9月26日(火)、晴れ。
朝晩は涼しく、空はウロコ模様で、ようやく秋の気配。
このまま、涼しくなるのでしょうか。
仕事は相変わらずの「本」づくり。「駒に生きる」はようやく50ページまで進みました。
あとに残るのは80ページ余り。
それでも、少しづつですが、歩んでいます。
1月の高槻での講演会。
テーマは「水無瀬駒」ですが、これは、主催者からの要請で、なぜ水無瀬駒なのかです。
今度、それを聞いてみようと思っています。
9月19日(火)、晴。
今日は「本」づくりもしましたが、「金継ぎ」も。
前回した「金継ぎ」でしたが、チョッと不満があって、それのやり直しでした。
結果は、写真の通り。
実用には問題ないはずです。
まあ、これで良しとしましょうか。
9月13日(水)、曇り。
先日、資料類を整理していたら、こんな色紙が出てきました。
これを書いたのは、ニールセンさん。チェスのグランドマスター。
もう10年くらい前になりますが、盟友・尾崎さんが、加茂の工房に連れてきてくれました。
なんでも、京都から奈良に向かう途中とのことで、工房に立ち寄って、その時、書いてもらった色紙です。
確か、ニールセンさんはデンマーク人。
色紙には、何が書いてあるのか分かりませんが、とにかく、それが出てきました。
その時のニールセンさんは39才。今は50才くらいにはなっていることでしょう。
将棋の駒に、どの位興味がお有りか分かりませんが、小生の駒を手に取って見てくれました。
なお、尾崎さんも、チェスの強豪なんですね。
羽生さんや森内さんとも交流があって、将棋は勿論、チェスの普及にも寄与されています。
9月11日(月)、曇り雨。
今日は朝から、写真と資料の整理を始めました。
写真の整理は、その時々において整理してはいるのですが、今回は「本」に使う写真のピックアップが目的ではあります。
写真や資料に交じって、いくつか古い手紙が出てきました。
20年、30年前にいただいた手紙です。
改めて読み返してみると、おぼろげながら内容を覚えているモノに交じって、完全に忘却していたこともあって、最後まで読むことに。
それゆえ、整理は中々進みませんが、その中で、貴重な情報がしたためてあったのが3通。
1通は堀井寿郎さんから。そして斎藤隆一さん。もう1通は後藤靖男さんからのモノ。もう何十年も前のことだから、亡くなった方もいるのではと思いながら、読み返しました。
その中の1通。
後藤さんの手紙の中にあったのが「駒権」のことでしたので、紹介しておきます。
そこには、8代目駒権(赤松元一さん)の話として、
「6代目は國島権次郎。七代目はその親戚の國島庄三」と述べられて、権次郎は将棋二段。その國島飛角の名(号)で何かの本に載った棋譜コピーが添えられてありました。
なお、対戦相手は、今、失念して(坂田三吉だったか?)おり、後刻、もう一度読み直して補足することにします。
9月10日(日)、晴れ曇り雨。
天気は目まぐるしく変わり、雷も鳴りました。
先に、「CⅮからプリントする方法」についてお尋ねしましたが、コンビニでのプリントサービスを思いついて、先ほど済ませてきました。
結果、オーライ。その画像です。
画像は20枚ほどあって、先月、大阪商業大学が、プロに頼んで撮影したもので、それを昨日、入手したものです。
結果は、マズマズ。
でも、いくつかの問題があり、それについては項を改めて申し上げたいと思います。
9月4日(月)、晴れ。
先に、盤のひび割れ事故に関して、取り上げました。
今日は、駒のひび割れについて、私の思うところを述べることにします。
大昔ですが、プロ対局中に「香車の駒が割れた」という話を聞きました。
多くの方は多分、「駒が割れるんだ」と、思ったのではないでしょうか。
でも、いくらあの人(実名は伏せておきます)でも、簡単に駒は割れるわけはありません。ツゲの駒は、そんな弱(やわ)なものではありません。
駒が割れたのは、伏線があった。そう考えるべきです。
伏線とはどういうことかですが、私が思うことは、出来上がったときから、その駒は割れていたということなのです。
割れていた、と言うのはどういうことなんでしょうか。
皆さんも、考えてください。
この続きは、また続けますが、今日は此処まで。
今日、ニシジンさんから「山陽新聞の記事」を送られてきました。
例の銀波荘での盤のひび割れ、大山名人のコメントの記事です。
以前の記事かと思っていたのですが、ついさきほどの8月30日の
最近の記事でした。
丁度、ピッタリのタイミングの記事だったのですね。驚きました。
早速、ブログに転載させていただきます。