熊澤良尊の将棋駒三昧

只今、生涯2冊目の本「駒と歩む」。只今、配本中。
駒に関心ある方、コメントでどうぞ。

目次

作品 文章 写真 販売品

怖い話です

2023-02-28 18:01:06 | 文章

2月28日(火)、晴れ。

クリヤーでスカッとした青空。

気温の上昇もあって、午後の外仕事は快適。
漆仕事も快適。
もうすぐ春ですね。

何処かの温泉宿のニュース。
消費者(お客)を愚弄して、あきれるばかりですが、怖い話ではあります。

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春らしく

2023-02-26 17:43:38 | 文章

2月26日(日)、晴れ。

朝方はチラッと雪が舞ったようですが、その後は晴れました。


当方、日の出とともに起床して、日の入りとともに仕事を終える生活。只今は冬至の頃に比べて、昼の時間が一時間ほどのび、太陽の力が増してきました。
さて、仕事は昨日の続きの「巻菱湖」。
まだまだ時間がかかりそう。


まあ、今日は短く、これまで。

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三度四度、出土駒について

2023-02-25 18:23:37 | 文章

2月25日(土)、曇り。

繰り返し、出土駒の話です。

先に、「奈良の遺跡から出土した興福寺駒が、出土駒としては一番古いモノだと語られて、それを信じ込んでいる人が多い」と述べました。
それは本当なのかどうかですが、私は間違いだと思っています。
それより古い時代の出土駒は、昭和54年だったか、山形県酒田市にある城ノ輪柵(きのわさく)遺跡から出土した「兵の駒」、これが最古のモノであろうと思います。
と言いますのも、城ノ輪柵は、奈良時代後期(8世紀)から平安時代中期(11世紀)にかけて、当時の朝廷の出先機関で、「兵の駒」は、その遺跡から発掘されており、その時期は、少なくとも「興福寺駒」の年代より古いと考えるのが至極順当であります。

その姿形は次のように表が「兵」、裏が簡易体で「金」と墨書されたものです。(今泉さんの本の表紙から抜粋させていただきます)

残念ながら、この遺跡で発掘された駒はこの一枚だけであり、10数枚(後に数枚、追加発見)されている「興福寺駒」に比べて、やや強みに欠けるところはあるのですが、それをもって最古とは言えないという理由にはならないのは当然なのですが、なぜか声が小さいせいか「最古」から追いやられています。
学術の世界でも、声の大きいのが強いのでありましょうか。
新聞とかテレビなどのマスコミも、独自の検証もなしに声の大きさに惑わされているかの如く
の報道も散見されているのは不可解と言わねばなりません。

ところでこの「兵の駒」。
現在の「歩兵」ながら、2文字でなく「兵」のみの1字表記であることに注目しなければなりません。
「兵」に関しては、二つの考え方ができます。
一つは、「兵」がこの時期、正当な駒の名称であったとする考え方で、もう一つは「歩兵」の略称として「歩」ではなく、たまたま「兵」と書かれたという考え方であります。
前者の可能性として、大陸からの影響が考えられます。
即ち、中国将棋、朝鮮将棋には「兵」の駒があり、伝来初期の頃は、わが国でもそのまま使われていたとの考え方で、その可能性は強いものの、それを証す古文献は見つかっておりません

後者は、省略形として単に後ろ一文字を墨書したモノであるとの解釈で、簡略した駒の呼び名も「ヘイ」であったのかもしれません。

と言いますのも、現代でも関西では「歩兵」の駒を「ヒョコ」(遊び・ヒョコ廻り)と言ったり、プロ棋士の中には「ヒョウ」と呼んでいる人もいて、いずれにしても「兵」の駒には、より古い時代の匂いが発散しているのです。

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鬼頭さんのレポート、京都・本法寺

2023-02-24 17:37:13 | 写真

2月24日(金)、雨。

名古屋の鬼頭孝生さんから、お便りが届きました。
先日、大橋家ゆかりの本法寺(京都)などを訪問された時のレポートで、写真で紹介いたします。

なお、文中、井岡さんは現在、静岡県にお住まい。
   ③の「本教院」は「教行院」が正とのことです。

本法寺には、20年くらい前に私も訪ねた記憶があります。

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今日は何の日

2023-02-23 17:42:02 | 文章

2月23日(木)、雨のち晴れ。

小さなチョンボ。罪のないチョンボ。

それは、良くしでかすことですが、今日も、やってしまいました。
朝から昨日の続き、確定申告書を仕上げてヤレヤレ。

出来上がったので、早く届けるに越したことは無いと思ったわけです。
市役所では毎年、この時期に確定申告作成のサポートと、提出の受付もしており、そこに提出すれば、わざわざ遠隔の税務署にいったり、郵送で届ける必要が無いわけで、早速、近場の市役所に向かいました。
市役所へは20分ほど。
駐車場のゲートをくぐると、車が数台。「今日は車が少ないな」と思いながら、玄関前に行くと、様子がおかしいのです。
今日はお休み、祝日だと気付きました。
それにしても今日は木曜日のはず、何の日だっけ。あっそうか、朝刊に「天皇63歳」とあったな。

今日は小一時間のロス。この程度で良かった。そんなチョンボでした。

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出土駒の話。その3

2023-02-22 17:40:37 | 文章

2月22日(水)、曇り。
多少、気温は持ち直しましたが、太陽もなく寒かったです。
買い物などで、一時外出した以外は、資料がそろわず、一時保留していた確定申告書づくりを再開。あと一息、ふた息の状況となり、なんとか2月中に提出できそうです。

