5月30日(金)、曇り。
新聞で、以前からおかしいな? と思っていたことがあります。
新聞休刊日?
いえいえ、それ以外のことです。
おかしいな? と思っていたのは、時事ニュースで、国内政治のニュースが少ないことです。
それで、国内の時事ニュースが、どれだけあるかを、最近、ウオッチするようになりました。
例えば今日の愛読紙の朝刊。ウオッチしてみましたら、次のような結果でありました。
1ページから5ページまで、大見出しの数は論説を含めて19項目。
この内、日本に直接かかわる時事ニュースは、今日は何時もより少し多めで、コメ問題を中心に9項目ありました。
対して残りは、トランプとか、韓国、シリアとかの外国に起因するニュースで、何時もは、全体の3分の2ほどを占めていることが多いのです。
ゲスの勘繰りかもしれませんが、政府筋から、「国内ニュースは、ほどほどに」などと、圧力がかかっているのかもしれませんね。
今日も、ゲスの見方でした。
、
5月27日(火)、曇り。
相変わらずの曇り空。
梅雨の走りのような。
この時期、色々することはあるのですが、その一つが終りました。
その気になって、書き始めて10日ぐらい。
機関紙への投稿原稿。
やっと終わり、編集部の方へ先ほど郵便局から発送することが出来ました。
文章作成は、昔ながらのワープロ。シャープの「書院」。
むかし人間ですね。まだまだこれを頼りにしております。
ボリュームは10ページ。
ご覧のように、イラストあり、図表あり、カラー写真ありです。
掲載の可否は、これが編集部に届いてから決まります。
決まりましたら、報告いたします。
5月21日(水)。
毎日、色々なニュースが続きます。
その中で、お粗末で幼稚なニュースは、バカ大臣の辞めるに至ったニュース。
お粗末な大臣は多いが、見事にそれを越して行くこの度の元大臣。
誠にお粗末。おそらく、知能は小学生以下ではないかと。
そんな大臣を任命したのが、石破さん。
総理に就任して以来、言うことが180度転換して、周りの空気を窺うばかりの総理に、信用度はガタ落ち。信頼度はゼロ。
自ら、更迭の「こ」すらも口に出せないで、辞任表示を待っていた、そのテイタラク。
まー、そんな気持ちの、今日この頃でした。
5月17日(土)、曇り。
今日も、一日が過ぎようとしています。
今日の映像は、ベランダの手摺。
その鳩避け対策の様子。
これまで、いろいろ試してみましたが、どうも、効果はイマイチでした。
ところが、この映像のテープ。
ピラピラさせているのは、幅1センチ程度の金ピカ銀ピカ「鳩避けのテープ」。
鳩のフン害で、困っている方は多いと思うのですが、先日、これを見つけて試してみました。
細工は簡単。
結果、効果は大有りです。
これを手摺に数か所括り付けて、風でピラピラさせたところ、途端に鳩が寄り付かなくなりました。
それから1週間ぐらい経ちました。効果は持続しています。
ベランダのほかに、窓の手摺に長めのテープを括り付けて、両端を長く1メートル半ほど垂らしておくと、結構ピラピラがたなびいて、効果は絶大。
そのほかに、上手く利用する手もありそうです。
困っている方は、一度ためしてみてはどうですか。
「テープ」は「鳥よけテープ」の名で、「セリア」という100均で見つけました。90メートル巻きで110円です。
なお、このテープ。数日使っていると、雨などで手摺に貼り付いて、ピラピラしなくなってしまうことがあります。
その時は、手摺からテープを剥がせば、ピラピラの効果が戻りますし、ピラピラの一部に結び目を作ることで、貼り付きをいくらか防ぐことが出来そうです。
追伸
このブログをアップしてから、先程、インターネットで「鳥よけテープ」を検索しました。
すると、これ以外にタイプの違う何種類かが出ていました。
色々、試してみるのも有りですね。
もう少し、書き連ねることにします。
1、将棋の歴史
我が国の将棋伝来はいつ頃であったか。その見方は研究者によってさまざまで、定説はいまだになく確かなことは判っていない。
そもそもの将棋は、わが国で発祥したモノではない。
世界各地の将棋は遥か昔、古代インドで生まれたゲームだとされていて、やがてそれが形を変えながら、時代とともに東へ西へと各地に広がって、我が国には大陸を経由して、あるいは東南アジアとの交易に伴い大陸沿岸沿いにもたらされたに違いないが、その時期は平安時代あるいはその前だったかもしれない。
しかし、ある研究者は各地遺跡から発掘された駒や、当時の記述文献の時代をもとに、ごく慎重に平安時代後期だとする人もいて、他方、より想像をめぐらす人はそれより百年か二百年前の8世紀ごろまで遡るとする考えもあって、いまだ定かではない。
そのようにして我が国にもたらされた外国将棋は、それほど間を置かない時期に、我が国の先人の叡智によって日本流に工夫されて形を変えた。
以下、まだまだ続きます。
5月16日(金)、晴。
先の原稿を書いています。
書き足しながら、すでに書いたところも手直しもして、冒頭は次のようになりました。
「水無瀬駒」のこと
ここで言う「水無瀬駒」はおよそ四
水無瀬兼成は当時、正二位権中納言という高位の公卿として、水無瀬家十三代の当主でもあったが、血筋は時代を代表する文化人・三条西実隆の流れを汲んでいて、23歳で水無瀬家に入った人である。
念のため申し添えれば、現在、「水無瀬書」という銘で多く出回っている駒は、本来の兼成筆による水無瀬駒とは全くの別物で、出所不明の文字であり、その点、くれぐれも間違えのないように願いたい。
以上です。
この調子だと、まだまだ先は長いです。
5月15日(木)、晴。
朝晩はほど良く、日中は汗ばむ陽気であります。
依然としてコメは高止まり。
ニュースではそれらしい(卸業者の)ことを言っているが、隔靴創傷。
元凶は政府(農水省)とJAだと思っている。
政府は、備蓄米をJAにしか渡さず(全体の97%)、JAが卸業者に下げ渡したのは、買い入れた米のホンの数パーセントだというから、JAは手にした備蓄米をしっかりため込んでいるらしい。
そして高く売ろうとしているとしか思えない、全く質が悪い。
消費者に近いスーパーや小売店の希望者に、直接卸せば、みんなが助かるというのに。(もちろん、効率を考えて、ある程度のロット以上で、直接取りに来るという条件で)
何故、備蓄米をため込むJAにしか、放出しないのか?
