熊澤良尊の将棋駒三昧

只今、生涯2冊目の本「駒と歩む」。配本中。
ご注文方法、住所、電話番号はコメントでお問い合わせください。

目次

作品 文章 写真 販売品

回想記・その15、八十五才象牙の水無瀬駒・続々

2020-08-31 21:13:50 | 文章

回想記・その15、八十五才象牙の水無瀬駒・続々。

 85才象牙の水無瀬駒については、平成20年、将棋世界9月号に述べているので、それをご覧ください。

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回想記・その14、八十五才象牙の水無瀬駒・続き

2020-08-31 06:23:34 | 文章

回想記・その14、八十五才象牙の水無瀬駒・続

川井さんのお宅で拝見したのは、黒塗りの総箱に入った、盤と駒でした。
(もう少し詳細が分かる大きな映像を張り付けようと思います。しばらくご辛抱を)

 駒は、重量感ある象牙の水無瀬駒。長年使われてきた歴史を物語るように、文字はところどころ摩耗した部分も見受けるが、兼成卿の筆跡だとわかる。まさに「将棊馬日記」の慶長3年の項に記録された「象牙、道休」の駒の違いないと思った。
 
 一方、蒔絵の盤は、唐草が4つの盤側に描かれていて、葵紋が3つずつ描かれている。一見しただけで江戸時代の豪華な婚礼道具だとわかる。材は、まぎれもない本物の榧。盤面には凹みキズが一面に。これは象牙の駒で幾度となく使われた痕跡ではあるが、盤の厚さは4寸。その厚さと蒔絵の印象からは駒ほどの古さはない。私の見立てでは歴史はおよそ200年。19世紀に作られたものであろう。
 盤側の3つの葵紋、左は金無垢の光そのものであり、真ん中が明るい金蒔絵。右は、やや鈍い金蒔絵と、それぞれの色が違えてある。唐草の葉も同様に3種類の光の違いがあって、駒箱も同様である。
 この映像は、この地域のNHKニュースで、流れたのは言うまでもない。
 それにしても、400年前の古文書に記してある駒の実物がここにあって、しかも、一つ一つ我が手に取っていることに、大きな感動さえ覚えた。それは鬼頭さんも同じ思いであられたに違いない。

 後日談として、盤と駒は自宅よりも安全に保管でき、いずれは公開する考えもあって、福井県立博物館に寄託されることになった。
 

 

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回想記・その13、八十五才象牙の水無瀬駒発見

2020-08-30 00:55:49 | 文章

回想記・その13、85才象牙の水無瀬駒発見。

 それは平成8年6月、名古屋での名人戦に現地の報道関係控室を訪れたときの事でした。
 部屋に入ると、鬼頭さんが「熊澤さん、一昨日の前夜祭で、象牙古い象牙の駒を持ってきた人がいて、誰かこの駒が分かる人がいないかということでした。あいにく、分かる人がいなくて持ち帰りましたが、あの駒は兼成筆の書き駒ではないだろうか」と、耳打ちしてくれました。
 「ナニナニ、象牙の駒。どんな感じでしたか。ウムフム・・」と聞き返してみると、どうやら400年ほど前に作られた水無瀬駒の可能性が高い。確か「将棊馬日記」には、象牙の駒が5組ほど記録されていたはず。おまけに玉将の尻には「八十五才」とあったという。「それは、鬼頭さんの言う通り、兼成さんが遺した水無瀬駒に違いない」と思った。しかも象牙製。ドエリャアモノが現れたのだ。

 その夕方、帰宅した私は、わくわくして「将棊馬日記」を開いて見てゆく内に、慶長3年小将棋の項に「象牙、道休」の記述があった。慶長三年は、まぎれもなく兼成さん数えで85才の年。まさにぴったり。

 興奮しつつ、駒は、これに間違いが無いと120パーセント、確信するにいたったのでした。
 
 それから三日目、鬼頭さんと二人で、早速、福井県福井市の所有者の川井さん宅を訪問することに決めて、同時に、NHK福井支局報道部に、記者の派遣を要請しておいたのは、それほどの価値のある「世紀の大発見」と思ったからでした。

 果たして、この続きは駒の映像を含めて、次章にて。しばらくお待ちください。
 
 

 


 
 
 

 

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将棋チェスト

2020-08-29 05:21:55 | 販売品

8月29日(土)、晴れ。

明け方は曇っていましたが、只今は快晴。暑くなりそうです。
将棋チェスト、一旦、受付締め切りましたが、複数の方から追加注文できないかとのリクエストがあり、OKとの連絡をいたしました。
将棋チェストの材料となる原木の枯渇と高騰もあるようで、コストなど今まで通りの条件で製造所とで調整中ですが、今回が打ち止めになる可能性がありますので、あと数日、追加注文を受け付けることにします。

