熊澤良尊の将棋駒三昧

只今、生涯2冊目の本「駒と歩む」。配本中。
ご注文方法、住所、電話番号はコメントでお問い合わせください。

目次

作品 文章 写真 販売品

原田先生揮毫の平箱

2024-07-19 12:13:35 | 文章

7月19日(金)、晴。
雲は多いですが、もくもく。そして空の蒼い色。
番組の途中で、「四国が梅雨明け」との報道があり、この辺りも、既に梅雨明けです。
NHKにお尋ねします。
梅雨明けの報道に、なぜ番組を遮断してでも、臨時の「ニュース」なのでしょうか、合点が行きません。

本日の映像は、「原田先生揮毫の平箱」。
表も裏も、先生の直筆。表には「勝駒」、裏は「高潔」と署名捺印。こんな感じです。


この平箱は書いていただいてから、もう何年になりますか。
10枚近く書いていただいたのですが、残りは1枚になりました。

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いただけない平箱の話

2024-07-18 17:36:45 | 文章

昨日の話ですが、午後、ある盤屋さんがやってこられました。
何でも、盤屋さんが長年持っていた良尊作駒(初期の原田泰夫書)をどなたかに買っていただいたとかで、平箱に小生の揮毫と署名が欲し言うことでした。

その店のHPには、長く、その駒の映像がアップされていたので、その駒だと分かったのですが、通常は、良尊駒には私なりの揮毫署名をした箱をつけているのですが、その駒を盤屋さんが下取りか何かで元の持ち主から買い受けたときには、どういう経緯かは全く分かりませんが、共箱では無く、別の平箱がついていたのだそうです。
それで昨日は、お客様から送られてきた駒につけていた平箱を持ってゆくとのことで、揮毫署名が欲しいと、その盤屋さんが来られたのでした。

持参された平箱を見ると、先ずはバカでかい(その平箱は私の平箱と比べると、厚みは3倍、タテヨコの面積は2倍で体積は6倍もある代物)、それに本体にはガラスの蓋がついていて、これを見た途端、私のわがままでしょうか「この駒箱は大仰過ぎて、私の感性には合いません。ましてやガラスの蓋は駒にとって最悪。良い箱とは思えませんので、これには揮毫署名はしたくありません」と、申し上げました。
そうです、ガラス付きの平箱は、販売店での展示用にのみに特化した箱なんです。ユーザーが下手に使っていると、ガラスのエッジで駒に取り返しがつかない深いキズが付く恐れもありますので、使わないで処分するのが良いでしょう。

そして、「丁度、原田先生が揮毫署名した直筆の新品の平箱が手元に一つだけ残っています。あの駒にはこれがベストだと思う。値段はコレコレ。お客様に、そのように提案してください」と申し上げました。

結果は、近く決まると思います。いかがでしょうか。
今日は、このような話でした。

 

 

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暑いね

2024-07-18 12:12:40 | 文章

7月18日(木)、晴。
今日から3日間、車検とのことで、デイラーに車を持ってゆきました。

帰りはJR奈良駅まで送ってもらい、電車で帰ろうとしていたのですが、何せ1時間に1本と言うことで、デイラーのご厚意に甘えて、片道25分ほどの距離を自宅まで車で送ってきてもらいました。

ヤー助かりましたね。
帰りの車中は、よもやま話でしたが、その営業マンの話では、若い営業マンはお客さんとも、一切、よもやま話をしない人が多いのだそうです。よもやま話は、無駄だと考えているのでしょうか。

それにしても、暑い暑い。
海の日が過ぎて、一気に暑い夏がやってきました。

これからが大変です。
今日は、こんなところです。

 

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大橋家古文書の行くえ

2024-07-18 06:50:56 | 文章

昨日アップした「大橋家の古文書」について、何時どこで撮影したのか、とのお尋ねをいただきました。

この史料は、昭和60年過ぎに当時の将棋博物館顧問をしていた時、大橋家から段ボール数個に入った古文書の寄託を受けて、その時に駒関係の史料が無いか調べて撮影したものです。
その後、米長名人の時、博物館は閉鎖され、これら寄託品は、大橋家ゆかりの方に戻されましたので、現在はその方が持っておられると思います。

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新聞崩壊

2024-07-17 17:52:36 | 文章

情報によりますと、ある全国紙が、富山県には朝刊夕刊とも配送を取り止めて、その他の一部地域に対しても夕刊を配送しなくするとのことです。
あーあ、ついに来ましたね、’全国紙の崩壊の始まりです。

否、崩壊は既に始まっていたのです。
新聞関係者は、それに気がついてはいたはずですが、新聞休刊日と称して、朝の新聞がどんどん削られてゆく。
昨今のSNSが伸びて行く情勢下にあって、新聞関係者に問いたいのは、どれほどの努力をしてきたかである。
にもかかわらず、新聞休刊日を設けてさらにそれを増やし続けてきたのは、自らの手で自分の首を絞め続けてきたわけです。
頭の良い人は多いと思うのです。
ですが、やる気力と実行する力が伴わなければどうしようもない。
益々、崩壊が進みます。

ついにここに至ったことは、新聞好き愛好者としては、実に寂しく悲しいことであります。


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誤伝の基となった、大橋家の古文書

2024-07-17 16:59:56 | 文章

7月17日(水)、晴。

雲は多いですが、空の色は梅雨明けの兆し。


本日の映像は、大橋家に残されてきた古文書の断片。

小見出しに
「先(さきの)宗桂より相伝什物の控」とあって、
一、将棋家宝 箱一組内に
 小将棋勅筆ノ駒   一面(組)
 同 水無瀬殿筆駒  三面
 中将棋ノ駒 同筆  三面
 小将棋ノ駒守幸筆  一面
 同 栃ノ駒     二面
 小将棋小駒     一面
(以下云々、省略)
とあります。