中断していたもう一つのテーマ、出土駒に関しての続きです。
先に、「古い時代の出土駒には細長いのが多い」と書きました。
理由は、古い時代の出土駒には、杉など針葉樹で加工されたものだからとも書きましたが、理由は、当時、手直にあった「木簡」の材料が利用されたものも多かった。

当時の駒は自給自足。将棋遊びをする人がそれぞれに自作して楽しんでいたわけですから、板の加工に不揃いや、文字にも上手下手があるわけで、そのようなものが多かったわけです。
しかし、当時の貴族の中には、そのような粗末な駒に満足したとは思えません。吟味された素材で、端正な形。そし心が和む優雅な文字。そのような駒もあったのではないか。私はそう思っています。
しかし、古い時代のこのころの出土駒の中には、見当たらないのですね。はて、それはどうしたモノかと思っていました。
しかしある時、その理由に思い当たる出来事がありました。40年ほど前のことでした。

豊島龍山の未亡人から、買い受けた遺品のバラ駒、数百枚の中に、灰色でボロボロ、スカスカになった駒の幾つかを見つけたときのことです。おっ、これはすごい。素材はツゲのはず。そのツゲが、お菓子のウエハウスのようなスカスカになっている。
これらのバラ駒は、出来がよくなかったり、余分に作ったりしたモノに違いない。類推するに、捨てるのもなんだから、どこかの小屋の棚にでも置いていて、雨漏りで、このようになったのかもしれない。
ヨーッシ、一つ試してみよう。ということで、ツゲ駒の木っ端を何枚か庭に埋めてみて、どうなるか試すことにした。

それから数か月。

庭先をホジクルと、そこに駒はありました。
形はそのままでしたが、真っ黒、割ってみると中まで真っ黒けでありました。檜や杉ではこうはならない。表面は汚れていても、ホンの一皮むけば、もともとの木の色が蘇るのです。
しかし、ツゲの場合は、芯まで黒いのでした。
それから数か月寝かして、もう一度掘り出すと、形が崩れかけているモノもある。
「はあー、ツゲは雨水にものすごく弱いのだ。これなら数年で形も無くなる」。そのことに気が付いた次第です。

庭の土の中だと、雨でぬれたり乾いたり。その繰り返しですが、今回の実験は、空気を触れない状態の水の中では、どうなるか?
試してみようということです。
水は雨水が良いのでしょうが、代わって金魚鉢の水を閉じ込めて使いました。

本日は以上。
思いついたことはやってみる。貧乏暇なし。

 

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春よ来い

2023-02-21 18:52:28 | 文章

2月21日(火)、雨。
日中の気温は4℃。冬が戻ったような霙交じりの寒さ。
ということで、外仕事はパス。
代わって、先日から間歇的に進めていた「巻菱湖
」。何組分かの歩兵。その盛り上げを再開して一日が終りました。

明日の願いは春よ来い。

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雨水

2023-02-19 16:40:48 | 作品

2月19日(日)、雨。
今日は、二十四節季の雨水。そして四国地方では春一番。
雪が雨に変わるころだといいますが、文字通り朝からシトシト雨の中、雨だれを
凌いでの外仕事でした。
何時もの通り、貧乏暇なし。人生の一幕です。
でも、やがて右手指先に痛みがジワーッと。
次々と駒の角が、指先に食い込むのですね。
今日は中指の先でした。

それをこらえながらでしたが、4時間余りで一旦終了。
一日が終りました。

あ、そうそう、昨日の話。
チョッとした実験ですが、大方、想像してもらえるのではないかと思うのですが、いかがですか。
まあ、とにかく数か月先が楽しみです。

 

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気長な実験

2023-02-18 17:29:02 | 文章

2月18日(土)、雨模様。

出土駒のことを書いていて、ある実験をしようという気のなりました。
その実験は、よく似たことは何年も前に実施済みではありましたが、
結果は意外でした。今回は少し条件を変えての実行といたします。

結果ですか。そうですね、結果は数か月か1年先になりましょうが、想定している通りなのか、違っていたのかが楽しみで、まあ、気長にやろうと思っています。

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出土駒に見る駒の形、その2

2023-02-16 16:51:59 | 文章

前稿では、古い出土駒が作られた時代(例えば平安時代)、駒は針葉樹ばかりで作られていたのかどうかです。
現今のように、ツゲ(広葉樹)駒は無かったのでしょうか。そのことについて考えてみます、と述べました。その続きです。

古い時代の出土駒には、ツゲで作られた駒は皆目見当たらず、すべてが針葉樹ばかりで、そのほかの広葉樹で作られたモノもなく、それはなぜなのかです。
この時代、遺跡から発掘されているモノの中に木簡があります。特に平城京あたりからは大量に出ていて、木簡は当時、後の紙に代わる書付の材料として使われていた素材として、その多くは杉などの針葉樹を薄く平たく削った木片(ヘギ)で、役所やお寺などでは、ここに墨書して記録あるいは標識として用いられていたわけで、部屋の隅には、そのためのヘギが、うず高くストックされていたことでしょう。

現在は、駒は専ら職人が作るものとされていますが、当時は将棋遊びをする人が自給自足で作っていたわけで、ヘギは程よい大きさに刻まれて、それへ駒の文字を墨書した。奈良・興福寺の井戸から出土した駒はそのようなモノであります。
中には、木簡そのものの形を残したまま墨書きしたものもあって、それは文字書きの練習跡でありましょう。

ところで、出土駒に見るこの時代の駒は、薄っぺらい素材をはじめ、その形と文字は、決して端正とは言い難く、むしろ粗雑なモノであり、それは自給自足で作った駒であるゆえに、当然なことではあります。

では、この時代、現今のような端正な形でツゲで作られた駒は作られていなかったと言いきって良いかどうかです。
次回は、これを考えてみたい。

 

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駒の写真集

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