迷っておられる方は、この機会にご注文をいただければと思いますので、よろしく。

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回想記・その12、漆書きによる復元品

2020-08-25 23:29:58 | 文章

回想記・その12、漆書きによる復元品。

 「大局将棋駒」制作で得た成果は大きかった。肉筆の漆書きによる駒づくりは、永年、練習を積み重ねてきたその成果を「大局将棋駒」で具現できたことで、それが自信と動機につながった。
 水無瀬神宮には何度も訪問して、兼成筆の駒一枚一枚の姿は眼に焼き付けていたし、詳細な写真もある。その水無瀬駒に迫ろうと思いたった。
 出来上がったのが、この映像の駒。

 箱書きには「水無瀬神宮蔵、兼成卿八十二才ノ駒ヲ平成二十年ニ初メテ写シタルモノ也」と。この時、65歳。
 
 後にもう一つ推定復元したのは、象牙製の中将棋駒。
 推定復元としたのは、すでに無くなってはいるが400年前に象牙の中将棋駒が二組作られていて、徳川家康と豊臣秀頼に渡されたとする古文書に基づいての復元品であるとの意味で、そのことは、箱書きに記しています。

いずれも、文字は写真を見ながら漆で書き上げた小生の駒づくり節目の駒として、手元に残しています。

 なお、これとそっくりの姉妹駒が、水無瀬神宮がある大阪府島本町の歴史資料館に常設展示されています。素材はいずれもツゲ製で、こちらはJR東海道線・島本駅スグのところにあり、自由にご覧いただくことができます。

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彫埋め仕上げの「巻菱湖」

2020-08-22 23:30:24 | 販売品

8月22日(土)、晴れのち曇り時々雨。
変わりやすい天気でした。
今日の仕事は、以前より完成間際で保留していた彫埋め「巻菱湖」。
繰り返しの磨きで仕上げました。
材は御蔵島ツゲ。うっすらと島ツゲ特有の斑模様の柾目。

ところで、将棋の駒は実用するために存在しているわけで、作り手としてはそれが基本として作っています。ですので、どんどん使っていただいて、やさしくも使ってほしいのです。

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回想記・その9、谷川浩司書の駒、誕生秘話

2020-08-21 00:15:23 | 文章

回想記・その9、谷川浩司書の駒、誕生秘話

  谷川浩司書の駒は、大阪・心斎橋筋で開催した展示会で、「私の字で駒ができないか」と、問いかけをいただいたのがきっかけです。
 そのあたりのことは、ご自身の著「復活」(毎日新聞社)に詳しいので、それを抜粋引用させていただきます。(54ページ~58ページ)

 「苦しさを駒に刻む」
 無冠となったことは、私なりの道を歩んできたことの結果である。無冠の屈辱はもちろんある。だが振り返ってみれば、自分の将棋が指せない私自身の姿が見えてくる。なぜ勝てないのか、その結果ばかりにとらわれて、自分の将棋を見据えることを忘れていた。
 将棋をきれいさっぱりと忘れることが必要だとわかっていても、当時はそれもできなかった。テレビを見ていても、気づくと頭の中では将棋のことを考えていた。
 そんな状態だった平成8年のある日、原田泰夫九段の書と、駒作家の熊澤良尊さんの駒の展示会があり、それを見に行くことで、違った視点から将棋の世界を見ることができた。時として人は、無意識のうちに欲するものを見つけ、欲することをしているのか。
 原田先生の書は、力強く、伸びやかで、かつ繊細でもあった。書の中に、人の強さと意思が見えてくるような気もした。書は人を表すのかもしれない。
 また、棋士にとっての駒は、自分の思いを直接受け止めてくれるものだ。駒によって、指す手が変わるということは無いにしても、自分の気持ちを投入できる駒、愛着のある駒というのはある。
 原田先生の書と熊澤さんの駒を見ているうちに、自分の駒、自分の書体による駒が欲しくなった。この世に一つだけの、自分のためだけの駒が・・・。この時にはそれほど強く意識していなかったのだが、今、振り返ってみると、この時の自分の精神状態がよくわかる気がする。自分の将棋を取り戻したい、常に頭の中にはそのことが渦巻いていたのだ。その渦の中からするすると手が伸びてきて、自分の駒を捜している。駒を捜す触手は、闇の中から自分を引き上げるための、手掛かりをつかもうとする手であったのかもしれない。
 六月、熊澤さんに私の書による駒を一組作っていただくようお願いした。駒の素材についてはお任せすることにした。王将から歩まで、すべて自分で書き、熊澤さんにお預けした。
 後日、この駒の制作依頼の話を聞いた人が、不思議そうな顔をした。「そんな時に、よく自分の駒を作ろうと思いましたね」と。普通なら、何かの記念、それも祝い事や慶事の時に作るのではないかと言うのだ。
 私が欲しかったのは記念の駒ではなかった。一番苦しい時の自分の字を、駒に残したかった。それを手元に置いて、その駒で自分の将棋を取り戻す。この不調を自分で乗り越えるには、苦しい時の自分から逃げてはいけないと思ったからだ。
 
