ひと月ほど前に、近くの山で栗の実がなっているのを見つけた。
それから実が弾けるのを秘かに楽しみにしていたが、今朝、栗のイガが無残に剥かれて散乱していた。まだ白っぽい未熟な殻だ。
またもや早々に先取りされてしまった。ぼくの栗ではないけれど、イガが弾けて実が茶色くなるまで、どうして待てないのかと腹が立った。
初夏には、グミの実もなる。ピーナツほどの大粒のグミだ。赤くなるのを待っている内に、いつも誰かに採られてしまう。
グミは赤くなっても渋みが残るものなのに、熟さないうちに採って、どうやって食べるつもりなのかわからない。
もしかしたら、単なるいたずらかもしれない。
栗もグミも、郷愁を誘われる味だ。甘みも渋みも舌の奥に沁みこんでいる。ぼくの舌は、懐かしい味の記憶と出会えるのを待っていたのだ。
栗のイガといえばイガグリ頭が連想される。
ぼくらが子どもの頃は、長髪の子はめずらしく、多くの少年たちがイガグリのような頭をしていた。散髪のあと、5ミリくらいに伸びた髪に触れると、ちくちくとして痛かった。
手にのこる、痛さの思い出はさらに重なっている。
ある日、女のいとこと二人きりになった時、何気ない普段の会話が途切れてしまって、話の続け方がわからなくなったことがある。
そんな微妙な年頃だったのだろう。いつもの慣れ親しんだ日常から、未知の場所に迷い込んだような戸惑い。言葉が見つからず、そこから逃げ出すこともできない焦り。慣れない沈黙に耐えられなくなって、ぼくはいきなり彼女のスカートの中に手を入れた。言葉が出てくる前に手が動いていたのだ。
ぼくにはまだ生えていないものが、彼女には生えていた。
「だめよ、それはイガグリよ」
彼女の声は平静を装っているように聞こえた。
ぼく達の間に、異常なことは何も起きてはいないという、落ちついた口調だった。とつぜん好奇心だらけの、いたずら小僧に変身したぼくの方が戸惑った。
「触ったら痛いわよ」
ぼくは思わず手を引っ込めてしまった。その時たしかに、指先に痛みを感じたのだった。
あの痛みは何だったのだろう、と思い返すことがある。
栗の実がなる頃のことだったかどうかも憶えてはいない。栗のイガの痛さがどんなものか。それは、イガグリ頭の痛さどころではない。それだけは知っていた。