
彼岸とか此岸とか、そんな言葉を、日常われわれはあまり使わない。
仏教語で彼岸とは涅槃のこと、すなわち悟りを得た理想の世界のことをいい、此岸とは現世のことで、われわれが今生きている世界のことをさす、というのが常識のようだ。
ぼくの中では、彼岸は向こう岸のイメージで、彼岸と此岸の間には川が流れている。三途(さんず)の川だ。川のこちらの岸には河原があり、そこを賽(さい)の河原という。
古くて懐かしいようなイメージがある。
賽の河原では、死んだ子どもたちがせっせと石を積んでいる。かわいそうに、積んだはしから鬼が出てきて崩してゆく。悲しく哀れな情景だ。
ひとつ積んでは父のため
ふたつ積んでは母のため
母がいつも口ずさんでいた。陰鬱な唄の調べと記憶がよみがえってくる。
妹が幼児の頃、しばしば引き付けを起こした。とつぜん瞳孔が開いたまま視線が固まり、体が痙攣をはじめる。
ぼくもまだ子どもだったので、妹が急に知らない妹に変身していくようで恐ろしかった。
そうやって妹はいくども、河原へ連れて行かれようとしては引き戻されてくるのだった。
母は自身も病弱だったので、いろいろな神仏にすがっていた。
まもなく自分は死ぬというのが母の口癖だった。ぼくは母が死んだ夢にうなされ、目覚めて母がまだ生きているのを確かめ、いくたびほっとしたことか。少年期のぼくの唯一のつらい記憶といえる。
そんな母が、親より先に死ぬ子は親不孝だと言って、ご詠歌のようなものを日夜あげていたのだった。
賽の河原で石を積んでいるのは、いつも小さな妹だった。
子どもたちは成長するとみんな家を出てしまい、病気知らずだった夫にも先に死なれ、あとには母がひとり残された。
母の体には何か所か手術のメスが入っていた。腹を縦に切り横に切り、腰を2か所切り、のちには白内障で両眼の手術もした。
いつも体のどこかに痛みがあり、体のどこかが病んでいるのではないかと気にしていた。半分は体が病み、半分は気が病んでいるのだった。
自分ばかりを見つめてしまう、孤独な老人の生活では仕方なかったのかもしれない。
河原で石を積んでいるのは、老いた母かもしれなかった。その積んだ石を崩しにくるのは、鬼ではなくて子どもたちだったともいえる。
母も子も、なかなか彼岸は見えなかった。
その上に身体の不調があれば、益々生きるのが辛いですね。
母親は自分のことよりも子供の幸せを願います。
子供に心身の問題があると生きた心地がしません。
お母さまも妹さんのためにどれほど心を痛めたことでしょう。
痛いほど分かります。
また、母親は家庭における太陽だと思います。
そのお母さまが心身の不調を抱えておられて、yo-yoさんも辛い思いをされましたね。
その分、誰よりも人を愛おしむ心を待たれたのでは、と感じています。
含蓄のあるコメント、ありがとうございます。
いま思うと、わが家の太陽はすこし曇っていたかもしれません。
でも、その頃の母の年代を過ぎ、さらに歳を重ねていくにつれ、
母親の苦しみや一途な愛情の一つ一つが重く蘇ってきて、
いまは、すべてのことが温もりに感じられます。
やはり母は、わが家の太陽だったんですね。
越後美人さんの素敵なブログも、いつも拝見拝読させていただいてます。
あなたにとっての輝く太陽だった、日野原先生の素敵なメッセージ!
「キープオンゴーイング」
ほんとに力づけられる言葉でした。