熊澤良尊の将棋駒三昧

生涯2冊目の本「駒と歩む」。ペンクラブ大賞受賞。
送料込み5000円。
残部僅少ながら、注文受付中。

目次

作品 文章 写真 販売品

奈良の囲碁将棋大会

2010-09-30 19:15:37 | 写真
参加希望の方は、faxで申し込みください。
先着順だそうです。
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玉将と酔象

2010-09-30 05:57:09 | 作品
9月30日(木)、雨。

昨日の朝、7時半ころ戸外で仕事を始めましたが、太陽が恋しいくらいの肌寒さ。
昼も夜も気温が上がらず、もう夏には戻らない。それを実感しました。

「努力から広がる自分の可能性』(14歳女子中学生)
「30過ぎで独身の娘を思う可能性」(61歳母)
「一人暮らしを楽しんで生きたい」(61歳女)
「たまには車を降りて歩いてみよう』(25歳女)
「『大手だから安心』は禁物」(46歳主婦)
「マナー守れる人になりたい」(14歳女子中学生)
これは数日前の購読紙の読者投稿欄の見出し。
この日は、全部女の人の意見。
毎日、読んでいますが、女の人はシッカリ。
読者の声は、現在の世相をそのまま表して、興味深いです。

昨日の夕方、ラジオから「緊急地震情報」が流れました。
東北地方の地震発生ですが、ラジオで「緊急地震情報」を聞いたのは、これが2度目。
前回は、どこの地震でしたか。
その時は車の運転中。奈良に行く途中で、聞いた場所は明確に覚えているのですが、どこの地震だったかは忘れてしまいました。


今日は夕方から、11月7日の「囲碁将棋大会」のことで奈良に出かけます。
それまでは「盛り上げ」をするか「書き駒」をするかですが、チョッと湿度が高いので、その時は別のことをすることになります。
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出来ました

2010-09-29 05:55:13 | 写真
9月29日(水)、晴れ。

9月も終わりに近づきました。
「中将棋駒」と「盤」が一応出来上がりました。
まだ「盤覆い」のリフレッシュ作業は残っています。

昨日は、ワープロ作業も少々。
一昨日の続き。論文です。まだまだ終わりません。気分転換を兼ねてボツボツとやります。

11月7日に、奈良で連合主催の「囲碁・将棋大会」が予定されています。
会場はJR奈良駅隣にあるホテル日航のビルの2階。
審判長は、脇八段ご夫婦(奥様は囲碁の荒木眞子さん)だそうです。
詳しくは後日お知らせします。
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資料

2010-09-28 18:03:51 | 文章
写真は、江戸時代の資料。
向う側は江戸中期。手前が江戸初期の資料です。
これには、大将棋盤、中将棋盤、小将棋盤、それに碁盤の寸法が示されています。
江戸初期と中期では、少し変化があります。
中将棋盤は、このほかにもう少し小さい寸法で解説した資料もありました。
それが、どこに書いてあったか。
その内、手元資料を探そうと思っています。
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中将棋盤

2010-09-27 05:37:26 | 文章
9月27日(月)、曇り。

涼しくなりました。
涼しくなったのに合わせて、湿度も低下。秋らしい気候です。
昨日は、「中将棋盤」の作成。厳密にいえば作成と言うより古い「碁盤」を「中将棋盤」に作り替えです。
厚みは約5寸。勿論カヤです。
足とか桐の盤覆いは茶黒に日焼けして、5~60年前か戦前に造られたものかもしれません。
勿論小傷もついているので、盤覆いを含め、丸1日掛けて新しい木肌に再生化粧直しして、盤面を12間の升目に引き直すところまで進みました。
あと2日ほどかけて、盤の升目も自分でやろうと思っています。
目的は10月31日の水無瀬神宮客殿での中将棋公開対局に使うためですが、盤の予算計上が抜けていたので小生が提供することにします。

実は「中将棋盤」は、もう一つ用意していて、こちらは保険のようなもので、期日に間に合えばどちらか良い方を対局に使うつもりです。
こちらも古い碁盤で厚みは4寸7分ほど。綺麗な柾目が通ったカヤ盤を既に某所に渡して盤面を12間に作り替えてもらうようにお願いしています。
脚と盤側はもう一つと同様に自分で再生します。
勿論、盤屋さんに頼めば全てをやってくれる訳ですが、自分で色々考えながらするのが経験であり、自分の思い通りに仕上がれば、より楽しいわけです。

