12月31日(日)、曇り。
寒さは少し和らいだ一日でした。
仕事の木地揃えは16時過ぎまで。
そのあとは,少し片付け仕事。
今は、風呂・食事も終え、あとは格闘技を見て、寝るばかり。
年賀状ですが、本文も自筆のつもりを時間短縮で、急遽ワープロで書いて印刷することにしました。
皆様、良いお年を。
では、おやすみ。
寒さは少し和らいだ一日でした。
仕事の木地揃えは16時過ぎまで。
そのあとは,少し片付け仕事。
今は、風呂・食事も終え、あとは格闘技を見て、寝るばかり。
年賀状ですが、本文も自筆のつもりを時間短縮で、急遽ワープロで書いて印刷することにしました。
皆様、良いお年を。
では、おやすみ。
12月29日(金)、期待は晴れ。
先ほど起きました。
今年も、あと3日。
年賀状を買いに行きます。
書くのは元旦、出すのも元旦。
でも来年の年賀状の半分くらいは、いつもの年とはちょっと違ったものを出そうかとも思案中です。
テレビの映像は、田部井さんの追悼番組。
あの登山家の田部井淳子さん。
田部井さんは何年か前から、ガン治療中でした。
それでも、多くの高校生を募って、何度も富士登山を主導。
合計1000人の高校生を目指していたそうで、
「病気になっても病人にはならない」は、七十七才、田部井さんの言葉です。
その言葉を聞いて「そうだね。そうありたい」と思いました。
先ほど起きました。
今年も、あと3日。
年賀状を買いに行きます。
書くのは元旦、出すのも元旦。
でも来年の年賀状の半分くらいは、いつもの年とはちょっと違ったものを出そうかとも思案中です。
テレビの映像は、田部井さんの追悼番組。
あの登山家の田部井淳子さん。
田部井さんは何年か前から、ガン治療中でした。
それでも、多くの高校生を募って、何度も富士登山を主導。
合計1000人の高校生を目指していたそうで、
「病気になっても病人にはならない」は、七十七才、田部井さんの言葉です。
その言葉を聞いて「そうだね。そうありたい」と思いました。
12月28日(木)、曇り。
日本列島は、昨日も一昨日も寒波。
両日とも朝は晴れるかと思えば、雲沸く。
と云うことで、外気温は5℃。
これではさすがに外仕事は敬遠。
内仕事は木地揃えでした。
今日は、年末の食材の買い出し。
郡山の卸売り市場へは、この時期の恒例。
仕事は帰着後、10時過ぎ。
今日は何をするかです。
やっぱり昨日の続きですかね。
その合間に、彫り終えた「無双」の漆入れも。
ーーーー
ある人との電話での会話。
「書道を習いに行こうと思っているのですが・・」。
「それは良いことです。駒づくりにもプラスになりますね」。
「どんな先生(教室)がよいですか」。
「さあ? 実際に云ってみないと分かりませんが、勉強になるのは先生の書く様子。
先生の手元や筆の動きが、実際に見られる教室が良いでしょうね。
先生の手本のコピーを配るだけの教室では,どうもね」。
日本列島は、昨日も一昨日も寒波。
両日とも朝は晴れるかと思えば、雲沸く。
と云うことで、外気温は5℃。
これではさすがに外仕事は敬遠。
内仕事は木地揃えでした。
今日は、年末の食材の買い出し。
郡山の卸売り市場へは、この時期の恒例。
仕事は帰着後、10時過ぎ。
今日は何をするかです。
やっぱり昨日の続きですかね。
その合間に、彫り終えた「無双」の漆入れも。
ーーーー
ある人との電話での会話。
「書道を習いに行こうと思っているのですが・・」。
「それは良いことです。駒づくりにもプラスになりますね」。
「どんな先生(教室)がよいですか」。
「さあ? 実際に云ってみないと分かりませんが、勉強になるのは先生の書く様子。
先生の手元や筆の動きが、実際に見られる教室が良いでしょうね。
先生の手本のコピーを配るだけの教室では,どうもね」。
12月24日(日)、曇り、夜雨。
日照はなくても、気温はまずまずの一日でした。
まもなく日付が25日になります。
昨日は、6ヶ月点検を終わった車を受け取りに。
丁度、リコールと重なり、おまけに先日高速道路でフロントガラスに飛び石。
その修理もあって、車なしの二日間。
フロントガラスの疵は、俗に「ハマグリ」と呼ぶ1センチ余りの衝撃痕。
ガラスリペアという工法で、見事に修復されていました。
当初は3万円余り掛かるとの話でしたが、支払い費用は3000円。
保険に入っていたのが幸いして、これは保険外のサービス扱いで助かりました。
ガラスリペアは、どうやら紫外線硬化樹脂で、疵の部分を埋め直す方法。
修理した部分は全く透明で、元々のガラスと見分けがつきません。
ひょっとすると、ボデイの浅い擦り傷なんかも、この技術で修復できるのかもしれませんね。
日照はなくても、気温はまずまずの一日でした。
