田中一村という画家の作品について私メが知っていたのは
50歳にして奄美大島に移り住んでからの、晩年だけでした。
亜熱帯の動植物や自然をモチーフとした
強烈な光と影、そして静謐とが同居した画風。
もちろん、私メが最も惹かれるのは、そうした作品群なのですが、
千葉市美術館で開催中の「田中一村 新たなる全貌」を見て強い印象を受けたのは、
そこに至るまでの、あまりにも膨大な試行錯誤でした。
中でも驚いたのは、10代の頃から
上海文人画壇の大家、呉昌碩や趙之謙の作品を学んでいたという事実です。
実は、私メが尊敬する書家(故人)に、
こうした文人画家の影響をつよく受けていた人がいます。
そのようなわけで私自身も、彼らの書画集をよく目にしていたのですが
まさかこの会場で、「呉昌碩写し」に出合うとは思いませんでした。
あの一村の画業のスタートがここにあるとは!?
この猛暑の中、超出不精な私メが
駆り立てられるように出かけていったことからして
なんだか彼岸からの導きのような、不思議な気さえします。
田中一村という人は、特定の師をもつことなく
いわゆる「画壇」にはほとんど関わることなく生きた画家です。
晩年の作風があまりに鮮烈だったために
かえってその全貌が語られることはありませんでしたが
今回の回顧展は、一村ゆかりの地にある美術館が総力を結集した
実に見応えのあるものです。
会期は9月26日まで。ご興味のある方は、ぜひ!
50歳にして奄美大島に移り住んでからの、晩年だけでした。
亜熱帯の動植物や自然をモチーフとした
強烈な光と影、そして静謐とが同居した画風。
もちろん、私メが最も惹かれるのは、そうした作品群なのですが、
千葉市美術館で開催中の「田中一村 新たなる全貌」を見て強い印象を受けたのは、
そこに至るまでの、あまりにも膨大な試行錯誤でした。
中でも驚いたのは、10代の頃から
上海文人画壇の大家、呉昌碩や趙之謙の作品を学んでいたという事実です。
実は、私メが尊敬する書家(故人)に、
こうした文人画家の影響をつよく受けていた人がいます。
そのようなわけで私自身も、彼らの書画集をよく目にしていたのですが
まさかこの会場で、「呉昌碩写し」に出合うとは思いませんでした。
あの一村の画業のスタートがここにあるとは!?
この猛暑の中、超出不精な私メが
駆り立てられるように出かけていったことからして
なんだか彼岸からの導きのような、不思議な気さえします。
田中一村という人は、特定の師をもつことなく
いわゆる「画壇」にはほとんど関わることなく生きた画家です。
晩年の作風があまりに鮮烈だったために
かえってその全貌が語られることはありませんでしたが
今回の回顧展は、一村ゆかりの地にある美術館が総力を結集した
実に見応えのあるものです。
会期は9月26日まで。ご興味のある方は、ぜひ!