と、言うことで、
では、また。


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キリガネ

2010-09-25 19:19:02 | 写真
写真は、昨日金沢で展観した将軍家婚礼調度の一つ。鏡箱。
「葵紋」が5つあるうちの1つが「キリガネ」。
どこだか分りますか。一番左の方形部分の家紋。このキリガネは「生っておりません」。


貝桶の雛道具。これには「キリガネ」は使われておりません。
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姫君たちの輝き

2010-09-25 06:31:47 | 文章
9月25日(土)、曇り。

昨日の午後は、「徳川将軍家と加賀藩・姫君たちの輝き」展へ。
内容は将軍家と前田家の婚礼調度。
前日、たまたまホテルでポスターを見て、Oさんと二人で行ってきました。



内容は将軍家と前田家の婚礼道具の数々。
江戸時代の初めころから幕末近くまでの各時代の品々。
何と運の良いことでしょう。今、話題になっている「家紋」のオンパレード。
それに「キリガネ」や「金平文。銀平文」もあります。
しかも、「生っている(?)キリガネ」にも出っくわし、ビックリ。それを写真に撮りました。

「野弁当」の形をした小さな雛道具ですが、天面に「鼓」模様があります。
左は、金の延べ板を使った「金平文」。
右が、金箔を重ね合わせたものを貼った「キリガネ」。
なんと、これが一つの品に隣り合わせで「較べてくれ」と言わんばかりに並んでいます。


拡大


その「キリガネ」が200年ほどが経って居るんでしょう。波を打ったように剥がれ気味になっています。
イヤイヤ、今日は思わぬところで出会った、秋季特別展「姫君たちの輝き」。
学芸員のkさんにもお会いして展示品について教えてもらったり意見交換。
大判サイズの特別展ポスターを戴いて帰ってきました。
早速、工房の窓に掲示します。
「入場券」2枚も戴きましたので、欲しい方に差し上げます。
faxでお知らせください。

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続き1

2010-09-21 21:28:23 | 文章
前頁の続きですが、必要なところを書き直して、最初から掲載します。

ーーー小生の返事としてーーー

例の蒔絵将棋盤について、ご質問に関して小生の知るところと考えを申し上げます。
先ず、ネット上で、色々な書き込みがあることは承知しています。
しかしその多くは、実物を見ていないまま不足した知識で分かっていないことを勝手な思い込みで書き込み、あるいは勝手な解釈による的を得ていないことをあたかも事実のごとく、更には恣意的な作り話などが、本当のごとく書き込みがなされているというのが現状です。
それに一々、反論していてもセンないことですが、直接のご質問にはそれぞれお答えしてきました。
この件に関して、ブログ上でこれまで質問が無かったのが不思議でした。
では、kimuさんの質問にお答えします。

1、まず、このような大名道具の製作に当たっては、「総合プロデューサー」の存在が欠かせません。100点以上もの婚礼道具全体をどのようなものにするかや、全体を通じて統一的なデザインを決めるのも、その人の役割です。
職人の出番は、その後です。
職人といえども、名のある総元締め(例えば「○○阿弥」)の下で、塗師・下地師・蒔絵師など多くの職人の手によって、餅屋は餅屋の技で個々の工程が進められ、作られてゆくことになります。
将棋盤以外にも、碁盤とか双六盤、あるいは「棚」やその他の道具も、どこかに残っているかもしれません。それが出てくれば、色々なことが分かると思います。
とにかく、それらが何年もかかって、当時の最高級レベルの技で作られたわけです。

ところで、もう一つ不可欠なのが「木地師」。
一口に木地師と言っても、指し物と轆轤では専門が異なります。
蒔絵の将棋盤の場合は、「盤師」が先ず木地仕上げの将棋盤を作って、「○○阿弥」に収め、そこで塗師・蒔絵師などが、最後の仕上げをします。
「駒箱」は、指し物師の領域ですから、盤とは別です。
現に、今回の場合、それぞれの品物が収められている黒塗りの「総箱」ですが、盤は「槍鉋」づくり、駒箱の方は「台鉋」づくりで、別々の環境で作られた事が分かります。