政府は何せ、JA一辺倒。
それは、政府(農水省)がJAを儲けさせて、後押ししようとしているからとしか思えない。
農水省のお役人。いずれは定年になって、JAへの天下り。
その時のことを考えて「恩」を売っておきたい。
お役人。その一念だとしか思えないのです。
この見方。いかがかな?
5月12日(月)、曇り。
所要があって、住まい近くの銀行に行ってきました。
窓口で「14時からの予約ですが、急用ができて少し(45分程度)早く来ました。出来る事なら対応していただけませんか?」と、店頭の女子行員に尋ねました。
すると「スグには対応できません。時間までお待ちください」というので、
「そうですか。ところで、支店長さんにお話ししたいことがるので、呼んでください」と。
数分して支店長が現れました。
私=「ちょっと、聞いてもらいたいことがあるのでお話します。
急用ができたので45分前に来ましたが、対応をお願いしたところ、断られました。見るに、私ども以外のお客は一人もいないのに対応を断わられたのです。どうしてですか? 支店長さん、お店の対応としてそれでよろしいのですか?」。
支店長=「むにゃ、むにゃ??」。要領をナントも掴めません。
私=「その対応の仕方が良いかどうか。貴男の認識を聴いています。それに答えてください。それにもう一つ、お尋ねしたいことがあります。1週間ほど前、家内がこの窓口に来た時のことです。
窓口の女性行員はここへ来た家内に対して、パソコンか電話で予約をしてください。その方が早いです。と言って、パンフレットを家内に差し出したので、家内はやむを得ずそれを受け取って、その日は仕方なく帰ってきました。
銀行として、支店長として、その対応で良いのでしょうか?」。
それに対して支店長は、相変わらずマスク越しに、「うやむや・・」。
私=「その時、渡されたパンフレットは、これですが、ご覧になって、何かおかしいなと思うところはありませんか?」と。
支店長はしばらく眺めていたが、不備に気が付かない様子。
私=「何もお気付きになりませんか? 電話で予約をとのことなのに、そこには電話番号も書かれてはいませんね。不親切すぎ。
それでも不備ではない。これで事足れりとお考えなんですね。
責任ある支店長として、もっと支店全体に気を配る必要があり、とは思わないのですかね」。
そして、話しながらたまたま眼についた、ご相続相談とある別のパンフレットを指さして、
私=「これには、気楽にご相談ください。と書いてありますよね。なのに、わざわざ窓口に来ている顧客に対して、窓口で別の日に予約してくれと、帰えすのでしょうか?。
支店長=「ふにゃむにゃ、ふにゃむにゃ」。
相変わらず、言うことがハッキリとしません。
若い支店長です。
これではダメだと思いました。
改善には時間もかかると思うのですが、支店長として、やる気が見えず、良くしようとする意志がないようです。
どこの銀行かは申しませんが、あきらめて(あきれて)、私は来客がある2時に間に合うように帰ってきました。
今日は、こんな愚痴でした。
昔「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ」という歌がありましたね。
今日は、それを思い出した次第。
5月10日(土)、晴。
機関紙への原稿を書き始めて何日か経ちました。
写真を多用しながら、未だ未だ書き連ねねばなりませんが、今日はホンのさわりだけをブログにてご覧いただこうと思います。
本来の原稿は3段の縦書きですが、このブログでは横書きにて書くことにします。
「水無瀬駒」のこと
ここで言う「水無瀬駒」は、およそ400年前に公卿の水無瀬兼成の手で作られた駒のことである。
念のため申し添えると、現在「水無瀬書」という銘で巷間多く作られている駒の文字の出所は明治期までにしか遡ることができず、本来の兼成筆跡の水無瀬駒とは全く異なる別物なので、その点、お間違えのないように願いたい。
◇
1、水無瀬駒との出会い
本物の水無瀬駒との出会いは、駒を作り始めて間もなくの頃だった。
至文堂図録「日本の美術(遊戯具)」に水無瀬神宮蔵とされる古い駒のモノクロ写真があって、その文字の奥深さに惹かれて実物を見たいと思った。
水無瀬神宮は京都に近い大阪府北部にあって、我が家とは比較的近い。すぐさま手紙を書いて「見せて欲しい」と願い出たのだが、返事はなかった。
あるとき、職場でそのことを話していたら、上司が「水無瀬神宮のある島本町なら、叔父貴が町会議長をしている」というではないか。渡りに船。超ラッキーだとそれに飛びついて手を廻すと、願いが叶って間近に手にとって見ることが許された。それ以来、これを手はじめに神宮には何度も訪れるようになった。
以下、続く。
とりあえずは以上まで、お粗末さま。
ではまた。
木金と、淡路島へ出かけました。
淡路島は、5~6年ぶり。今回は南あわじへ。
淡路島は大きいですね。北の端から南まで、車で小一時間かかります。
天気は良かったのですが、やや春霞。その風景です。
向こう側は、四国阿波、徳島県。