まもなく日付が25日になります。
昨日は、6ヶ月点検を終わった車を受け取りに。
丁度、リコールと重なり、おまけに先日高速道路でフロントガラスに飛び石。
その修理もあって、車なしの二日間。
フロントガラスの疵は、俗に「ハマグリ」と呼ぶ1センチ余りの衝撃痕。
ガラスリペアという工法で、見事に修復されていました。
当初は3万円余り掛かるとの話でしたが、支払い費用は3000円。
保険に入っていたのが幸いして、これは保険外のサービス扱いで助かりました。
ガラスリペアは、どうやら紫外線硬化樹脂で、疵の部分を埋め直す方法。
修理した部分は全く透明で、元々のガラスと見分けがつきません。
ひょっとすると、ボデイの浅い擦り傷なんかも、この技術で修復できるのかもしれませんね。
12月22日(金)、晴れ。
今日は、「書き駒と盛り上げ駒」に関して、ある方への手紙の抜粋です。
ーーーー
水無瀬兼成卿に代表される古の能筆家による書き駒は、余人では換えがたい「卓越した書の技量と集中力」に裏打ちされたものであり、現今の盛上げ駒を遙かに超えるものだと思うのです。
今回、ご用命くださった貴兄も、同様のお考えかと推察いたしております。
水無瀬駒を初めて見たのは32歳の頃でした。そのとき「これに迫るような駒が作れるようになりたいものだ」と直感。しかし、その技量と自信もない小生は、これを「生涯の目標」として心に決めたものの、長らく果たせないまま月日が過ぎました。
きっかけは64歳の頃。大阪商業大学の谷岡学長から学内に開設するギャラリーの目玉展示品として「大局将棋」の制作要請を受けた時でした。
総数804枚の駒は、念願の「書き駒」で作ると決めてチャレンジした結果は、自分なりに納得が行くもので、以後の書き駒制作の大きな力となり、数組を作りました。(映像はその一つの玉将)
今回制作させていただくのは、水無瀬神宮蔵「兼成八十二才の駒」の筆跡と分厚い駒の姿形を、当時の製法である漆の肉筆直書きで、私なりに迫って再現しようとするもので、心を込めてしっかり作りたいと思っております。
使用する材は、薩摩ツゲ古材の柾目で、玉将の厚みは一般的な玉将の1.5倍の13ミリほど。
目立った模様はありませんが、それがかえって穏やかで古い時代の駒の雰囲気を醸します。7
ところで、世間では盛上げ駒が最上品のように云われています。そうでしょうか。
確かに盛上げ駒の制作には長い手間と時間が掛かります。
しかし、工程に時間が掛かれば高くなるというのは,工業製品の論理です。
元々、盛上げ駒は、能筆家の公卿が駒を作らなくなった幕末以降の明治の工人が、書が格別上手くなくても、古の能筆家の優美な文字を再現しようとした製法で、文字を印刷した紙を貼って彫り込んだ下地に、漆筆で何度もなぞって書く。つまり「塗り絵のような」擬似的製法なのであります。
蛇足ですが、一般的に書き駒の評価は低いのは、作るだけならば誰でも作れそうなことと「書き駒は=安価な天童駒の大衆品」という固定概念が定着しているからでありましょう。
・・以下、省略。
今日は、「書き駒と盛り上げ駒」に関して、ある方への手紙の抜粋です。
ーーーー
水無瀬兼成卿に代表される古の能筆家による書き駒は、余人では換えがたい「卓越した書の技量と集中力」に裏打ちされたものであり、現今の盛上げ駒を遙かに超えるものだと思うのです。
今回、ご用命くださった貴兄も、同様のお考えかと推察いたしております。
水無瀬駒を初めて見たのは32歳の頃でした。そのとき「これに迫るような駒が作れるようになりたいものだ」と直感。しかし、その技量と自信もない小生は、これを「生涯の目標」として心に決めたものの、長らく果たせないまま月日が過ぎました。
きっかけは64歳の頃。大阪商業大学の谷岡学長から学内に開設するギャラリーの目玉展示品として「大局将棋」の制作要請を受けた時でした。
総数804枚の駒は、念願の「書き駒」で作ると決めてチャレンジした結果は、自分なりに納得が行くもので、以後の書き駒制作の大きな力となり、数組を作りました。(映像はその一つの玉将)
今回制作させていただくのは、水無瀬神宮蔵「兼成八十二才の駒」の筆跡と分厚い駒の姿形を、当時の製法である漆の肉筆直書きで、私なりに迫って再現しようとするもので、心を込めてしっかり作りたいと思っております。
使用する材は、薩摩ツゲ古材の柾目で、玉将の厚みは一般的な玉将の1.5倍の13ミリほど。
目立った模様はありませんが、それがかえって穏やかで古い時代の駒の雰囲気を醸します。7
ところで、世間では盛上げ駒が最上品のように云われています。そうでしょうか。
確かに盛上げ駒の制作には長い手間と時間が掛かります。