勿論、表題の御家流「村梨子地若松唐草・・」の文字は、全ての道具が出来上がった時点で、一人の手によって統一的に書かれました。
このように、何人もの職人はあくまで下職として存在していたわけで、最後の蒔絵やキリガネは別々の技術であり、何人もの専門家が分担していた訳です。

ところで、ご質問の「紋の剥落」に関してですが、それぞれの職人は、当時の最高の技術で最新の注意を払って作成した事は勿論でしょう。
しかし、それがどうして200年後の今、「浮いたり、剥がれたり」したのかという質問ですが、これは「キリガネ」という工法に原因があると思っています。
具体的には、もう少し後でご説明します。

以前のブログで「キリガネ」は、工法的に2種類があると書きました。
一つは、ごく薄い「金箔」を5枚とか8枚とかを貼り合わせて分厚くし、それを細いテープ状にしたり、模様に切りだしたものを蒔絵のバリエーションとして貼り付けて、その模様を浮きだたせる「截金」。これは、仏像の衣の線などに多く使われているようです。
もう一つは、「金の薄い延べ板」を意図する形に切りだして、蒔絵の変化の一つとして加飾する「切り金」です。こちらは、比較的高級な蒔絵で1~2ミリ角ほどの小さな金が使われているのが多く、よく見かけます。
「金平文(キンヒョウモン)」は、どちらかと後者の親戚のような工法で、「切り金」の延べ板がもう少し分厚いものが使われたものです。
これらの工法は、金そのものが露出し、そこが「ピカーッ」と光り輝くので、普通の漆でコーティングされた鈍い輝きの金蒔絵とのコントラストが生まれます。

朝日新聞の記事では「金貝(カナガイ)」という言葉が使われていますが、「金貝」は、「キリガネ」や「金平文」をひっくるめたものいを意味する大きな用語で、更に厚い板を用いた「平脱(ヘイダツ)」も含まれた言葉になります。

前提は以上の通りですが、「議論になっている盤」は、これら工法の内、一部に最初に述べた「截金」が用いられているようです。
皆さんの多くは、「家紋(盤の各側面の3つの内、左側の紋と、駒箱の天面にあるの紋)」のことしか頭にないまま議論しているようですが、この盤と駒箱には紋以外にも、この「截金」が
使われています。
それは、ハート形の「唐草の葉っぱ」の何枚かです。紋も同様ですが、他とは光り方が違うので見れば分かります。
面積も小さいので、大きな家紋ほどは痛んでおりませんが、よく見ると多少浮いたりしているものもあります。
この「唐草の葉」のことはテレビでも言っておりませんので、見落としているようです。

さらに良く見ると、その内の1枚は、既に修理済みになっています。
浮いた「キリガネ」を押さえてあるのですが、いつ頃の修理かは分かりません。ずーっと昔のことだろうと思います。

議論をするにあたっては、正確に現状認識することが大切ですので、以上の事柄を前提にご説明し、お答えします。

(ここまでで、1時間かかりました。ご返事の主文はこれからですが、まだまだ時間がかかります。この調子で行くと、1日では書ききれないかもしれません。
文章は短くしたいので、ページを分けて書くことにします)
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お彼岸

2010-09-21 06:08:39 | 文章
9月21日(火)、曇り。

昨日は「彼岸の入り」、そして祝日「老人の日」。
小生にとっては、いつものとおりマイペースでの仕事でした。

先ほど「Kimu]さんから長文の質問が入っているのを見つけましたので、回答致します。
質問があった、9月3日「今朝の朝日新聞」のコメント欄での質問は、次のとおりです。

ーーーkimuさんのご質問ーーー
「最近の鑑定のやり取り興味深く見ております。
TVでも鑑定人はこの件については触れないようでいまいちよくわかりません。
質問があるのですが、まず劣化の部分ですがこの部分はこの部分だけ凝った作りをしたからということでしたが、職人たるもの、そういうところこそ慎重に慎重を重ね作るものなのではないのでしょうか?
また下地まで見える部分がありますが、これも経年劣化ですか?よくわからないのはいつ劣化し始めたのか?
新聞の中では短くですが、わずか1部を直したところも確認したとありますが、これは誰が
なおしたのでしょうか?また熊沢さんはこの盤の
現所有者の前の所有者だとかこの盤の経歴というものもご存知なのでしょうか?私としては
あまりに長く論争が続いているのは情報開示が双方不十分にあると思いまして、今一度、
もっと詳しく説明していただきたいと思います。
ちなみに盤そのものは美しく、貴重なものだと思います。
だからこそ凝ったつくりをしたから剥がれたというような中途半端なものを当時の職人さんが造ったとは思いたくないのです。
よろしくおねがいします。」

