくるー諦めなくてもいい、とお地蔵様が仰っているような気がします。
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いい湯だな~♪ (yo-yo)
2018-12-16 16:25:03
つゆさん
昔語りなどに立寄っていただき、
ありがとうございました。
湯快な入湯券で黒川の湯に浸かっていただいたら、
痛みや辛さも快癒するかもしれません。
寒い季節に温泉は極楽ですね。

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