しかし、工程に時間が掛かれば高くなるというのは,工業製品の論理です。
元々、盛上げ駒は、能筆家の公卿が駒を作らなくなった幕末以降の明治の工人が、書が格別上手くなくても、古の能筆家の優美な文字を再現しようとした製法で、文字を印刷した紙を貼って彫り込んだ下地に、漆筆で何度もなぞって書く。つまり「塗り絵のような」擬似的製法なのであります。
蛇足ですが、一般的に書き駒の評価は低いのは、作るだけならば誰でも作れそうなことと「書き駒は=安価な天童駒の大衆品」という固定概念が定着しているからでありましょう。
・・以下、省略。
12月20日(水)、晴れ。
今日も上天気でした。
所用で大阪。
大阪は久しぶり。
3年近く、御無沙汰でした。
所用は、湊町近くのTさんの事務所。
昼は、その近くの蕎麦屋さん「そばよし」でした。
ここでは、いつも「にしんそば」を注文。
今日も、コレをおいしく食しました。
店には、全国新そば会発行の立派なパンフレット「新そば」が置いてありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/61/ed7a348ab73fd0ae7aa3f5f48add360c.jpg)
一冊、手にとってめくってゆくと、北海道から沖縄まで80軒ほどメンバーの蕎麦屋さんの名前。
どれどれと、目に留まったのは、天童の蕎麦屋さん「やま竹」。
「やま竹」には、20年ほど前に、数回行きました。
覚えています。
ここの蕎麦の細いのを。
真っこと細くて繊細で旨いのです。
天童には、その後御無沙汰ですが、ここの蕎麦だけは覚えています。
もう一度、行くことがあるのか無いのか。
若し、行くことがあれば「やま竹」の細い蕎麦を、もう一度食したいものです。
ーーーー
話は変わって、夕方に電話をもらいました。
小林ショウセイさんの奥様からです。
「17日に主人が亡くなりました。家族葬を済ませましたが、熊澤さんにはお知らせしておかなければ」との電話でした。
実は数日前に、虫の知らせと云おうか、何かしらフト、気持ちがよぎりました。
電話しようかとも思ったのですが、結局はしませんでした。
亡くなったのは、丁度、その頃だったかもしれません。
小林さんとは40年のお付合い。
特に将棋では、お世話になりました。
淡路島、有馬、和歌山、金沢等々、タイトル戦にも良く行きました。
主催社の記者仲間にも、交流も広げてくれました。
でも、一年ほど前からは、体調を壊されて心配でした。
今は、ただ合掌。
今頃は、田辺忠孝さんと、どんな会話をされていることか。
今日も上天気でした。
所用で大阪。
大阪は久しぶり。
3年近く、御無沙汰でした。
所用は、湊町近くのTさんの事務所。
昼は、その近くの蕎麦屋さん「そばよし」でした。
ここでは、いつも「にしんそば」を注文。
今日も、コレをおいしく食しました。
店には、全国新そば会発行の立派なパンフレット「新そば」が置いてありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/61/ed7a348ab73fd0ae7aa3f5f48add360c.jpg)
一冊、手にとってめくってゆくと、北海道から沖縄まで80軒ほどメンバーの蕎麦屋さんの名前。
どれどれと、目に留まったのは、天童の蕎麦屋さん「やま竹」。
「やま竹」には、20年ほど前に、数回行きました。
覚えています。
ここの蕎麦の細いのを。
真っこと細くて繊細で旨いのです。
天童には、その後御無沙汰ですが、ここの蕎麦だけは覚えています。
もう一度、行くことがあるのか無いのか。
若し、行くことがあれば「やま竹」の細い蕎麦を、もう一度食したいものです。
ーーーー
話は変わって、夕方に電話をもらいました。
小林ショウセイさんの奥様からです。
「17日に主人が亡くなりました。家族葬を済ませましたが、熊澤さんにはお知らせしておかなければ」との電話でした。
実は数日前に、虫の知らせと云おうか、何かしらフト、気持ちがよぎりました。
電話しようかとも思ったのですが、結局はしませんでした。
亡くなったのは、丁度、その頃だったかもしれません。
小林さんとは40年のお付合い。
特に将棋では、お世話になりました。
淡路島、有馬、和歌山、金沢等々、タイトル戦にも良く行きました。
主催社の記者仲間にも、交流も広げてくれました。
でも、一年ほど前からは、体調を壊されて心配でした。
今は、ただ合掌。
今頃は、田辺忠孝さんと、どんな会話をされていることか。
12月18日(月)、晴れ。
朝の気温零下4℃。
日中は10℃超え。
日なたはポカポカ。
と言うことで、今日は漆の外仕事。
平箱への漆塗りでした。
左が事前、漆下地の段階。
