4月30日(日)、雨模様。
しっとり雨が、今日も続いています。
4月も今日でお終い。黄金週間が始まりました。
当方、黄金週間はあまり関係ない日々が続くでしょうが、いつもと違うのは、週末に遠方から子供や孫たちが来てくれるらしい。
らしいと言うのは、家内から聞いた話だから。
それ以外の格別のモノはなくても、人生のヒトコマではありますね。
先ほどから窓の外を見ながらキーボード操作をしているのですが、しっとり雨が続いているのかどうかは判然とはしない。そのような状況が続いています。
4月29日(土)、雨。
朝から、シトシトの雨。
そのおかげで、潤いある空気でいっぱい。
この時期の雨の有難さでもあります。
ところで、今日は「手作りの駒」について考えてみます。
対して「機械造りの駒」は、どうかです。
駒にもいろいろあって、機械造りの駒は良くても悪くても、総じて画一的。画一的と申しますのは、駒の姿形と言いその文字といい、大方が揃い過ぎていて「揺らぎが無い」。
その「揺らぎ」とは何かです。
駒、一枚一枚を子細に見ると、少しずつ違っていて画一的でないが、全体で違和感が無いということ。
15年ほど昔の話ですが、ある博物館の学芸員(文学博士)が鑑定をするということで、その方は400年前の水無瀬兼成さんが作った(書いた)2枚の「玉将駒」を見比べて、「玉将の漆の竪(縦)棒の太さが違う」と、勝ち誇ったような言葉。頂いた名刺を見ると「文学博士」とあり、まるで偽札を鑑定するがごとくでした。
それを聴いて私は「肉筆の文字だから、多少違うのは当然」と、心の中でつぶやいたことを覚えています。
その違いが手作りの「揺らぎ」なのですね。
「揺らぎ」は、筆(文字)の位置や大きさ、太さ、撥ねの具合などに現れるわけですが、懸け離れたモノでなく微妙で「良い揺らぎ」には全体として心地良い統一感で一本の筋が通っています。
少し抽象的な言い回しになりましたが、今日は日頃、思っていることの一端を述べました。
暖かな朝、どれがアヤメか、カキツバタ。
今もって、正しい名前が分かりませんが、狭い庭に、とにかく一輪、花が咲きました。
正しいのは「いずれがアヤメか、カキツバタ」ですかね。
ご注進をいただいただいて、ありがとうございました。
4月27日(木)、晴れ。
朝から上天気。
気温は平年並み、気持ち良い一日でした。
本日の映像は、自分用の愛用駒。
以前に何度かアップした駒です。
普段は袋と駒箱に入れていて、時には盤に並べたりして25年ほどになります。
訪問者とで愛用の駒に話が及んだ時などでは、これを箱(袋)からチャラチャラと出して、お見せしたりもしています。
その駒ですが、ご覧の通りいい飴色になってきました。
もう6~7年も前ですが、あるとき某タイトル戦の継盤用に使ってもらった後、2週間ほど経って、ある立ち合いの先生から「あの駒を譲ってほしい」との要請をいただきました。
「あれは私の愛用品だし中古品ですので、別途、新しい駒を作ります」と言うことで、納得していただいたのですが、この駒には今だにキズらしいキズは1つも見当たりません。
でも最近は、「駒を平箱に入れたまま、眺めている」という人が結構多いようで、その人たちは「駒に傷がつくのが嫌だ」と平箱にいれたままの「見るだけの駒」として、大事にされているのでしょう。
しっかり角を面取りしてある駒なら袋と四角い駒箱に入れて使っていてもダメージを与えるような傷がつくものではないのですが、売り物の駒ならそんなことをしてはいけないので、平箱に入れて保管しています。
昨日も、意見交換していた方からは「平箱に入れたままの人は、きっと、いずれ転売しようと考えているのでは・・」との見方でした。
そうでしょうね。
私もそう思います。そして残念なことですが、「駒は大事に使いながら育てる。育つ」ということをご存じないのでしょうね。
ところで、本題の「駒箱の作法」ですが、駒箱にとって蓋の天面は、一番重要な部分として、桑などでは、一番美しい模様を天面に使っています。
その天面に、擦れキズがついてはどうしようもありませんので、キズがつかないように大切にしなければなりません。
ですので天面は、特に手で触れたりモノに当てないような取り扱いが求められますので、天面を上にしたまま、畳にそっと置く。そういう配慮が必要なのは明らかです。
しかしタイトル戦で、箱の蓋は、お椀の蓋を置くように、天面を下に天地を逆さまにして畳に置いていたということでした。
案外、このしぐさは見過ごしがちですが、良く気が付きました。
この扱いは理屈からして良くないことなんですが、対局者は日ごろ、勝ち負けにのみ集中していて、それ以外のことは思考の外。そのように思います。
(私は見ていませんが)同じことが、直近での某タイトル戦でもあったと聞きました。
勝った負けたは棋士にとって最需要ではありますが、このことにも棋士の誰かが気づいてほしいものです。
理にかなった正しい作法、これも重要なことだと思うのです。
本題は以上ですが、関連事項を追記します。