ーーー小生の返事としてーーー
例の蒔絵将棋盤について、ご質問に関して小生の知るところと考えを申し上げます。
先ず、ネット上で、色々な書き込みがあることは承知しています。
しかしその多くは、実物を見ていないまま不足した知識で分かっていないことを勝手な思い込みで書き込み、あるいは勝手な解釈による的を得ていないことをあたかも事実のごとく、更には恣意的な作り話などが、本当のごとく書き込みがなされているというのが現状です。
それに一々、反論していてもセンないことですが、直接のご質問にはそれぞれお答えしてきました。
この件に関して、ブログ上でこれまで質問が無かったのが不思議でした。
では、kimuさんの質問にお答えします。

1、まず、このような大名道具の作成に当たっては、「総合プロデューサー」が100点以上ある婚礼道具全体をどのようなものにするかや、全体を通じて統一的なデザインを決めたりします。
職人の出番は、その後です。
職人といえども、名のある総元締め(例えば「○○阿弥」)の下で、家中の塗師・下地師・蒔絵師など多くの職人の手によって、餅屋は餅屋の技で個々の工程が進められ、作られてゆくことになります。
将棋盤以外にも、これと同じ碁盤とか双六盤、あるいは「棚」やその他の道具も、どこかに残っているかもしれません。それが出てくれば、色々なことが分かると思います。
とにかく、それらが何年もかかって、当時の最高級レベルの技で作られたわけです。

ところで、もう一つ不可欠なのが「木地師」。塗りものの土台を作る人ですから、縁の下の力持ち的な存在で表には現れませんし、一口に木地師と言っても、指し物と轆轤では専門が異なります。
蒔絵の将棋盤の場合は、「盤師」が先ず木地仕上げの将棋盤を作って、総元締めの「○○阿弥」に収めます。
「駒箱」は、指し物師の領域ですから、盤とは別のところで作られます。
現に、今回の場合、それぞれの品物が収められている黒塗りの「総箱」ですが、盤は「槍鉋」づくり、駒箱の方は「台鉋」づくりで、「総箱」は別々に作られた事が分かります。
勿論、黒い漆塗りの上の御家流「村梨子地若松唐草・・」の文字は、全ての道具が出来上がった時点で、一人の手によって統一的に書かれています。
このように、何人もの職人はあくまで下職として存在していたわけで、最後の蒔絵やキリガネは別々の技術であり、何人かが分担していたと考えます。

ところで、ご質問の「紋の剥落」に関してですが、それぞれの職人は、当時の最高の技術で最新の注意を払って作成した事は勿論でしょう。
それが、どうして200年後の姿として「剥落」したのかという質問ですが、これは「キリガネ」という工法に原因があると思っています。

(食事の時間が来ました。ご返事はまだまだ長くなりますので、この続きは、夜にでも書きます)
では、また」。
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盛上げ前の「古水無瀬」

2010-09-20 05:43:41 | 写真
9月20日(月)、曇り。

やや蒸し暑さが戻った昨日は、買い物とお昼ご飯を兼ねて奈良へ。
昼からは、仕事。
日曜日といえども、貧乏暇なし。いつもの習い性とはいえ、どうやらこれが落ち着くようです。
と言うことで、「古水無瀬」の盛り上げ前の仕上げ研磨をしました。
写真は、その結果の映像。
漆が完全に落ち着くのを待って次の工程に進めます。

ところで、今週の後半は非日常続きです。
23日は、有馬の王座戦。
この日の午前中は、四日市のOさんが大阪商業大学に立ち寄ってチェスの道具を受け取るということで、小生もお付き合いして、翌日は有馬から金沢へ。
24日は「チェスの世界大会」のオープニング。会場では大会を主導する飯田先生にお会いすることになります。
小生はチェスをやりませんので、その他には、世界から集まってくる「チェスプレイヤー」を観察することぐらいしかありません。ただそれだけですが、長い人生の中には、こんな日があっても良いでしょう。
帰宅は金曜日の夕方です。


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駒の写真集

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