 「至龍の駒」
 駒の制作費についても熊澤さんにお任せした。熊澤さんは、少し考えられた後、こう言われた。
 「5五の龍、ということでいかがでしょう」
 『5五の龍』という題名の将棋コミックがあり、それに掛けたものだった。五十五万円ということだが、本格的な駒の一組の制作には数か月もの日数と手間とがかかる。熊澤さんのご好意を感じた。
 5五というのは、九x九枡の将棋盤のちょうど真ん中に位置する、中央の枡である。四方八方どこにでも行けるという枡に龍があるという意味だ。「龍」は私の好きな駒「飛」が敵陣に入って成った時の駒名である。
 お願いした駒が仕上げにかかっている頃、私は竜王戦の挑戦者として羽生六冠王と対局していた。タイトル戦の挑戦者となるのは二年ぶり、海外での対局も、BSの中継が入る対局も久しぶりのことだった。十一月二十九日、七番勝負を四勝一敗で勝ち、私は竜王位を奪取した。この日は、9ヵ月半の無冠から脱却した日でもある。8月頃から、復調の兆しはあったのだが、竜王戦の挑戦者決定トーナメントを勝ち上がり、名人位と並ぶ棋界のビッグ・タイトルに挑戦できることが、非常にうれしかった。
 後日、東京で竜王の就位式があったが、その時に熊澤さんから「至龍」の銘が入ったもう一組の駒を頂いた。私がお願いしたのは一組だけだったが、その姉妹駒として同時に制作されていた駒を、竜王復位のお祝いとして贈っていただいたのだ。

 駒について書かれたものから引用させていただく。
ーー「谷川浩司書」の駒は、谷川九段(当時)の要請を受けて昨年七月に着手し、約半年かけてこのほど誕生した「谷川竜王、三十四歳の筆跡」の駒です。「至龍の駒」はその「谷川浩司書」初作駒の姉妹駒で、いずれ実現するであろう慶事を予感して、その時のために供すべく、ほぼ並行して制作しておりましたところ、早々に第九期竜王戦にて見事「竜王」復位を果たされました。これを賀し「至龍」の銘を刻み、「至龍の駒」誕生を担い得た喜びとともに、僭越ながら竜王就位の今日、この駒を谷川新王位に贈ります。奇しくもこの駒の制作過程が谷川新竜王誕生(復位)に至った今期竜王戦進行時期と重なるところから、「竜王に至る駒」として、且つ「斯界の龍」谷川新竜王の筆跡にも因んで、「至龍の駒」と命名しましたーー

 奇しくも、とは言い得て妙の言葉だ。人の知恵には限りがある。ここでこうなるとは、分からないところに人生の機微がある。
 世界に二つとない駒のはずが、奇しくも二組手元にある。苦しい時と喜びの時と、そのどちらも忘れてはいけないことを教えてくれる、至宝の駒である。

 以上ですが、追記として、
 谷川先生からはその後、「将来、お世話になった人などに贈りたい」とのことで、複数組の追加注文をいただきました。お弟子の都成さんが四段に入品されたお祝いとして贈られたのは、その中の一組と聞いております。
 なお、当初より私は、この駒は本人の要請、または許可が無いと制作しないと決めておりました。しかし困ったことに、ニセ物事件が相次いで発覚したのです。調べてゆくと東京を震源地として関係者は天童・静岡に及び、そしてもう一つは大阪で、中には比較的近しい人も居たりで、この世界のモラルの無さ、低さを嘆くこと、しきりでした。



 

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新幹線・フリーペーパーエッジ、ひととき9月号

2020-08-20 19:59:23 | 写真

今日から、新幹線グリーン車座席に配布されているフリーペーパー「エッジ、ひととき9月号」9ページに、このような記事が掲載されました。
写真が駒でなく、奈良の吉野山になっているのがちょっと残念ですが、アップさせていただきます。
執筆者の岡本彰夫さんは、春日大社の宮司に次ぐナンバー2の権宮司を永年務められていて奈良の歴史や工芸に造詣が深く、今は県立大学客員教授をなさっています。