お茶碗や皿などの底にある丸くなったワッカのような出っ張り。すなわち「高台」のことですが、これは器を台に置いた時、安定させるためのモノで、お椀やお茶碗の蓋にも同様の高台がついています。
これによって蓋はひっくり返して置いても安定する役割とともに、この高台にはもう一つ重要な存在理由があります。
それは、お椀の蓋の美しい塗りや図柄模様の部分に傷をつけない。
作法として「ひっくり返して置く、蓋の高台」は、そのためのモノでもあるわけです。
ところで「駒箱の蓋」には、この高台はありませんね。
すなわち「駒箱の蓋」は、ひっくり返して置かれることを想定していない。そういうことが理解できるますが、とは言え、総てのモノがこの理屈通りかどうか、少し紛らわしいと言わざるを得ないのです。
それは「ウナギ重」や「天ぷら重」を食するときのお重の蓋です。
私の場合、開けた蓋の中についた「水滴」が、周りに垂れないように、蓋をひっくり返して横の台上に置くことが多い。でも、立派な漆塗りの器ですと、天面に傷をつけることになるわけで、これはどうしたものでしょうか。
立派な(高価な)漆塗りの器で、ウナギを食することはめったに無いのですが、これは少し考えなければなりません。
4月26日(水)、雨。
朝から雨。
久しぶりに黄砂の影響もなくなり、草木がよみがえる本降りの雨でした。
仕事は、相変わらずの盛り上げ。
雨にもかかわらず、結構、順調な進み具合で、気持ちは軽やか。
でも、出来上がりを待っている人もあり、そんな一日でした。
ところで、駒箱の扱いでお尋ねがありました。
四角い駒箱の蓋の扱い方、作法です。
対局開始で盤上に置かれた駒箱から駒を取り出すとき、手に持って開けた蓋の方を畳に置くわけですが、「蓋をひっくり返すのか、それとも向きをそのままの状態で畳に置くのか」と言うお尋ねでした。
その答えは、写真付きで、明日、お答えすることにします。
4月25日(火)、小雨。
朝から降ったりやんだり。寒さが戻っています。
先日、内容的には従前と変わらないのですが、木津川市のふるさと納税返礼品、新年度の契約を更新しました。
ところで、ふるさと納税の窓口は二つあって、一つは木津川市役所(ふるさと納税担当部署)に直接申し込む方法と、もう一つは外部業者が窓口になっている「さとふる」のような窓口サイトを使う方法とがあります。
品目や金額的なことは、両者に変わりがありませんが、直接、木津川市の担当部署を通じると、あらかじめ決めている定型的なこと以外に細かな定形以外の希望も含めて、やり取りができますので、使い方によっては良い場合があると思います。
その場合、当方も可能な限り柔軟に対応することにしています。
4月24日(月)、曇り。
選挙が終りました。
ニュースによると、91才の町議会議員が誕生したとか。
それにしても、91歳で立候補とは立派な心掛け。「まだまだ気力は衰えていない」とのことで、老いて益々の立候補はすばらしい。
先に「若いことはいいことだ」と書きましたが、26才の市長も誕生とかで、世の中は広い。
片や、91才には程遠い当方は、どうかです。
まだまだ10年以上が必要だし、先のことは分からない。
満足できる駒づくりが続けられるか、中身が薄くてもブログが続けられるかです。
目標は、88才。
ポイントは、自然体の気力が維持できるかどうかですね。
そんな思いで、昨日の選挙を見ています。
本日のお客様は、結婚まじかの若いお二人。
年齢を聞くのを忘れましたが、お二人は20代半ばでしょうか。
先にブログでアップした駒の中に「華」という文字がありましたね。分かったことは、あれは、今日来られた方のお名前だったのです。
そういえば、「〇太」という駒も作っていたので、二人は、それらの駒を「玉将・王将」に変えて指そうという発想。
当方、思わず口を突いて出たのは「おー、そうだったのか」でありました。とにかく若いお二人。
若いことはいいことだと、改めて思うのでした。
「叡王戦」。
菅井さん勝利で、1-1。佳境に入りました。
今日の話題は、以上。
では、また。
4月22日(土)、晴れ。
東方より、パンフレットが届きました。
送り主は、千葉県のOさん。
過日、山形県酒田市の現地に行かれて入手されたものです。
「城ノ輪柵遺跡」のパンフ。
この中に、先日紹介した「兵」の駒があります。
発掘は昭和54年でしたが、詳しいことは書かれておりません。
詳細な分析とか研究がなされていなかったように思われて、少々残念ではあります。
この「兵」の駒と「城ノ輪柵遺跡」について、私は直接、酒田市の担当部署(教育委員会)に問い合わせしたのですが、暫くたって返ってきたのは「只今、詳細を調査中」という回答でした。
発掘は昭和54年。それから既に半世紀もたっているのです。にも拘わらず、現在も「只今調査中」とは??
永遠に調査するつもりなんでしょうか。分からなければ「分からない」とする方が、スッキリするのではないでしょうか。
それにしても、Oさん、ありがとうございました。
Oさんには前もって断りを入れて、このブログにパンフをアップさせていただきました。
今日は「ありがとう」とは別に、要らぬことを口走ってしまいました。謝謝。