右が事後、2回目の漆拭き。
ちょっと、漆色がつきました。
この後、2回ぐらい漆を拭き上げます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/0d/ef7fea095a2ce4d4c2cb45e482a44cb9.jpg)
朝の気温零下4℃。
日中は10℃超え。
日なたはポカポカ。
と言うことで、今日は漆の外仕事。
平箱への漆塗りでした。
左が事前、漆下地の段階。
右が事後、2回目の漆拭き。
ちょっと、漆色がつきました。
この後、2回ぐらい漆を拭き上げます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/0d/ef7fea095a2ce4d4c2cb45e482a44cb9.jpg)
12月15日(金)、晴れ。
太陽の下、ややほこりの出る戸外仕事は、木地成形。
今日は暖かく、先ずは捗りました。
でも、今年は寒さ厳しいので、漆仕事は敬遠気味でいます。
ソレニシテモ、昨日は寒かった。
昨日は大阪天満橋で、夕刻よりJT将棋優勝の山崎八段の祝賀会。
乾幹事の元、13名が集まりました。
メンバーはほぼいつもの人たち。
この次は、山崎さんのA級昇級のお祝いに。
太陽の下、ややほこりの出る戸外仕事は、木地成形。
今日は暖かく、先ずは捗りました。
でも、今年は寒さ厳しいので、漆仕事は敬遠気味でいます。
ソレニシテモ、昨日は寒かった。
昨日は大阪天満橋で、夕刻よりJT将棋優勝の山崎八段の祝賀会。
乾幹事の元、13名が集まりました。
メンバーはほぼいつもの人たち。
この次は、山崎さんのA級昇級のお祝いに。
12月13日(水)、晴れ。
今日は何をするかなと、8時前に仕事場に入りました。
超寒くても、太陽がいっぱい。
今日は、外仕事が良いな。
と言うことで、今日は平箱の漆塗りでした。
半年前、桐箱屋さんから届いた桐の平箱は26個。
勿論、木地のままの未塗装。
この内、10個は直ぐに漆塗りして使用。
ということで、今日は残りの16個。
駒づくりの狭間に、こんなこともやって、気分転換。
先ずは、下地調整のペーパー掛けと下地塗り。
途中、3時間ほどは外出して、帰着後に再開。
一段落したのは、どっぷり暗くなった17時30分頃。
今日の仕事はここまでで、一通りの工程は終了。
この続きはまたです。
ーーーー
映像は、ある方から頼まれていた超ミニ駒。
100年ほど前の「安清の雛駒」。
その桂馬が一枚、欠落。
駒サイズは、6~7ミリ。
下敷きの新聞と比べてください。
と言うことで、その一枚を補作しました。
素材は、勿論ツゲ。
100年前の古駒と色を合わせるため、昔、燻しすぎた木地を活用。
丁度、上手く合いました。
その映像です。
手前の桂馬、左が補作、右が元々の駒その表裏。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/d6/bdf993508c5bcae782b310519b843a3b.jpg)
今日は何をするかなと、8時前に仕事場に入りました。
超寒くても、太陽がいっぱい。
今日は、外仕事が良いな。
と言うことで、今日は平箱の漆塗りでした。
半年前、桐箱屋さんから届いた桐の平箱は26個。
勿論、木地のままの未塗装。
この内、10個は直ぐに漆塗りして使用。
ということで、今日は残りの16個。
駒づくりの狭間に、こんなこともやって、気分転換。
先ずは、下地調整のペーパー掛けと下地塗り。
途中、3時間ほどは外出して、帰着後に再開。
一段落したのは、どっぷり暗くなった17時30分頃。
今日の仕事はここまでで、一通りの工程は終了。
この続きはまたです。
ーーーー
映像は、ある方から頼まれていた超ミニ駒。
100年ほど前の「安清の雛駒」。
その桂馬が一枚、欠落。
駒サイズは、6~7ミリ。
下敷きの新聞と比べてください。
と言うことで、その一枚を補作しました。
素材は、勿論ツゲ。
100年前の古駒と色を合わせるため、昔、燻しすぎた木地を活用。
丁度、上手く合いました。
その映像です。
手前の桂馬、左が補作、右が元々の駒その表裏。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/d6/bdf993508c5bcae782b310519b843a3b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/da/b57f39ecb3de52d04f50c483e2b3a4a4.jpg)
駒の写真集
リンク先はこちら」
http://blog.goo.ne.jp/photo/11726