ここに書かれている一番最初の「勅筆(天皇が書いた筆跡、宸筆とも)」とある駒。
これが代々の大橋家で「伝・後水尾天皇直筆の駒」として引き継がれてきた駒のことを指しているのですが、駒は、昭和初期に木村名人が買い付けたのですが、昭和の終わりごろ、木村家からの鑑定依頼によって、正しくは水無瀬兼成筆の駒であることが分かりました。

以上、誤伝の基である大橋家の実際の古文書を、参考のためアップしておきますので、お確かめください。
なお、映像中「矢印」をつけているのは「守幸筆の駒」の部分です。

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2枚の短冊

2024-07-16 13:02:06 | 写真

7月16日(火)、曇りがち。

今日の映像は、400年ほど前の「短冊」2点。

作者は分かりますね。
左が水無瀬兼成さん。右が孫の兼俊さんです。

昨日、お見えになった島本町の関係者お一人がお持ちの短冊です。
許諾を得ましたので、ご披露いたします。

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二つの話題で

2024-07-15 19:16:49 | 文章

7月15日(月)、雨曇り。

今日は二組のご来客がありました。

午前中は、京都の金属加工会社のお二人。
この会社は2年前にも訪問があって「アルミで駒を作りたい」とのことでしたので、文字の一つとして巻菱湖の字母紙をお渡ししていました。
今回は、やっと出来上って「それを見て欲しい」と言うことで、拝見したのは立派な桐箱にセットされたアルミ製の将棋盤、駒台、そして駒のセット。それを見て、何か意見が欲しいということでした。
アルミの駒については、もともと否定的な見方を持っていたのですが、会社をあげてのチャレンジと言うことで、それは横に置いて、私なりの意見を幾つか申し上げました。
その詳細については割愛しますが、制作した金属会社としては技術面で何らかの刺激と言いますか、申しあげたことが参考になれば幸いです。

午後は水無瀬神宮のある島本町からのお二人。
今度の12月1日に予定されている「水無瀬駒見学会」の打ち合わせと、水無瀬駒関連の四方山話。結構深みのあると言いますか、かなり突っ込んだ話にもなって、時間が経つのが早く快い何時間ではありました。





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平箱の工作

2024-07-13 17:16:28 | 文章

7月13日(土)、雨曇り。

本日の映像は工程中の平箱。

「漆拭き」は5回目を終わったところ。
かなり終了に近づきましたが、部分的にもう一拭きします。

中央に手前に白いものが見えていますが、これは蓋裏に、余計な漆で汚れないようにする捨て紙です。

この後は、中に組み入れる7段の工作敷桟。
これにはまだ、一日二日かかりそう。

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菅谷北斗星著「将棋の話」のこと

2024-07-11 16:36:38 | 文章

7月11日(木)、曇り雨。

今日は、4時間ほど無為の待ち時間があったので、蔵書の中から菅谷北斗星著「将棋の話」を選んで、読むことにしました。
菅谷北斗星は、読売新聞の観戦記などで知られた人で、本は昭和初期に刊行されての旧仮名づかい。かなり古い本であります。
380ページ余り。主に、歴史に基づく名人・上手・英才たちの面々を物語風に綴った内容であります。
一応、時間内に通読したが、「駒」関しては2~3ページと少ないが
触れられていますが、こと駒に関しては、自身が深く調べた様子はなく、当時巷間で語られていることなどが中心でした。
例えば、ーーー
十三世関根金次郎名人が持っている「錦旗」と銘打った駒、この駒は、これで指すと必ず勝つというから摩訶不思議だ。それだからこそ関根名人は「錦の御旗」すなわち「錦旗」銘打ったという話だが、それとても、関根名人の手を離れれば、案外「白旗」(負け印)と改名しなければと知れたものじゃない。ーーー

これなどは良しとして、
ほかのところでは、結構、間違いがあるので、それを正しいことと信じてしまう人が多いのではないか。そのことはどうもいただけない。

例えば、「水無瀬駒」に関しては、こう書かれてある。
1、「水無瀬」と銘のある駒は、水無瀬兼成の食子(養子)親具(ちかとも・高倉永家の子)、晩年剃髪して一斎と号し、この一斎がすこぶる能書の誉れが高かったので、時代の腕白児・将棋好きだった豊臣秀次が、彼に命じて書かせたのが、いわゆる「水無瀬駒」の始まりで、詳しくいえば、「水無瀬」とは水無瀬中納言親具の書いた将棋の駒を言う訳である。

もう一つ、「お城将棋の駒」に関しては、
2、普通のモノではなく、後水尾天皇のご宸筆を時の将棋の御台所が模写し奉ったという結構なもので、この駒はその場限り、1年限りで没収してしまい、毎年新しく作成されたということである。

と述べられており、この大橋家に遺るお城将棋に使用されたとの伝承がある「後水尾天皇筆とされる駒」は、後日の小生の調査結果、まぎれもなく水無瀬兼成が書いたもので、大橋家の伝承は何かの理由で作られたモノで、その他の2組の古駒も、また水無瀬兼成の駒であり、それらは慶長年間を中心とした時期に家康が買い求めた50数組の中の残された3組であろうことと推察します。

このような駒に関する間違いは、永年、巷間ではまことしやかに語り継がれてきたことながら、これを読んだ多くそれとは気づかず受け入れてしまうことは、否定できず残念です

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駒の写真集

リンク先はこちら」 http://blog.goo.ne.jp/photo/11726