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ある電話

2020-08-19 19:33:02 | 文章

8月19日(水)、晴れ。

相変わらずの暑さ。でも湿度がそれほどでもなく助かっています。
仕事は、盛り上げたり、磨いたりでした。
夕刻、仕事を終わろうとしていたら、電話を貰いました。
「ブログを見ていたら、玉将一枚だけを作る記事がありましたのでお聞きするのですが、一枚だけでも注文できますか?」。
「いえいえ、あれは一組ご注文いただきまして、あと玉将を一枚を追加してほしいということで、作った一枚です」。
「わかりました。古い水無瀬兼成卿の駒を復元した記事も見ました。あの駒は、厚みが普通の1.5倍くらいあるのですか? それを作ることはできますか? 彫り埋め駒とか、書き駒のどちらかで・・」
「厚みは1.5倍でなく、およそ1.3倍くらいですね。もちろん作ることはできます」。
「木地はどんなものですか?」。
「古い復元駒なら、特殊な木地より柾目とか根杢とかが合うように思いますね。彫り埋め駒より、書き駒の方が技術的には難しいですね。多くの皆さんは、書き駒の方が簡単だと思っている人が多いのですが、その逆で、書き駒の方が各段に難しいのですよ・・」。

そのような会話が続きました。
近くの方なら、加茂の工房まで来ていただいて、現物を見ていただきながらお話しするのがいいのですが、現今のコロナ禍ではそうもいきません。悩ましいことです。

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回想記・その8、駒づくりプロ宣言展

2020-08-18 22:39:59 | 文章

回想記・その7、駒づくりプロ宣言展
 
 開催場所にこだわった「個展」は、東京は銀座大通りと決めて、場所探しから始めることにしました。目指す銀座大通りには、大小、多くのギャラリーがある中で、明るくて健康的なところで開催するのが希望でした。

 ある日上京して、3丁目あたりから一軒々々を尋ね歩いたのですが、明るくて健康的なギャラリーは、なかなか見つかりらないでいました。15軒目ほど巡って7丁目辺りまで行くと、理想的なギャラリーが見つかりました。資生堂ギャラリーです。勢い込んで係員に聞くと「3年先まで予約済み」とのことで、やむなく断念。もう少し探すことにしました。
 やがて8丁目で、天井が高くて広くて明るくて健康的なところが見つかりました。銀座書廊です。天井が高いのは、大書した条幅などの書画を掲げるため。オープンしたばかりで、運よく翌年5月の金土日3日間を押さえることができました。
 でも、ちょっと気がかりなことが頭をよぎりました。42坪もある広い展示場に、ちっぽけな駒を30組40組並べても見劣ること甚だしく格好がつかない。何か良い方法は無いものかと思ったところ、閃くものがありました。
 「そうだ原田先生。原田先生にお願いしよう。先生には夕刻にはお会いできる。そこでお願いしよう」でした。浮かんだ妙案は、原田先生に協力いただいて、広い壁面には、大書した作品をたくさん掲げてもらう。駒は下の展示台に並べればよい。原田先生の書作と私の駒とを組み合わせると、サマになるというアイデアでした。

 予約をすませ、原田先生が来られるホテルの祝賀会会場に移動し待っことしばし。やがて、いつもの羽織袴姿の原田先生に「かくかくしかじか」とお願いしたところ、「わかりました。貴男は信用がある。やりましょう」と、快諾いただいたことは何にもまして嬉しく、順調満帆な門出を予感させるものでした。

 原田先生の支援により具体化した展示会は、8か月かけて準備し、翌年の平成8年に「プロ宣言・駒づくり展」として東京と大阪で開くことにしました。時に53歳。映像は、その案内ハガキ(原稿ゲラ)です。

 最大のエポックは、展示会直前に原田先生が「 勲4等旭日小綬章」を受賞されたこと。そのため、当日の会場はテレビ新聞など大勢の報道関係者でいっぱい、おかげさまで、私めも大いなる余禄、恩恵を授かったのでした。

 大阪での展は、心斎橋筋・大丸百貨店前で半月遅れての開催でした。
 そのある日のことです。来場された谷川浩司九段が、20分ぐらいでしたか、展示している「原田泰夫書の駒」を無言でジーっと見つめておられたのです。因みに「原田泰夫書の駒」は、この展のために原田先生にお願いして作った新発表の駒。
 その日はそのままお帰りになって、二日後のことです。電話があって「私の字で駒ができますか」というお尋ねでした。その後のことについては、谷川先生著「復活」(毎日新聞社)にも詳しく触れられていますので、章を改めて書くことにします。
 
 
 

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駒の写真集

リンク先はこちら」 http://blog.goo.ne.jp/photo/11726